〜ゆうが語る、フォークロア〜
あの日、あの時の出来事はなんだったのだろう?
本 当 に あ っ た ちょっと不 思 議 な 話 |
これからお話するのは、今でも実に不思議で納得がいかない一連の
出来事です。
それは、私が高校2年生の冬のこと。
ある日のホームルームで、担任の教師から臨時に冬期の暖房費を徴収するので
忘れない様にとの連絡事項がありました。私は念のためそれを手帳に書いて
家に帰ってから母親に話し、定められた1000円をわずかに超える金額をもらい
封筒に入れて翌日登校しました。
私は朝、友達と話していて何で急に暖房費を集めるのだろうね?と
その事を話題にすると友人は「何、言っているの〜?」と笑います。
私がだって昨日、先生が言っていたよね?と他の友達に同意を求めると
知らないというのです。そうです、誰もそんなことは知りませんでした。
ところが・・・・。
ホームルームで、担任の先生が暖房費を徴収する事になったから
明日、必ず持ってくるようにと昨日私が聞いた事と全く同じ事を言うのです。
友達は、私の顔を気味悪そうに見ていたのを覚えています。
それからしばらくした放課後のクラブ活動をする前でした。
私は窓から中庭のバラ園を見下ろしながら茶道部の子とおしゃべりを
していましたが、私は何気なく
「隣のF校の人達はいつ来るの?」と尋ねました。
と、言うのも私は彼女から隣の茶道部の人達と交流するという話を
「聞いていた」からです。
すると彼女は怪訝そうに、なんのこと?と逆に聞き返しました。
その時、別の茶道部の友達が走って教室に入ってきました。
「ニュース!」と彼女は大きな声で言いながら私達の輪に入って来ると
「今まで職員室に呼ばれていたんだけれど」と言いながら
隣のF校から合同で活動しようと申し込みがあったと言いました。
私の通っていた女子校には「礼法室」といって、かなり立派なお茶室などが
あり、授業の中にお茶のいただき方などを習う時間がありました。
同じ公立高校でも隣のF校は一応共学でしたが、女子生徒は一割程しかいなく
昭和に入ってから出来た学校なのでそういう施設はなかったらしいのです。
友達は、驚いてなんか預言みたいだねと言いましたが、私も驚きました。
そして、一番不思議な出来事がこの後起こりました。
ある日、私は隣の席の子から化学の参考書を貸してもらいました。
化学が苦手な私は、自分で持っている本がわかりづらいと話していたら、
国立の理系に進学するつもりの彼女は、もう先まで進んでしまって
これから問題集を解くから一週間ぐらいなら貸してあげるというので
その本を借りる事にしたのです。
そして、参考書を返す約束の日の朝でしたが、私は忘れない様に
わざわざ机の上に出しておいてご飯を食べ、そして友人から借りた参考書を
鞄に入れ、学校に行きました。
朝一番に返そうと思って席についてすぐに鞄を開けたら・・・・。
なんと、参考書がないのです。私はかなり慌てて鞄の中をひっくり返して
みましたが影も形もありません。どうしよう、約束を破ってしまった、とか
今朝、確かに鞄に入れたのに・・・電車の中で盗られたのだろうか?
でも、鞄はずっと膝の上に置いておいたし盗まれるわけはない・・・。とか。
それとも、鞄に入れたというのがそもそも気のせいで机の上に置いたまま
家を出て来てしまったのだろうか?後で家に電話して聞いてみよう。とか・・。
それにしてもどうやって謝ろうか・・などと忙しく考えているうちに
彼女が登校してきました。
私は借りた参考書を忘れてしまったことを先ず真っ先に謝ろうと
彼女に「おはよう」と声を掛けました。
席につく彼女に、あのね・・と声をかけると彼女はニコニコ笑いながら
「今日でよかったのに。」と言いながら、私が今朝家に忘れてきたはずの
参考書を鞄の中から取り出すではありませんか。
それは、見慣れた表紙に彼女の名前が確かに書いてありました。
私は内心動揺しつつも、もう一度見せてねといいながら本を借りると
ページをめくって確認しました。
どうみてもやはり、私が今日まで借りていたはずの本だったのです。
私がページをめくっていると彼女が話し掛けてきました。
「わざわざ、家まで届けてくれなくてもよかったのに。」
私は今度こそ飛び上がりそうになりました。と、いうのは私は彼女の住所は
知ってはいても彼女の家に行った事はなかったからです。
しかも、私の家から彼女の家までは電車を乗り継いで片道1時間半は
かかる距離にありました。
と、いうよりも。当時の私達生徒の乗る電車は決まっていて
私がどんなにクラブで遅くなっても家に着くのは6時。
それから私は家から一歩も出ずに部屋で時間があれば油絵を描いる生活を
していましたので、いくら仲が良くても同じ高校の同級生の家に遊びに行く
というのはまったく有り得ない事だったのです。
彼女の話をきくと、どうも制服を着た私が化学の参考書を彼女の家に
わざわざ行き、家の人に渡して帰ったらしい・・・のでした。
当時、既に私は不思議な出来事をたくさん経験していましたが
この出来事だけはどうしてもわかりません。
もう、昔・・・といってもいいほど遠い過去の出来事でした。
それではまた御会いしましょう。
今年初めての筍を茹でているうちに、
まだ初々しくも力強い春の香りに圧倒された私は、長らく記憶の底に眠っていた
子供の頃の出来事を思い出してしまいました。
これは、私が小学校の高学年から中学にかけての出来事です。
この話は、母の兄(上から三番目の伯父) が、土地を探し家を建てる間の
仮住まいとして広大な竹林に隣接した青畳の香りも清々しい、
未使用の新築の貸し家に入居したことから始まります。
◆謎の祠◆
当時、伯父夫婦は子供がまだなかったためか私は大変可愛がってもらい
その伯父の家に毎週のように連れていってもらいました。
私の実家は街の中にあったので、ジャングルのような竹林が珍しく
私には素敵な遊び場でした。しかも、その竹林を抜けると当時は珍しくなっていた
田畑が広がり、小川さえ流れ、池にはメダカがたくさん泳いでいたものでした。
新築の伯父の家の裏手には、もう誰も住まなくなった農家が3軒あり
「お化け屋敷」と私たち子供が呼んで荒れ放題に荒れたそれらの家に
私たちは勝手に土足で上がり込み、うち捨てられた家財道具を掘り出して
遊ぶのも大変愉快なことでした。
ある年の夏休みのことでした。
私は従姉達と伯父の家に泊まる約束をしていました。
伯父はよくいろいろな御伽噺を語ってくれましたが、夜になると私が前々から伯父に
話してとせがんでいた「ごんぞうむし」の話をしてもらい
慄きながらも他所の家に泊まるスリルを味わっていたのです。
翌日の午後、母が迎えに来てくれるまで、私は竹薮の中で遊んでいました。
時間はたくさんあったので、竹薮を抜けた向こう側まで従姉たちと「遠征」
することになり、しばらく歩いていると、藪の中で道を間違えたのか
薮を抜けると、真新しい墓石がずらりと建ち並んで広がっているのに
行き当たってしまいました。
私たちはそこが、地元の人の間で幽霊が出るという
A霊園であることに、すぐに気が付きました。
当時、ここの霊園の入り口で雨の日に女性を乗せたタクシーが行き先を告げられて
タクシーを走らせながら、ふとバックミラーを覗くと、乗せていたはずの女性は
かき消すようにいなくなり、バックシートだけががびっしょり濡れていた・・・
そんな噂で大評判になっていたのです。事の真偽は兎も角、何故か雨の日に
限ってここを通る白い車の何台かがそういう恐ろしい目にあったとかで
幽霊霊園として知られていたのでした。
しかし、昼間見る真新しい霊園はおどろおどろしさなど微塵にも感じさせず、
むしろ清潔な印象でしたが、その下に遺骨が埋まっているのに気が付いたら
却って恐ろしくなり私たちは引き返しました。いとこたちは、足が速く、
振り返り振り返り墓地を眺めていた私は遅れてしまいました。
私は竹薮の中で取り残されて、ひとりで一生懸命歩いていました。
いくら歩いても伯父の家の裏手には行き着かず、ヒグラシのけたたましく鳴く
竹薮は午後も暮れてきたことを教えています。私は降り注ぐように聞こえてくる
ヒグラシの音に抱きすくめられ、ふと後ろを振り返りました。
すると、私の後方に今まで見たことのない朽ち果ててぼろぼろになった大きな祠が
建っているのを見つけました。しかも、その祠の屋根にはなんと大きな十字架が
付いており、宙に刃物が浮いているように見えました。
その祠のたたずまいが恐ろしく、私は半分泣きそうになりながら走りました。
どこをどう走ったのかは思い出せませんでしたが、気が付いたら伯父の家の
見慣れた裏口に辿り着きました。
母は既に私を迎えに来ていました。私は今あったことを伯父に話すと
伯父は、斧を手に持って竹林に入っていきました。
しばらくして、伯父は戻ってきましたがどこにもそんなものはなかったと言うのです。
子供の印象ではかなり広い竹林ですが、伯父は隅々まで竹林を歩いたけれど
そんな祠は見たことがないなぁ・・と不思議そうでした。結局、私は夢でも
見たのだろうということになってしまったのです。
◆裸体の女性像◆
ところで、その広大な竹林も年々切り開かれ、どんどん墓地として整理されて
行きました。
当時、私たち子供は知る由もありませんでしたが、実は、裏手が墓地に
開発されるというので農家は土地を手放し、新築の貸し家もなかなか借り手が
なく家賃が安かった事もあり、伯父は一度はここを買い取ろうと迷いながらも
裏手に墓地が迫ってくるまでの数年をそこで暮らしていました。
そして、私は伯父の家に遊びに行っても「あのこと」があってから、もう竹林に
入ることはありませんでした。そのうちに伯父に遅くなって授かった子供が生まれ
私も中学にあがってからはあまり遊びに行くことはなくなりました。
そんな春のある日のことです。
私の父が伯父の家の裏手に僅かに残った竹林へ筍堀りにでかけた事がありました。
父は、夕方家に帰ってきましたが、面白いものを見つけたといって
私たちにそれを見せたのです。
それは、泥にまみれてはいましたが石を彫って創った女性の像でした。
大きさは25cmほどで髪の長い女性、腕枕をしているよな寝姿で、しかも・・
裸体でした。どんな種類の石かわかりませんが、青っぽい石に刻んだその姿は
決して芸術的とはいえず、粗削りの素人が彫ったような代物でした。
それが、何故竹林に埋もれていたのかはわかりませんが
父はそれを気に入って、庭の自分でしつらえた築山の一画にそれをすえて
大変満足していました。
私たちは、誰もが、、父を除いて誰もがその石の像を気味悪がり、特に母は
嫌がって何度も捨てようとしましたが父はそれを許しませんでした。
何者をも恐れない、豪傑で知られる江戸っ子の血をひく祖母でさえ
「きびが悪い(気味が悪い)」といってそれが見える部屋の窓は閉めたままに
するという有り様です。
私は、その像を誰よりも恐れました。昼間みても気持ちが悪いのに、それは、
夜になると庭から茶の間にいる私を、異様な姿で睨み付けるように光るのです。
しかも、もっと気味の悪いことにその像は「移動」するのです。
時々、誰が動かしたものか・・・信じがたいことですが、朝になると違う場所に
動いていることがよくあり、不気味でした。
ある時など、突然像がなくなったと思っていましたが、庭に花の苗を植えようとして
土を掘ったらそれが土中から顔を出してきたので非常に驚いたことがあります。
そうして、その像は家族に不気味がられながらも庭にあり、数年が経ちました。
ある年、順調だった父の事業が傾きかけたことがあり
誰もがその像と家に降りかかった災難を結び付けて考えていました。
そして、父が像を捨てようと決心した時には、その像はどこかに消えていました。
当時は200坪ほどあった庭のどこを探してもそれはありませんでした。
そして、いまでも、それは消えたままになっています。
今、庭のあった大部分の土地は他人の土地になっていますが、それは
今でもどこかに埋もれているのかもしれません。
それではまた御会いしましょう。
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