ゆうが語る、フォークロア
かねてより私が不思議に思っていたことがあります。
自分が霊を能う者としての自覚が多少芽生えてきた頃からの事ですが
私自身にはいわゆる、「法力」のようなものはないと考えているし、それらは
昔の高僧には数々の奇跡の伝承がありますから、確かにそれに似たような
事というのはあったのかもしれません。
しかし、自分を省みると自分はただの一介の小さな存在に過ぎず、
そういう自分が霊に向き合うということ自体予想もしないことでした。
これからお話する内容は、俄には信じがたい事、かもしれません。
しかし、私の中では厳粛な事実です。
このお話をゴーストに入れていいものかどうか、一年近く考えていました。
そして、これを書こうと思い至ったきっかけは、岐阜県で起こった集合住宅での
「幽霊騒ぎ」に他なりません。この件についてはテレビのニュースや週刊誌など
人々の好奇心を掻き立てる格好の話題になったので、ご存じの方もいるでしょう。
たまたま、私は朝、ワイドショーでそれを見ていましたが、そこには
「霊能者」と称する人々が何十人もやってきて「除霊」をする姿でした。
私はそれらの霊能者の方たちを批判するものではなく、ただ、私の場合は
こうなのだということをお伝えしてみようと思いました。
私はこれで一応仏教徒ですので、亡くなった母及びご先祖に挨拶をする意味で
香を焚き、朝晩念仏を唱え、気が向けば経をあげ手を合わせます。
また、仏教徒としては噴飯ものでしょうが、神棚に日本最古の神宮の神様を
お祭りしてお供えを差し上げ朝晩のご挨拶もしています。
数珠ももちろん持ち歩いていますが、それに頼るということはありません。
口紅や携帯電話を持ち歩くのと同じ感覚とでもいうのか・・・。まあそれぐらいの
意識で特別な感覚ではなく、生活必需品・身近な物になっているという事です。
ところで、私の場合ですが、「除霊・浄霊」を行う場合、大抵の事は私の信頼する
背後の方々にお任せしてしまってお終い。
それで解決がついて一件落着となることが多く、それは何故だろう?とずっと思って
いました。
これは、私がスピリットのコンテンツでお話した中にも少し書いてありますが、私の考える
霊能者とは、私自身がそうであるように特別な存在でもなんでもなく霊界の単なる窓口に
過ぎないのだと言っている所以です。
そして、私の理解する霊能者というのは、霊界とこの世を繋ぐいわばパイプのようなもの
だと思うに至りました。
さて、前振りがかなり長くなりましたがご容赦ください。
あれは、かなり前、ある問題を抱えた人が私の家にやって来た事から始まります。
多くの霊的な問題を抱えた人、とだけ申し上げておきましょう。
その人が帰った後、その人と話をした私の家のリビングにはその人の「置き土産」とも
いうべきものがたくさん渦巻いていました。
それは既に人の形をとっておらず、言うならば魑魅魍魎のたぐい。夥しい数のそれらは
リビングの天井あたりを徘徊しているのがはっきり見えます。
また、うちのきゅうちゃんも何かの気配を感じているようでした。
その始末をどのように、どうつけたらいいものか・・・、最善の方法を模索しているも
これは今年一番の難題だと思いつつ数日が経ってしまいました。
ある日の昼のことです。数日寝不足だった私は頭痛を覚えたので、午睡を楽しむことに
しました。そして、2時間ほど寝て気分も良くなったので起きあがりトイレに立ちました。
すると、トイレの扉を開けたところ、中には身長が140cmほどの壮年の男女が、しかもこの
暖かい陽気だというのに茶色の皮のジャンパーを纏うといういでたちで、その皮の皺まで
くっきりとみえる・・・そんな服装の男女がいたのです。
まだ完全に目の覚めていなかった私は、一瞬、泥棒だと思い、思わずその壮年の男女に
殴りかかりましたが、彼等はフッと消えてしまったのです。
まだ寝ぼけているなぁ・・・と、我ながらあきれつつもリビングの扉を開いた私は、今度こそ、
呆然としすっかり目が覚めてしまいました。
リビングには、昼寝をする前にはなかった障気のようなものがグルグルと渦巻き、部屋の
中を数日前からの懸案だった「置き土産」が縦横無尽に、いわば好き放題をやっていた
からです。その光景はさながら百鬼夜行とでもいうのでしょうか。
絵にも描けないおぞましさです。
私は一瞬身構えましたが、自然に口から出たのは私の背後の方を呼ぶある「ことば」でした。
これについては詳しい事はお話できませんが、私には背後の方と私を結ぶ、いわば・・・
「エマージェンシーコール」のような言葉があり、何かあった時や困った時はそれを言えば、
いつでもどこでも私を見守る方のどなたかが必ずやって来て力になるよ、というものです。
その言葉を口にした瞬間です。私は自分でも信じられない光景を見ることになってしまい
ました。
魑魅魍魎のような悪鬼ともいえるそれらの徘徊していた天井の片隅に、ぽっかりと銀色に輝く
穴が開き、その中から強いて喩えれば、ですが、さながら牛若丸のような格好をした少年の
ような「人」が現れたのです。
眩い光と共にあるその「人」が大きく手を振りかぶった瞬間、リビングに徘徊していた
夥しい数の物はその穴に音を立てて吸い込まれて行きました。
それは、5分ほど続き、全ては何事もなかったように穴も閉じその平安調の
格好をした人も光も消えました。
そして、リビングは数日前とはうって変わって清々しい空気に満ちていたのです。
正直、私はこの目で見た物の数の多さとその形相に恐れを感じていたのも事実です。
しかし、怯まず私は自分の背後の方に援助を求めました。
と、いうよりあの時の私にはそれしか方法がなかったのも事実です。
霊界の方はその私の訴えにきっちりと応えてくれたのでしょう。
その件があってからというものの、私は益々これらは全て自分の力などではなく、私の多くの
背後の方々の働きによる物だということを実感しました。
そして、除霊や浄霊が、自分の力だと錯覚や過信してはいけないと云う思いを
あらたにしたのです。除霊や浄霊・・・私の場合のその仕組みをビジョンとして
垣間見た一連の、しかし、荘厳な出来事でした。
これを読んでくださっている皆さんも、ご自分の背後にいてそっと見守って
くださる方に、時には心の中で話しかけ感謝の言葉を伝えたら・・・。
祈りは、必然性があり必要ならば必ず通じるものだと私は思っています。
頭を垂れ、許しを請い、謙虚であろうとする努力する魂に、たとえ、その肉体に
その声は聞こえずとも・・・。あの世の人が無言でいるはずはありません。
これが社会人であることを常に頭に置いて、けっしてエキセントリックに振る舞うことなく、
霊界と現世の中でバランスを保っている私の方法なのです。
ところで、これには後日談があります。
この日から一月ほど経った暑い日の事です。私は街にでかけ、買い物をし
デパートの前の歩道で信号が青になるのを待っていました。
そこで、今度こそ驚いたのは・・・・。
あの日、トイレの中に現れた壮年の男女とそっくりな人が私の前に立っていた
のです。身長も、140cmほど。あの時、そんな背の低い人は珍しいし
現実的ではないなあと考えていたものですが、現実に生きた人でした。
しかも、周囲は半袖などの軽装の人ばかりだというのに、皮のジャンパーを
着込み、見た目にも奇異な感じのする暑苦しい格好のその男女はかなり目
立ちました。
特に男性の方は頭の禿具合まであの日、見たものと一緒でした。
私は自分の目を疑いましたが。。。
その人たちは、まもなく信号が青に変わり、街の人混みに消えましたが
彼等が一体、何者なのだろう?という疑問は今でも持ち続けています。
しかし、わからないことは深く考えない(笑)。まあそういうこともあるだろう
というのが私です。
それではまたおあいしましょう・・・。
私には、仏壇の上に掲げられた写真でしか見た事の無い伯父がいます。
その弟である父によれば、山登りが好きだった伯父は19歳の時、小船で山間の
川へ船を漕ぎ出して川遊びをしている最中に、急流に呑まれ舟が転覆し行方不
明になりました。
長男が川で行方不明になった知らせを受けた父親、つまり私の祖父は警察の
捜索とは別に私財を投じて、当時としても語り種に成るほどの延べ200人の人夫を
雇い入れ、伯父が行方不明になった川周辺の山狩りをするかたわら自らも懸命に
伯父の行方を捜したそうです。
懸命の探索の結果、三日目に伯父は変わり果てた姿で発見されました。
伯父の遭難の様子は誰も見ているものがいなかったので、あくまでも推測の
域を出ませんが・・・。真実を知るのは山の自然のみという事になるでしょう。
幸福だった一家に突然訪れた事故。
跡継ぎの長男を失った祖父・祖母の悲しみが、誰の目にも明らかなのは
いうまでもなく、父によれば楽しかった暮らしは徐々に崩壊していった・・・のを
感じていたといいます。
これはそんな事実を背景に私が子供の頃祖母から聞いた話です。
長男を溺愛していた祖母は、息子が死んでからというものの家事もろくに
手がつかなかったといいます。(本人談)よく明治生まれの女は気丈だとか
芯が一本通っているとかいわれますが、当時としては珍しい一人っ子の祖母は
子供の頃からねえややばあやに囲まれ、自分では何一つすることもなく我が侭
一杯に育った人ですから、祖父を養子に迎えて結婚した後もろくに家の事は
しなかったと父から聞いていました。その祖母が何も手につかなかった・・・
という事は、すなわち本当に何もしなかったのだろうと思います。
子供の世話も雇い人任せで、残された父たちはろくに愛情もかけられた
記憶がないそうです。そして、毎日をただ、泣き暮らすだけの生活。
そうして一年ばかり過ぎた頃のことでした。
春の日溜まりの中で、祖母は気が向いたのか洗濯物を取りこみ
子供たちの衣類を畳みに広げ整理しようとしていました。
畳に正座して、膝の上に乾いた洗濯物を乗せ畳もうとしていると
ふと・・眠気に誘われて座ったままうとうとしてしまいました。
すると、仏壇のリンがリーンと音を立て部屋の扉がすうっと開いと思ったら
誰かが入って来た気配がしたのではっと目が覚め顔をあげると・・・。
部屋の中に、川で亡くなった伯父が立っていたのだそうです。
伯父はにこにこと笑いながら、お母さんただいま!と挨拶をしたといいます。
祖母はその姿を見て涙がはらはらとこぼれ、言葉も無かったそうですが。
伯父は、「私はこれからもう行かなくてはなりませんから、お母さん、いつまでも
お元気でいてください。皆の幸せを願っています」
といいながら敬礼をすると部屋の中から文字どおりかき消すように伯父の姿は
見えなくなったのだといいました。
私は祖母の膝枕に頭を乗せながらこの話を聞いていましたが、○○(伯父)が
立っていたのはその辺だよと言われて、しばらくはそこを避けて通ったものでした。
毎朝、伯父や御先祖に供物をあげるのが幼い頃の私に与えられた仕事の一つ
でしたが、仏壇に御線香をあげリンを鳴らすと伯父が出てきそうでよく後ろを
振り返ったものです。
そして、今思うのは、もしも伯父が生きていたら・・・。
私の父も母も、そして私もいまのような人生は歩んでいなかったように思います。
私は長女でしたから祖父母から家を継ぐように・・・と幼い頃からそれそこ散々耳に
たこが出来るほど言われ続けてきましたが、自分の人生は自分で後悔しないように
生きれば十分という両親の言葉を有り難く受け好き勝手をしています。
それでも尚、伯父が生きていたら・・・と大勢の運命を変える事となった人一人の
命の重さをかみしめずにはいられません。
それではまたおあいしましょう・・・。
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