CON-tribute

コンラッド・シュニッツラー / インタビュー 30.3.08

(続き: パート6)

質問8: 子供の頃、音楽は身近でしたか?そしてそれはどんな種類の音楽でしたか?

Con: 素晴らしい質問だ。教えてあげよう。1937年に生まれたので、当時の音楽といえばヒットラーの音楽だった。それは、マーチだ。

「ブシュッ、ブシュッ、ブシュッ、ブシュッ、ブシュッ、ブシュッ、パッパーーーパッ、、、ゥーラッシュッ、ブシュッ、ブシュッ、、」

戦争のための酷い音楽だ。もちろん私は子供の頃にこの音楽を耳にしている。また、私はマーチに合わせて行進もさせられた。小さなユニフォームを着て。ときどき、インディアンのような羽を頭に付けていたこともあった。(笑)

私は他の子供達と一緒に通りで

「ボフッ、ボフッ、ボフッ、ボフッ、ボフッ、、」

と行進した。マーチ音楽だ。これが、私たちに義務づけられていたことだ。

その他、ドイツにはスイート・ミュージックがあった。

「♪ オ~ハァイドォ...スラ~イ...デン ディッヒ イン アウフ...」

昔のフォーク・ミュージックだが、私が好きじゃない類のものだ。この考えは、今後も変わらないだろう。なぜなら、甘ったるくて、お涙ちょうだいといった感じだからだ。ハートの奥に響かそうとするわけだが、英語で言うとSlushだと思う。ドイツ語ではキッチュ~Kitsch(陳腐)という言葉がしっくりくる。

ドイツ人には、2つの異なるタイプがあった。一つはスイートなソウルの持ち主で、目に涙を浮かべたりする。もう一方のタイプは人殺しだ。本当に悪い奴等だ。悪党の言いなりになって、こいつを殺せ、とか、この子供を殺せ、とか、言われたとおりにする。ドイツ人にはそういうところがある。この50年で状況は少し変わった。しかし、私はそういう環境で育ったんだ。本当に悪に満ちたドイツ人だった。

だが、嬉しいことに私は生粋なドイツ人ではない。ドイツ人は、人それぞれ血筋が異なるから、純粋なドイツ人を見つけることはできないだろう。とはいえ、すべて一緒くたに束ねたら、数百年の間に、さっき言ったような2種類のキャラクターになってしまった。一つはスイートな性格の持ち主で、歌い、笑う。もう一つは殺しをやるタイプで、剣を持って外で戦う。私はそのどちらにもなりたくない。

これが、1945年当時やそれ以降に私が学んだことだ。戦争は終わり、ドイツ全土は爆撃を受け、破壊尽くされた。ドイツ人が数百年の間に築き上げてきた規律は、すべて粉々となった。すべては壊れ、私たちはまっさらな状態からやり直さなければならなかった。当時、戦前の古いスタイルに戻りたがる人々もいた。日本でもきっとそうだろう。しかし、私たちは1945年以降、新たな国民性へと移り変わっていった。ゆっくりと、ゆっくりと、ゆっくりと。年々、年を重ねるごとに。

私自身は、イタリア人の血が入っている。しかし、シュニッツラーという名前は、恐らくポーランド人のものだ。今ドイツには、本当に多くの外国人がいる。だから、ヒットラーが望んだような純粋なドイツ人を見つけることは難しいだろう。ブロンドの髪で、青い目をしたゲルマン民族は。今日、ドイツ人にはいろいろな血筋が混じっている。私は、状況はよくなっていると思う。なぜなら、愛のサウンドを奏でるスイートな人々も戦士達ももういないからだ。すべては洗い流され、きれいになった。兵士はもういらない。新聞で、アメリカのアフガニスタンへの軍事介入が報道されたりするが、ドイツではもう兵士は不要だ。

ドイツは核兵器を所有していない。そういったものからは解放されているし、そんなもの欲しくない。日本では運命の指輪が舞い込んでしまい、過去に経験があるわけだが、、、話が少しそれてしまったが、これが、私が子供の頃のドイツの話だ。

 

 戻る(パート5) <<  パート6  >> 次へ(パート7)

 

[ CON-tribute JAPANESE ] [ CON-tribute ENGLISH ]

Copyright © 2008-2009 Conrad Schnitzler All Rights Reserved.
Copyright © 2008-2009 CON-tribute All Rights Reserved.