〜ゆうが語る、フォークロア〜
あの日、あの時の出来事はなんだったのだろう?
本 当 に あ っ た ちょっと不 思 議 な 話 |
先日参加したオフ会で、興味深い話を聞いたのでご紹介します。
話し手は、この日のためにわざわざ名古屋から日帰りで参加してくれたSさん。
Sさんの体験は、ゴーストでも一部紹介しているので、ご存知の方もいるでしょうが・・。
彼の話とは・・・・・。
仕事で帰宅が深夜になってしまったある真夜中のこと。
Sさんは自宅のあるマンションの駐車場へ車を入れた時、すぐそばの道を大勢の人が
なにか箱のような物を御神輿のようにかついで静かに歩いているのに気が付きました。
その数は、ざっと、20人ほど。
それらの人が黒ずくめの衣服をまとい、黙々と歩いていたのだそうです。
そのマンションに引っ越してきたばかりのSさんは、
ああ、どこかでお葬式があったのか・・ここら辺りの風習かな・・・?
と思ったのだそうです。
そして、同時に人々が担いでいるのは、棺桶なのか・・とも考えました。
こんな真夜中に棺桶をどこかに移動するなんて、変わった習慣がこのあたりには
あるのだなぁ・・と思いつつ、自宅のあるマンションに向かい、
もう一度、その葬列がどこへ行くのか確認したくなり、マンションの共有スペースの
廊下から下を見下ろしたのだそうです。
すると・・・・!それは、忽然と消えていたのだそうです。
一体、あの葬列は、どこへ?
深夜の闇の中に、なんの為に現れ消えたのでしようか?
これが、Sさんから聞いた不思議な話のあらましです。
それではまた御会いしましょう。
私の知り合いの電気配線業を営むNさんの奥さんの話です。
それは彼女が二番目のお子さんを出産した時に起こりました。
最初の子が安産でもあり、まだ20代だったので医者はもちろん、周囲は
このようなことになるのを思ってもみなかったそうです。
陣痛が始まり、時間が経過するにつれ、それまであった周囲の安心は次第に
不安に取って代わりました。その不安が適中したのは、奥さんが子供を出産すると
同時に大出血を起こし意識を失ってしまったからに他なりません。
分娩室はにわかに緊張がはしったことでしたょう。子供の誕生を心待ちにしていた
Nさんも、医師や看護婦のただならぬ様子に何が起こったのかはわからなかったが
なにか、大変なことが起こったことを感じたといいます。
結局、この緊急事態に遭遇した医師の努力にもかかわらず、奥さんは出血多量で
臨終を宣告されてしまいました。
が・・・、奥さんはこの世に戻ってくることが出来たのでした。
以下は、Nさんの奥さんの話しをNさんから聞いた内容です。
気がつくと、分娩室だろうと思うが、自分は天井の辺りから下を見ていた。
見れば、下は大変な騒ぎになっている。
自分が仰向けに寝ているのが見えたが、なんの感情もわかなかった。
そして、ああ、私は今、死んだんだなと思った・・・・。宙を漂っていたがその場を
離れることはできずに自分の死んだ身体を見詰めたままそのまま浮かんでいた。
すると、突然たった今、産んだ自分の子供のことをもいだした・・・。この子は母を
知らずに、一体誰が育てるのだろう。そして、上の幼い子供は・・・・。
そんなことを考えているうちに、突然悲しみが胸の中に膨れ上がり、切なくなり
もう一度、生きたい、今生まれた子をこの腕に抱きたい・・・。
その思いで胸がつぶれそうになったそうです。
と、突然、意識が戻った・・・・。と同時に激しい痛みが体中をかけて自分が生き返った
のがわかった・・・・。
Nさんの奥さんはその後も子宝に恵まれ、今では三人のお母さんとして元気一杯、
病気一つしないといいます。ただ、それまでは魂とか、霊とか信じていなかったのが
自分の体験で魂はあるのかもしれないと思うようになったとか・・・・。
ただ、こんなに痛いのなら生き返らなければ良かったと、一瞬考えたそうですが。
Nさんの奥さんが何分ぐらい死の状態にあったのかは、その話に驚いていた私は
聞くのを忘れてしまいました。
それではまた御会いしましょう。
皆さんは、[家鳴り」という現象をご存知ですか?
昔の人たちは家のきしむ音や振動など、理解や知識を超える現象を主に古い家に
ついた妖怪の仕業と考えていたようです。
今回お話するのは家にまつわる「怪音」についての一連の出来事です。
しかもそれは古い家ではなく、建ったばかりの、今私が向かっているパソコンの周辺で
起きた出来事です。
この音のおかげで世帯主は家という大きな買い物ではありましたが、結果として
その価値を失わずに済みました。その知らせがなかったら、きっと生涯気がつかないか
気がついたとしても、もう手後れだったに違いありません・・・・・。
この家に引っ越しをしてきたのは、二月初めのまだ春の声を聞かない頃でした。
ここは三階建ての二世帯住宅ですが、一階はまだ人が住んでいません。
住み始めてまもなく、引っ越しの後片付けも済んでいない頃からその「音」や現象は
はじまりました。無人の階下から、あたかも人がいるかのように椅子を引く音がする。
もちろん、階下にはまだ家具は置いてありませんので、そんな音がするはずは
ないのですが・・・・・。たとえば、
隣の部屋のカーテンを引く音がする、夜、閉めたはずの小窓が朝になると開いている、
今消したばかりの電灯が点いている・・・などなど・・・。数え上げたらきりがありません。
時には階段を「透明な人」が登っているのを感じたこともあります。
しかし、これらは平和に暮らしている日常の些細な出来事なので、私達にとっては
笑って済ませられることでした。ところが、ある真夜中のこと・・・。
インターネットで遊んでいた時のことです。私は世にも無気味な音を聞きました。
それは大きな太鼓を鳴らしたような音で、まるで地の底から響いてくるかのような
大音響を聞いたのです。同時に激しい揺れを感じて、私は一瞬地震が起きたのかと
身構えました。すぐにテレビをつけ地震情報を確認しましたが、地震が起きたという
情報は得られませんでした。その夜の音の原因はとうとうわかりませんでした。
ところで、入居してからはハウスメーカーの定期点検の内三ヶ月点検というのが
あるのですが、その折に音のことをメーカーの担当者に告げ、地形的なことや設計の
問題などあらゆる点で調査してもらうことになったのです。
結局その日、メーカーの調査では音の原因は突き止めることが出来ませんでした。
しかし、音はまだ続いていました。
そして、とうとう同居人のQちゃんも一緒にその音を聞いたのです。
私たちはもう我慢ならず、ハウスメーカーの担当者に電話をかけ再び調べてもらうことに
したのです。担当者は親切な人ではありますが、度々の苦情に正直なところ
うんざりしていたのではないでしょうか。
「他の家の方からは、そういう苦情が来たという報告は本部の方でも前例がないんです」
そう言う彼の表情には、困ったなぁという感じがありありと見えました。
しかし、あの太鼓が鳴るような無気味な音は私にとっては見過ごすことが出来ません。
メーカーの担当者は、私たちを納得させるためもあったと思いますが、
念の為、天井を調べるといって大工さんと一緒に回り始めました。
するとどうでしょう・・・!本来ならば、天井には厚さ5pのグラスファイバー製の遮音材が
敷き詰められていなければならないはずなのに、一階の全室に渡って全くそれが
敷かれていなかったのです。
あの時のメーカーの担当者の青ざめた表情は今でも忘れられません。
当たり前です。これは、メーカーの重大なミスであり、契約違反なのですから。
つまり、施工違反の欠陥住宅だったわけです。
私たちも事の成り行きにただ、ただ驚きました。
あまりに事が大きすぎて実感が湧かなかったのですが、どうも社内的には大変な
事態に事が発展したようです。
ところで、何か家の中で変な事があるたびに小さな施工ミスや欠陥が露呈し、
それらは直されていきました。階段や窓も不具合が見つかり、直りました。
人影の見えた洗面室は、黴が生える前に防水パンを張り替えました。
人影や音がするたびに私は辺りを調べ、建具のたった5mmの歪みを発見したり
クロスやフローリングや階段の傷や施工のまずさを発見したからです。
現場監督も見逃した建具の5mmの歪み・・・。これは、専用の機具で計測しなければ
わからないミスだそうですが、後々ドアが開かなくなるなど大変なことだったのです。
これは、大工事でした。おかげで春から夏にかけて、ここでは工事ばかりしていました。
そして、今回の極め付きともいえる欠陥・・・・・。
あの不気味な太鼓を叩いたような音は嘘のように止まりました。
その音の原因と音源は今でも謎のままではありますが、もし、あの地に響くような
音がしなかったら天井の欠陥は見つからなかったことでしょう。
そして、目に見えない人々(?)が注意を喚起してくれなかったら保証期間内に
修理ができたかどうか・・・。今となっては、いたずらだと思っていた人々(?)に
感謝しています。一階の工事は大規模に、まもなく始まります。
それではまた御会いしましょう。
長く続いた秋の雨が久しぶりに上がった今日、これを書かなくてはと思い立ったのは
今年の夏のある日に経験した、私にとっては初めてとも言える恐怖の体験を
いわば「精算」したかったからに他なりません。これを書かずには、まだ夏が本当に
終わった・・・とはいえないという、その経験とは・・・・・・・。
私のネットフレンドのBさんのHPの掲示板が、装いを変えて千葉県内の心霊情報を
「Bの心霊掲示板」としてスタートさせたばかりのある夏の日のことでした。
掲示板で千葉県内の心霊情報として、「おじゃが池」を取り上げていました。
今でもそうですが、当初私は「おじゃがいけ」というものを知らず、Bさんの書き込みに
対してどんなことが起こるのか尋ねました。
水面に女の顔が浮かぶらしい・・・というBさんの返事に私は、受けねらいで
「竹竿で水面を掻き回したらどうなる?」という馬鹿な質問をしたのです。
Bさんの返事はただ一言。「祟られるでしょう・・」というものでした。
そしてその話は私の中では終り、夜遅くにはもうすっかり忘れていたのです。
翌日の昼頃、一仕事終えてくつろいでいた私は、ソファに座って本を読んでいました。
「私は大変なことになりましたよ・・」という女性の声を聞いてはっとしました。
ここで、私自身に関してのある一つの事実を話さなくてはならないのですが、
私には子供の頃から「誰かの声」が聞こえます。
その声は一人のものではなく、私が幼い頃は、お話を聞かせてくれたり、時には
歌を歌ってくれたりしました。ですから子供が口にするにはふさわしくない
難しい言葉や諺を知っていたりするのは、私にとっては驚くべきことでは
なかったのです。
もっとも、それが誰にでも起こることではないということに気が付いてからは
人に話すことは滅多にありませんでしたが・。ともかく、その人達とは大人になった
今でも良い関係を続けているのは確かです。
話しは横道にそれましたが、その人は、時々私にアドバイスの言葉を伝えてくれる
うちの中で去年からの姿の見えない女性です。いつもは穏やかでやわらかな
品のある声の持ち主であるその人が、なにやらひどく慌てているのです 。
「大変なことに、なりましたよ」その声と同時に、本を読んでいた私の周囲が
ざわざわと騒然とした気配に包まれているのを感じました。しかし。感じるだけで
別に目に何かが見えるわけではないので、私は何だろう?慌てちゃって・・・と
大変呑気でした。しかも、その様子が可笑しかったので愚かな私はひとりで
ニヤニヤしていたものです。あの人達も、案外人間臭いんだなとか思いながら。
その晩の事です・・・・。
滅多にないことですが、私は横になった途端ひどい金縛りにかかりました。
そこで見た物は、言葉では言いようも表せません。あえて言えば、
何か、ひどく悪意のある物体の集団が私に襲ってこようとし、それらとそれを懸命に
押し留めようとする私を加護してくれる力との壮絶な闘いでした。
金縛りは朝まで続き、そのもの達の絶叫とも悲鳴ともつかない恐ろしいうなり声と
共に終わりを告げたのです。
金縛りの解けた明け方、私は起きて鏡を見るとかなり疲れた顔をしていました。
寝不足もあって、身体は重い鉄の固まりで締め付けられるような痛みでした。
それからの一週間は体調をひどく崩し、起きていても何も出来ない状態でした。
あらためてこの夜の事を思い、私は深く反省しました。
どんなことがあっても、恐怖を感じることなく今まで過ごせたことを自分の「力」だと
慢心していたのです。慢心と自信は全く性質の異なる物です。
いつのまにか、私は私を見守ってくれている人達に甘えていたことに気が付きました。
私は、それからの夏の残りを謹慎して過ごしていました。
というのも、しばらくその人達とコンタクトが取れなくなってしまったからです。
こうして語っていますと、あらためて私は恐怖が蘇ってくるのがわかります。
人に話すとたぶん、どこが怖いのか?と訝しく思うことでしょう。しかし、普段
目に見えない人々の声を聞き、彼らと交流している私には衝撃的な事件でした。
これは、必ずしも「おじゃがいけ」の噂の元となっている怨霊ではなかったのですが
ふざけた発言をした私の心が呼んでしまった悪意の集団が、原因でした。
後悔先に立たずとは言いますが、今回のことはこの先人の残した諺を思い出し、
私には珍しく、反省と後悔と謙虚の姿勢を学び直した一件でした。
※〜雄蛇ヶ池の伝説〜
昔、若侍に恋をした村の娘が身分の違いのため、
結ばれることをあきらめ池に身を投げた。
その後、池には一匹の蛇が棲みつくようになった。村人達は、その蛇を
はかない恋に命を落とした娘の化身だと恐れた。
それ以来、この池は「雄蛇ヶ池」と呼ばれるようになったという。
※夜釣りに来た人が女の人のすすり泣く声を聞いたり、池を背景に写真に取ると
水面に顔が映るなどの噂がある。夏場は肝試しの場所としても有名らしい。
夏場のデートスポットでもあるとのこと。
それではまた御会いしましょう。
前回に引き続き、『体外離脱』のお話です。これは私が21歳の時のことでした。
就寝前の習慣でベッドの中で本を読み、さあ寝ようという時にそれは起こりました。
うつ伏せの姿勢から仰向けになって布団をかぶろうとした途端、
私は金縛りになってしまいました。まもなく、午前2時・・・。
朝は6時半には起きなければならないのに、どうしよう・・・と、しばらくもがいていました。
すると、突然身体が自由になり私はベッドから転がり落ちてしまいました。
やれやれ・・と思ったのもつかの間、立ち上がろうしても立つことができません。
私は床に腹ばいになりながら部屋の中を移動しようとしましたが、身体は異常に重く
まるで床に磁石があって、それに引き付けられるかのように立つことも動くことも
できなくなってしまったのです。
私はその時、何かとんでもない病気が私を襲い、それで身体が麻ひしてしまったのかも
しれないと思い、家族に助けを求めるために部屋を出なければと思いました。
なんとか顔と手だけが動かすことができたので、手だけを使って身体を引きずるように
移動しました。私の部屋のドアは、夜間は飼い猫がいつ入って来てもいいように
いつも10pばかり開けてあります。ですからドアを開くのはたやすいことでした。
私は廊下をずるずると這って行き、両親が眠っている部屋までやっとたどり着きました。
両親の眠っている部屋のドアも、猫が入って開け放したままになっていました。
(何しろ、猫が5匹。彼らは夜行性ですから・・・)
部屋に入ると枕を頭にして父がうつ伏せになってテレビのほうをみています。
テレビはもう、番組が終わったのか砂嵐のような画面になっていました。
私は父のそばまで這って行き、父の背後から、お父さん助けてと何度も何度も
呼びましたが、父は眠ってしまっているのかテレビのほうを向いたままでした。
それでも父は何かを言ったような気がしましたが、聞き取れません。
しばらく私は父に助けを求めて、父の肩を揺すっていましたがあきらめて
自分の部屋に来た時と同じように這って戻りました。
ベッドの近くまで来た時・・・・。
もう一人の自分がベッドの上に寝ているのを見つけたのです。
あっ、私が寝ている・・・!そう思った瞬間、私はベッドの上で目を覚ましました。
身体は節々が痛く、汗をひどくかいていました。
私は急いで起きると両親の部屋に行ってみました。すると、父がうなされていたのです。
私は身体を揺すってを父を起こしました。
目を覚ました父はぎょっとした顔で私を見て言ったのです。
今、おかしな夢を見ていて気味が悪かった・・・と。
それは、私がお父さんと言いながら後ろから羽交い締めにして首を絞めようとした・・
そんな夢だったと言いながら、ひどく怒っていました。
私は首を絞めようとしたのではなくて、助けを求めたつもりだったのですが・・・・。
たとえ夢であったとしても、父と私のこの奇妙な一致はなんなのでしょうか。
まったく不思議で、苦しかった体験でした。
それではまた御会いしましょう。
妖精の部屋の扉は、下のふくろうをクリックしてね。
Copyright(C), 1998-2009 Yuki.
禁・物語の無断転載