〜ゆうが語る、フォークロア〜
あの日、あの時の出来事はなんだったのだろう?
本 当 に あ っ た ちょっと不 思 議 な 話 |
これは私の母方の親族がまだ一人も欠けることなく健在だった頃の出来事です。
母の姉(私にとっては伯母にあたりますが)はポメラニアンという種類の犬を飼っており、
犬を何匹も飼っていた伯母は、自分のためというよりも愛犬のために温かい伊豆に別荘
を建て東京暮らしに終止符を打つことに決めました。
伯母の引退にあたっては、これを機会に母方の親族が集まってちょっとしたパーティを
開こうということになり、伯母の子供たちが音頭を取ってその準備はすすめられました。
パーティ会場は、東京の麻布のアメリカン倶楽部。上海に会社を作るために日本に
いなかった伯父や、仕事で忙しかったもう一人の伯父を除いていとこも全員集まって
賑やかな一時を過ごしました。
途中、大使館関係の子供たちも乱入し笑いの絶えないそれは楽しいパーティでした。
さて、会の途中でせっかくだから記念写真を取ろうということになり写真屋さんを
呼んで記念写真を撮りました。
私たち全員の集合写真と母のきょうだいだけの写真のツーカットをがやがや騒ぎながら
撮り終え、会は無事に終わりました。
その翌年の暮れ、母の弟である叔父が急死しました。働き盛りでこれからという時に。
叔父は自分の会社を持っていましたが、半年ほど休みなしで働き、結婚記念の
外国旅行に旅立つ予定の朝鬼籍に入りました。
これは、私にとっては衝撃以外の何物でもありませんでした。私たちは嘆き、悲しみ
きょうだいを失った母の悲嘆に暮れる姿を見ては心が痛みました。
しかし、それはほんの始まりに過ぎなかったのです。
それから、毎年一人ずつ、母のきょうだいと配偶者が病気や事故で亡くなっていきまし
た。偶然にしてはあまりにも多い親族の死。
従兄などは、葬儀の席でこれは先祖に殺された人民の呪いだと言い出す始末。
確かに戦国武将で近代に入るまで人々に君臨してきた御先祖ではあるけれど
そういうケースはもっとあるはずだし、私はそれは気のせいだろうと言っていました。
そして叔父が亡くなって、8年目、私の母も病気で亡くなりました。親族の死は、
母で9人目でした。
そして、母が亡くなった年の秋、パーティの主役だった伯母も亡くなりました。
実家に戻った或る日、私は母のきょうだいが集まって写っている、あのアメリカン倶楽部
での記念写真を何気なく見ていてあれ?と思いました。
あんなに楽しかった会なのに、故人となった人達は写真の中でのその表情は寂しげで
いわゆる「影が薄い」という印象なのです。
しかも、写真のなかで時計周りに一人を除いて順番に死んでいる・・・。
その写真に不吉なものを感じた私は、写真にある封印を施し、残された叔父が
無事であるよう祈りました。
そして、従妹に叔父の健康、特に肝臓の病気には充分気を付けるように電話で
伝えました。
それから数ヶ月経ちました。駅でばったり従妹に会い、私は彼女を誘って喫茶店で
お茶を飲みながら互いの近況を話したのですが。
従妹は私からの電話の後、会社まで休んで嫌がる叔父を引っ張って無理矢理病院に
連れていったそうです。
検査の結果は・・。驚くべきことに叔父の肝臓は病んでおり、肝硬変に変わる寸前で
あり、もしもこのまま放置していたら、遠からず命を失っていただろうというものでした。
従妹は、医師から検査結果を知らされた時、危うく泣き出すところだったそうです。
幸い、医師はその道のかなり名の知れた専門家であったために適切な治療と指導で
叔父の病気は一年後にはかなり回復しました。
たまたま、色々な偶然が私の「感」に注意を喚起したのですが、おかげで従妹は父を
私は大切な叔父を失わなくて済みました。
その叔父は、今ではすっかり元気です。
また、パーティに参加しなかった二人の伯父が元気なのは言うまでもありません。
それではまた御会いしましょう。
これからお話するのは私がかつてある時期を共に暮らした飼い猫の「ゆかりちゃん」に
まつわる出来事です。
彼女は仕事や生き方に行き詰まっていた時にも、黙って私の側で私の心を癒し慰めて
くれた親友でありましたが、フリーとして活動しはじめた私の仕事が順調に波に乗り
恋人ができるとまるで自分の役目を終えたとでも言うように春になったばかりのある日、
肺炎で死にました。その死は全くあっけないものでした。
前の日からゆかりちゃんは好物の餌も食べず、ちよっと目を離すと屋根の上に登って
しまうので、その度に私は屋根に上がって猫を追いかけ、連れ戻してベッドに寝かせて
いたのですが、様子がどうもおかしい・・・。私はゆかりが前年の同じ頃にも肺炎で
熱のある身体を屋根の上で冷やしていたのを思い出し、医者に連れて行きましたが
治療を終えて家に帰ってくる途中、玄関まであと数メートルというところで急に激しい痙
攣を起こしてしまいました。
私は急いで自分の家の門を開けましたが、痙攣するゆかりは、私が門をくぐると同時に
大きく目を見開き、私になにかを訴えかけるように前足を私の顔にかけると二三度大きく
呼吸したかと思ったら息を引き取りました。私の腕の中で彼女は二度と目を覚ますこと
なく・・・。14年も前のことでした。
もう遠い記憶になっていいはずの出来事なのに、あれほど衝撃的だったことはありませ
ん。その後、嘆き暮らしている私に親戚の人が、ゆかりと模様や顔立ちがそっくりな
三毛猫を連れて来てくれましたが、二ヶ月もしないうちに交通事故で死んでしまいまし
た。それ以来、私はゆかりが私に猫を飼って欲しくないのだろうと理解して
自分の猫を持つことを諦めました。
ところで、ゆかりちゃんが死んで半年ほど経った時のある真夜中のことです。
夜中に猫が私の部屋のドアを開け入ってきました。部屋のドアはノブを引かないと
開けられないので猫が入れるはずはないのですが、私は寝ぼけていたので
ドアをきちんと閉めていなかったから、他の飼い猫が入ってきたのかと思いました。
起きてドアを閉めるのも面倒だったのでそのまま寝ていると猫は勢いよく私のベッドに
上がって来て、しばらくかけ布団の上を歩いていたかと思うと私の腕にすりすりしながら
布団の中に入ってくるのです。猫が私の胸の辺りまで潜ってきてゴロゴロと咽喉を鳴らし
て寝る体勢になっているのでしょうがないなと思い、猫の身体をなでました。
「あれ?!」私は、ぎくっとしましした。
何故なら柔らかく艶のある毛皮のその感触は、忘れもしない私のゆかりちゃんのものだ
ったからです。
私の手に触れたのは、私の知っている他の三匹の飼い猫のものではありませんでした。
私はそっと布団をめくって見ました。
すると、私の側でゴロゴロと咽喉を鳴らして甘えているのは、もう、この世に居るはずの
無い三毛猫のゆかりちゃんだつたのです。
私は嬉しくも哀しく、また、懐かしくなってずっとゆかりちゃんの脇腹をなでながら
いつしか眠ってしまいました。
朝になって気が付くと当然のことながら猫の姿はありませんでした。部屋のドアも
きちんと鍵がかかってしましたし、そもそも私の部屋に他の猫は寄りつかないのです。
私は、昨日のは夢だったのかと思いましたが、たとえ夢でも、幽霊でも私は再び彼女と
会えたことにとても満足していました。
それからも、何度か私は夜中に三毛猫のゆかりちゃんが生きている姿のままで
とっとっと・・・と部屋の中を走っているのを見かけました。
しかし、私が思ったのは私があまりにも彼女への思いを残しているため、彼女が
成仏していないのではないかと思っていささか不安になってきました。
そんなことを考えているある日のことです。
私は夜中にひどい金縛りにかかってしまいました。ベッドの周りには得体の知れない
灰色の人影が数体蠢いており、私を取り囲み私の首を絞めようとしています。
この時の私はその金縛りの中でなす術もなく苦しんでいましたが、もう、このままでは
危ないな・・と思った時、部屋の中に猫が入ってきたのです。
それは、私のゆかりちゃんでした。
生きている時のゆかりちゃんは、いつもぼうっと日向ぼっこばかりしている猫で喧嘩する
ところを私は見たことがありません。好物の餌を他の猫に奪われてしまうので、食事は
いつも私の膝の上で食べるという有り様でした。
そのゆかりちゃんが、部屋に現れたかと思うと、私を取り囲んでいる人型の物に向かっ
ていきなり毛を逆立て唸ったのです。しかも、その姿は次第に大きくなり
天井まで届くかという大きさに膨れ上がって唸り続けました。
私は、金縛りで苦しんでいましたが唯一動かせる顔でその様子を見ていて
ゆかりちゃんのあまりにも異様な変身ぶりに「あっ、化け猫だ・・・。」といって、吹き出し
そうになりました。その化け猫に怯んだのか、私を金縛りにかけていたものは
たちまち消えてなくなりました。すると化け猫になったゆかりちゃんは、また元の
可愛らしい姿に戻るとベッドに上がって来て私の顔をなめはじめました。
私の金縛りは、そこで解けましたが、猫の姿はもちろんありませんでした。
その夜以来、私はゆかりちゃんの姿を見ることはなくなりました。
それではまた御会いしましょう。
これは、私の妹の話しです。
母が亡くなった後、ある証書が必要になり、私たちは実家で母の遺品の中から
それを探していたのですがどこを探しても見つからず、半ば諦めかけていました。
そんなある日の明け方のこと。
妹は実家に戻っている夢を見たのです。
夢の時間は昼間。妹はひとりで誰もいないがらんとした部屋の中に立っていると、
突然母の声が聞こえました。
「タンスの上の引き出しの中!」
夢はたったそれだけで、妹は母の大きな声にはっとして目を覚ましたのです。
その日、妹から電話をもらってその話を聞いた私は、ふと思い出したことがありました。
その時、既に病は母を蝕んでいましたが、そんなことは少しも知らずに楽しく
暮らしていた頃のことです。ある日何を思ったのか、母は突然私にこう言ったのです。
「お母さんに何かあったら、このバッグの中身を必ず見てね」と。
そういうと、母はそのハンドバッグを母がお嫁入りの時に持ってきた桐のタンスの
上段のの引き戸の中にしまいました。
もしかしたら、その中にあるのかもねと私は何気なく見つからなかった証書と
結び付けて、母にそう言われたことがあったとよと妹に話しました。
すると、どうでしょう。その見つからなかった証書は母のバッグの中にありました。
思えば、最初からその中身を調べていれば良かったのですが、母が亡くなって
混乱していた私ども姉妹はそんなことを思い出しもしなかったのです。
あの世で母は、さぞ、面映ゆい想いをしていたに違いありません。
それと、もう1話。
妹からやはり電話で嫌な夢を見たと話がありました。
そもそも妹と私は全く性格が違っていて、妹は外向的。結婚して引退する前は実業団
バレーの2部リーグでセッターとして活躍していましたが、夢など殆ど見ないタイプの
人間です。お休みなさいといった途端、もう寝息を立てていて、そのまま朝まで
目を覚ますこともありません。
私はといえば、かっきり、一時間50分ごとに目を覚ましその度に夢をたくさん見るので
疲れてなりません。だから、寝付きの良い妹が心底うらやましいと思いました。
その妹が見た夢というのは、死んだ祖父が夢の中で重たい〜、重たい〜と言って
妹の方に手を伸ばしているというものでした。祖父は体中に何かをしょっていて
それを良く見ると真冬のコートから何から何まであらゆる種類の服をぶらさげて
その重みで祖父は倒れ、這っているというのです。
これを聞いた時、私はあっと思いました。
実は祖父の納棺の時、父や父の妹弟が祖父が冬には寒くないように、また夏になったら
暑くないようにと棺に横たわる祖父の身体の上に祖父の愛用していた服の殆どを
入れたのです。
明治生まれの祖父は、かなりモダンな人で大変お洒落でした。
いつもイギリス製の帽子を被りステッキを突いて会社に行っていたものでした。
着ているコートや背広もイギリス製の生地を使って誂えたかなり上質のものでした。
そういう物があまりにもたくさんあったので、捨てるよりかは持たせてやろうと
お棺の中に入れたわけですが、おかげで棺はかなりの重さになってしまい
霊柩車に運ぶのが大変だったのです。
当時、結婚したばかりで初めての子供を身ごもっていた妹は祖父の臨終後から
体調が悪くなったので、納棺や火葬場には立ち会わず看護婦の伯母の家で休んで
いました。だから、このことは知らなかったはずなのです。
妹の夢はリアルで大じいちゃんの顔と声が気味悪かったと言っていました。
私はあの世の祖父に手を合わせ、祖父が今いるところは暑さも寒さも、苦しさも
何も無い世界にいるのだから、安心して眠ってくださいと心の中で祈りました。
その後妹は何事も無く暮らしています。
それではまた御会いしましょう。
今回のお話は、同居人のQちゃんが数年前に体験したものです。
以下は、彼の語り口を借りて皆さんにお伝えしたいと思います。
私には、以前から、なんとなく気になる場所がありました。それは小伝馬町でした。
当時、たまに地下鉄日比谷線に乗る機会があったのですが、この駅を通ると、
ふと、何も用がないのに降りてみたいような気がしました。
普段はそんなことは忘れているのですが、なぜか、日比谷線を利用して
その駅を通る度に、降りてみたい気持ちが蘇ってくるのです。
そしてあるとき、小伝馬町駅に着いてドアが開いた瞬間、
ついにはずみで降りてしまいました。
その時はたまたま2駅先の御徒町に用があり、
「この程度だったら十分歩ける距離なのでまあいいや。」と思って降りたのです。
改札を出ると、御徒町の方向を確認するために、駅の改札にあった駅周辺図に
目をやりました。
その時、駅のすぐ近くにあると思われる、緑色に塗られた一画が気になりました。
私は「この付近に公園があるのかな。どんな公園なのだろう?」と思いました。
その場所は、たまたま目的地へ向かう通り道に面しているので、
ついでにちょっと見ておこうと思いました。
地上に出て少し歩くと、すぐにそれらしき場所がありました。
そこには立て札のようなものがあり、「処刑所跡」と書いてありました。
それを見て、私は少し驚きましたが、同時に「かわいそうだなぁ。」という感情が
湧いてきました。するとその瞬間・・・。
なんと、右足首を人の手でガッシリとつかまれたような感覚に襲われたのです。
それは足をつったときの痛さにも似ていますが、しかし、指でつかまれている感じが
非常に生々しいのです。それは、とても強い力でした。
あたかも、男性のごつい手につかまれているかのような感触でした。
私は咄嗟に、とにかくその場から離れなければいけないと思い、
つかまれて自由の利かなくなった足を懸命に動かしながら、
必死になって逃げ出しました。
幸い人通りはなかったのですが、もしもその場を目撃した人がいたとしたら、
私の姿は、さぞ、滑稽に感じられたに違いありません。
運良く、3、4歩歩いたところで、ついさっきまでのことがまるで嘘のように、
足首は「突然」楽になりました。
それは過ごしやすい季節の、ある曇り空の週末、午後3時過ぎの出来事でした。
私をつかんだその指の感触は、数ヶ月の間、私の右足首に残っていました。
それ以来、私は小伝馬町には近寄っていません。
それではまた御会いしましょう。
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