〜ゆうが語る、フォークロア〜
あの日、あの時の出来事はなんだったのだろう?
本 当 に あ っ た ちょっと不 思 議 な 話 |
80歳になるまで現役で機械の設計をしていた私の祖父が倒れたのは、
まったくつまらないことがきっかけでした。トイレに行こうとした祖父は足がもつれて
廊下で転び、大腿骨を骨折して寝たきりになってしまったのです。
祖父は寝たきりになると、まるで坂を転げ落ちるように急激に老化が進み
物忘れも酷くなって、まるで別人のようでした。
数ヶ月は自宅で介護をしていましたが、祖母の強い希望で
祖父は私の実家から3分のところにある病院に入院することになりました。
その頃、私たち家族は交代で毎日病院に泊まり込んでいましたが・・・。
ある晩、私が病室の薄明かりの中で原稿を書いていると突然祖父が目を覚ましました。
そして、病室の天井に向かって点滴の管のついた手を一生懸命振っています。
何事かと思っていますと、祖父は10年以上も前に亡くなった自分の兄の名を
つぶやいています。そして、見えない相手とまるで会話をしているように
うなずいたり笑ったりしているのです。私は原稿を書くのを中断し、祖父が見つめている
天井のあたりを見てみましたが、私には何も見えませんでした。
私がおじいちゃん、どうしたの?と聞くと「Tが今、来たんや」としっかりと答えました。
まもなく祖父は鬼籍の人となりました。
知らせを聞いて、徹夜覚悟で仕事しようとしていた私は、急いで家に帰りました。
看病疲れで倒れた母に代わり、弔問に訪れてくれた人の接待の合間に
原稿を書くという超ハードスケジュールです。それこそ気が狂うのではないかと
思うほどの忙しさでした。
通夜も終わり、棺の前でお線香を絶やさないように見守っていなければなりません。
寝静まった家の中でお線香番をしていると泊まっていた中学生の従弟が起きてきて、
なんか怖くなっちゃったので、一緒に起きてていい?と私の横に座りました。
しばらくの間、彼の学校の話や好きな子の話を聞いていましたが・・・・。
話しが途切れた一瞬でした。と、
「りーーーーーーーーん」
天上の音色ともいうのでしょうか、それは美しいリンの音が響き渡ったのでした。
私と彼は顔を見合わせました。
「今の、聞こえた?」私が言うと彼はなんとも情けなさそうな表情でうなずきました。
「今の、この音だよね、空耳じゃないよね。でも、なんで上から聞こえるの?」
彼は脅えていました。
おじいちゃんのいたずらじゃないのかな、そう言って私は彼を慰めましたが。
彼の初めての、この経験は相当インパクトがあったようで、
事ある毎に、あの晩のことを私に確認します。
あの晩、私と彼が聞いた音は、この世のものとは思えないほど美しいものでした。
できれば、もう一度聞きたいとも思いますが、それは不謹慎というものでしょう。
それでは、またお目にかかれる日まで。ごきげんよう。
今からお話するのは私が見た「夢」なのですが・・・・。不思議な経験でした。
その頃私の母は入院していましたが、医師から余命一ヶ月と宣告されていました。
余命は余命であって、いつ逝ってもおかしくないとも言われました。
私の家から30分ほど行ったところに、由緒ある深大寺というお寺があります。
開祖は天三大師、天台宗のお寺です。
このお寺は母の親族のお寺と同じ宗派でもあるので、私は機会があるとここを訪れ
周辺を散策するのを楽しみにしていました。いわば、なじみ、なわけです。
ところで、このお寺の境内の一角に「延命観音」という名の観音様が祭られています。
観音様といっても仏像があるわけではなく、
観音様のような模様が巨大な自然石に浮き出ているだけのものですが、
善男善女の、あるいは病に苦しむ人々の心の拠り所として信仰を集めているようです。
医師から母の余命を宣告された時、普段は思い浮かべもしないこの観音様を
思い出し、私は矢も立ても溜まらずお参りに出かけたのです。
母の病状は安定はしていましたが、予断を許さない状況でした。
医師から宣告された「あと、一月」の前の日の明け方、私は夢を見ました。
私が母の入院している病院へ行こうとして玄関を開けると
恐ろしい形相の老婆が立って母の名を叫ぶのです。
「S子はどこだ。迎えに来たぞ!」
夢の中の私は驚愕しまた。これは、あの世から母を迎えに来たのに違いない、
そう判断した私は、飛ぶように病院に走っていくと点滴をつけた母を背中に背負い、
町中を逃げ回りました。それこそ、息の切れる限り走りました。
母をここであの老婆に渡したら、その瞬間に母の命はないだろうということを
夢の中の私は何故か「知っていた」からです。しかし、悲しいことに
もう大丈夫と思って実家に戻ってきたところで「つかまって」しまったのでした。
母を連れていこうとする老婆に、私は土下座をしてお願いしました。
どうか、母を連れて行かないでください・・・・。私は必死でした。
心から願い、土下座を続けているとその老婆は私に聞くのです。
[お前はどのくらい待てば納得するのだ?」
「10年待ってください。まだ、親孝行らしきものをしていないのです」
私は頭を地面につけたままこたえました。
「いや、そんなに待てない・・」老人は言います。
8年、5年、3年・・・・と、なおも私は老婆に頼み続けました。
「では、一年は、一年はどうですか?」
老婆はまたしても駄目だという風に首を振りました。
私は泣きながら土下座を続けました。
「それでは、半年、どうしても、もう半年だけ生かしてください」
そこで、夢から覚めました。何とも嫌な夢でした。半年、半年といい続ける
自分の声に驚いて目を覚ましたのです。しかも、涙まで流して・・・。
私は急いで起きると母の病院へ飛んでいきました。この日は医師から宣告された
「一月」の最後の日でした。
覚悟して病室に入ると、母はにこにこと笑顔で手を振って私を迎えてくれました。
私は驚くと同時に嬉しさがこみ上げてきて幸せでした。
その頃の私は仕事を複数抱えており、心の中はかなり複雑でしたが
母の優しい笑顔を見ていたら、嫌な夢も何もかもを忘れることができたのです。
その後、母はきっかり半年後にあの世に旅立ちました。
医師は私に、あなたのおかあさんの病状は奇跡としか言いようがないと言いました。
あの状態で痛みを訴えることなく半年を過ごした患者を見たのは初めてだそうです。
しかし私は、あの時、どうして半年なんて言ってしまったのだろうと、
考えても考えても、残念でなりません。後悔することを潔しとしない私ですが、
これだけは、今でも悔やんでも悔やみきれない出来事のひとつとなってしまいました。
では、またおあいできますように・・・・。
これは私の死んだ母が子供の頃の話ですから、時代はかなりさかのぼります。
それは、ちょうど旧盆の頃。
町内では盆踊り大会が開かれ、小学校の校庭に組まれたやぐらの周りを大人も子供も
輪になって踊っていました。母も、もちろん浴衣を着てその輪の中にいました。
夜8時を過ぎた頃、誰かが叫びました。
「あっ、火の玉だ!!」
その声と同時に、誰かが指差す方を見ると、お月様よりも大きな火の玉が
ゆっくりと空から「降りてくる」のを見たのです。それは橙色で光っていたといいます・・・。
その火の玉は校舎の上空に浮かんでいたそうですが、
踊りを中断して皆でがやがやと騒いでいると、それはゆっくりと下降してきました。
子供も大人もいっせいに駆け出して、
その火の玉の降りてくるはずの場所へ急ぎました。すると・・・。
その火の玉は、消えていたそうです。
次は、親友の話です。
受験勉強の合間に、彼女は夜の風に当たりに庭先に出ました。
なぜか突然、ラジオ体操をしてみようという気になったんですって・・・・。
真夜中の午前1時過ぎ。屈伸して身体を起こすと遠くに何やら光るものが見えました。
何だろう?と思ってよく目を凝らすと、
映画やテレビの怪談で出てくるまんまの人魂が三つ。
ゆらゆらと闇夜の中で揺れていたのです。
その時、あまりの怖さに髪の毛が逆立ったような気がしたそうです。
それなのに、彼女は揺れる人魂を見ながらラジオ体操を最後までやりとげました。
そして、家族を起こさないように心の中で大声を上げながら家の中に逃げ込みました。
翌日・・・。彼女は散歩のついでに人魂の揺れていたあたりまで行ってみました。
引っ越したばかりで、まだ周辺を探検していなかったからです。
すると、目測で計って、この辺かなと見当を付けたところに来ますと
そこは小さな薮でした。
そこで彼女の見つけたものは、何基かの古い墓石だったのです。
それでは、またいつかお会いしましょうね。
シロがもらわれていったのは春になったばかりの頃でした。
家で飼っていた三毛猫が5匹の子供を産み、唯一のオスのシロ猫だけが一番始めに
貰い手がついたのです。シロがもらわれていってしばらくの間、親猫はいなくなった
小猫を探して鳴いて家中を探しまわっていたものです。
まもなく夏になろうとするある雨の夜・・・・・・。
私は遅くまで机に向かっていました。家族はもう休んでおり、家の中は静かでした。
「・・・・・ちゃん、・・・・・・ゆきちゃん・・・」
小さな細い声で名前を呼ばれて、私ははっと顔を上げました。
部屋のドアを開けて廊下を見ましたが家の中は相変わらず寝静まっています。
その時、何故そう思ったのかは分からないのですが、「帰ってきた」と思ったのです。
何かが、私を必要としている・・・そう思った私は部屋の雨戸を開けて外を見ました。
すると、私の部屋の窓の下に一匹のがりがりに痩せた灰色の猫が倒れていました。
私は急いで玄関から表に出ると、その猫を見に行きました。
猫は今にも死んでしまうのではないかと思うほど弱っていました。
それからの私は大忙しでした。バスタオルに猫を包み家の中に上げて
牛乳を温めて猫に与えると・・・猫は弱々しくも小さく鳴いて毛繕いを始めたのです。
翌朝猫を両親に見せると汚い猫を家に上げたので叱られましたが
私は一緒に飼うんだと言い張りました。
どうせ、家には親猫と小猫の合わせて5匹いるのです。
私は絶対に、この猫はシロだと言いましたが、父はそんなはずはないと言います。
何しろ、シロのもらわれていった先は車でも30分以上かかるところだから
生まれて半年も経っていない猫が帰ってくるわけはないと言うのです。
もっともではあります。
しかし、元気になった猫をお風呂に入れてシャンプーすると
灰色の猫は美しい白猫でした。ところが、まもなく、
私の留守中に白の貰い手の人が訪ねてきたのです。 その人が言うには、
いただいた猫がいなくなってしまったので代わりの猫が欲しいとのこと。
応対した母は、白猫のことは黙っていたそうです。それから猫もあげませんでした。
他の猫と仲良くじゃれて、母猫に甘える白猫がやはりシロに思えて不憫だったのでしょう。
反対した父でさえ、その頃には「白猫が帰ってきた」なんていう話を
近所の人や、仕事仲間にしていたぐらいですから。
その後、シロは、おじいさんになって死ぬまで我が家で暮らしました。
彼は猫の癖に水が大好きで、夏の午後、
庭の水まきを始めるとどこにいても飛んできます。
そして、大騒ぎしながらホースの先にじゃれて、ずぶぬれになる遊びが大好きでした。
助けた御礼のつもりか、よく鳥を獲ってきて私に見せに来ました。
私が困って「生の鳥は食べられないんですけど・・」
と言ったら、生きたネズミの赤ん坊をくわえてきたことがあります。
案外彼らには、人の言葉が通じているのかもしれないですね。
私はといえば、もちろん、その猫はシロだったと思っています。あの雨の夜、
私の名前を呼んだあの声は何だったのかはわかりませんが・・・・・・。
誰かが私を呼んだことは確かなのですから。
それでは、また。ごきげんよう・・・。
これは、私が小学校6年生だった時の出来事です。
当時、私の通っている小学校は朝は各班ごとに登校する決まりになっていて
下校時はそれぞれ自分の仲良しと帰るのですが、確か、月に一回土曜日
全校生徒の一斉下校というものがありました。私は班長だったので、
低学年の子供たちを責任持って送り届けなければならない立場にいました。
その日も私は子供たちの後ろから班の旗を持って歩いていました。
小学校の門を出て、緊張するのが大通りを渡るところです。無事に道路を渡り終えて
歩道を歩き出そうとしたところで、突然、本当に突然でした。
左足に激痛が走り、歩けなくなってしまったのです。
そのあと、足の感覚が見事に無くなってしまい、足を地面に着こうにも
どうにもならなくなってしまったのです。
仕方なく、私は片足でけんけんしながらやっとの思いで家に辿り着きました。
家に帰って母に訴え、足をさすってもらいましたが少しも痛みはおさまりません。
それどころかまったく足が麻ひして、引きずるようになってしまったのです。
母は、すぐに病院に私を連れて行きました。幸い、私の家は街中なのですぐ近くには
大きな病院がいくつもあります。そこですぐ検査をしてもらいましたが、
骨や筋肉に異常はまったくないといわれました。
しかし、現実に歩くことができなくなっていたのです。
とりあえず、薬をもらい、湿布を貼って包帯を巻いてもらって帰ってきましたが・・・・・。
かなりの激痛でしたが、泣いた記憶はありません。
むしろ、私は笑っていたように思います。 大人になった今でもそうですが、
私はその時の感情とは正反対の振る舞いをしてしまうのです。
その様子を見ていた母は、段々心配になってきたようで、
自分の姉に相談したようです。と、いうのも、
その後、私は母に連れられて伯母の家の近くにある変な家を訪ねたのです。
そこには、何人も人が並んで座っていました。
部屋の中は、何やら大きな祭壇がありました。私と母が部屋に入っていくと
先に座っていた人がどうぞと言って、祭壇の一番前に座るように薦めてくれました。
と、突然、お経が始まりました。
子供だった私は、足の痛いのを忘れて下を向いて笑い転げそうになるのを
一生懸命に我慢していたのです。なにしろ、木魚のぽくぽく鳴る音が面白い・・・。
突然お経が終わると、傍に座っていた人が笑い泣きを始めました。
「いったい、なにがどうなるのだろう・・・」私は、ただひたすらびっくりしていました。
その人の語り始めた話とは、こういうことです。
「わたしは、○○教の敷地に古から住み着いている狐だが、腹が減って仕方がない。
神様を祭っているところなら供え物の少しは食べられるかと思ったのだが
やつらは供え物どころか、敷地の中も荒れ放題にしてある。
毎日ひもじい思いをしているところで、
この子があまりにも可愛いので憑いてきてしまった。
この子に憑いていけばきっと何か食べられるのに違いない。この子には気の毒だが
この腹のおさまるまで、しばらくこのこについているつもりだ・・・・・」
私も母もびっくりしてしまいました。何故なら、私の家の裏には某宗教の建物があり
私はその庭に潜り込んでいつも遊んでいたからです。
そこは荒れ放題でしたが、草花が大好きな私には魅力的な遊び場でした。
それから一時間ほど、拝む人と、わめく人のやりとりを見ていました。
すると、「狐が降りてきた 人」は言いました。
「大きなおむすびと油揚げを2枚くれたら、この子から離れてもいい」
と、いうと、突然わめいていた人が普通に戻ったのです。
お経を読んでいた人に、もう大丈夫だから立ってごらん・・
といわれて立ち上がりますと・・あれほど痛かった足の痛みが消えていました。
しかし、足の感覚はまだ、戻っていません。母は家に帰ってくると、
言われた通り大きなおむすびと油揚げを急いで用意しました。
私はもう日も暮れていたのに、
一人でそのお供えを○○教の敷地にお供えしなくてはなりません。
どきどきしながら暗がりの中を分け入って、お供えを放り投げると
教えられた通り、後ろを振り返らずに走って帰ってきました。
そうです、走れたのです。
ついさっきまで、歩くことすらできずに片足で歩いていたというのに・・・。
この話はここで終わりです。
その後、一回だけ私は一人でその拝む人のところへ行きました。
良くなった御礼にお菓子を届ける為です。その人は私が来たことをとても喜んでくれて
私を可愛がってくれました。お経を詠んでいない時は、普通のおばさんだったのです。
でも、子供心にもなんで狐なんだろうと思いました。
野良犬すら見かけない街の中です。しかし、突然歩けなくなって、
なにやらわからないお経で突然痛かった足が治ったのも事実です。
私は「狐」を信じていませんが、思えば不思議な出来事でした。
では、またの機会にお会いしましょう。、
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