ディスクユニオンのフリーペーパー "
Follow-Up" May 2008, Vol.61(2008年4月25日配布開始)に、コンラッド・シュニッツラーの最新インタビューが掲載されています。ただし、このインタビュー(INTERVIEW 30.3.08)は全体で75分53秒あるため、誌面の都合上、一部の内容は割愛されます。そこでCON-tributeでは、この貴重なインタビューを数回に分けてすべて掲載することにしました。
※こちらに掲載する内容は、すべてJin (CON-tribute)による日本語意訳です。
『コンラッド・シュニッツラー / インタビュー 30.3.08』
※前回までの更新分は
コンラッド・シュニッツラー / インタビュー 30.3.08 を参照してください。
質問6: 例えば、DADAやシュールレアリズムに影響されましたか?文学の影響は?あなたやあなたのアートにとってそれは重要ですか?
Con: ああ、もちろんだ。しかし、DADAはそうではなかった。どういう意味かというと、DADAはラジカルだったが、私にとっては驚くほどのものでも予期せぬものでもなかった。それは確かにラジカルで、彼等はそれを成したわけだが。DADAは初期のもので、その次に現れたのはジャクソン・ポロック~Jackson Pollockだ。私は、もちろんDADAの影響を受けている。文学からではなく、ペインティングや切り抜きを用いたアートからだ。切り抜きとは、切り取った別々の素材を貼り合わせていくこと(*訳者注:コラージュ)だ。
私はDADAからの影響ももちろん受けているが、その他のいろいろなアートからも影響を受けている。例えば、キュビズムが挙げられる。アーキペンコ~Archipenkoは大好きな彫刻家の一人だ。他の彫刻家についても以前学んだが、名前は覚えていない。(笑)ただし、彼等はすべて興味深かったのだが。
私にとって重要な作家は、誰もが知っているヘミングウエーだ。最初にクールだと思ったうちの一人だ。例えば、彼の物事の成し遂げ方など。しかし、多大な影響といえば、私にとってはヘンリー・ミラーだ。当時、彼の書物は発禁扱いだった。こっそりと入手するしかなかった。最初の本(*訳者注:『
北回帰線
』)はドイツ語の翻訳本があったが、ペーパーブックを端から端までナイフで切って開けなければならなかった。ハンブルク出身の友達は、彼の本をすべて持っていた。彼は本当にマニアで、私に全ての著書を持って来てくれた。
そのストーリーといえば、彼がどのような生活をし、人生をどのように考え、人生がどのように移り変わっていったか、というものだ。ヘンリー・ミラーはパリにいたが、彼がどんな生活を送っていたか、私はとても、とても興味深かった。また、どの本に入っていたか忘れたが、ある短編で、彼は、友人がキャンベル・トマトスープの絵を描いていたことについて書いている。
(この続きは、後日掲載します。。。)