ゆうが語る、フォークロア
数年前、A県にある知人の実家に招かれた時の事です。
知人の実家は地元でも名士といわれる家で古くからのしきたりを守り
信仰も大変篤く、私の実家と同じ宗派ながら朝晩の勤行をきちんと行うという
信心の態度には私も日頃の自分の振る舞いを反省する機会を得て、
随分学ばせてもらったものです。
知人の家では毎月決めた日に僧侶を招いて御先祖の霊を弔って
おりました。
私は冬の休暇を利用してその地方の寺社仏閣をみてまわったついでに
知人の家に泊めてもらいました。
知人の実家のご両親が夕食を振る舞ってくださるという好意に甘えて
私も喜んでご両親に会いに、その家に遊びに行く事にしました。
青畳の香りも清々しい、客間兼用の仏間に通された私は、まず
そのお家にお邪魔した礼儀として仏壇に御線香をあげさせていただきました。
茶の師範である知人のお母さんが点てたお薄を戴き、茶と茶碗を褒め
くつろいでいると私は手のひらに切るような痛みを覚えました。
その時、ちょうど知人が部屋に入ってきたので私はあなたのおかあさん
どこか怪我しちゃった?と尋ねると何でわかった?と聞き返されました。
その時、知人のおかあさんも部屋に入ってきたので思わず大丈夫ですか?
と聞いてしまいました。
知人のお母さんは、私にご馳走してくれるために、カニを食べ易いように
さばいてくれていて、手に怪我をしていました。
母親を亡くした私にはそれが大変有り難く、かつて私の母も娘が帰って来ると
冬の水の冷たさも厭わずいろいろな料理を作ってくれた事を思い出し
思わず知人のお母さんの掌を押し頂いてしまいました。
さて、知人はお母さんに「あの事」を聞いてみたら?と促しています。
知人のお母さんは幼い頃に産みの親を病気で亡くしたそうで
しばしば夢枕に立つのでそれがずっと気にかかっていたといいます。
私は知人の実家でそんな話が出るとは思わなかったので内心困ったと
思いましたがこれも何かの縁だろうと心を静かに落ち着かせました。
「・・・・?」それは、不思議な光景でした。
私に見えてきたのは、白い大きな蛇に巻き付かれて苦しげな表情を浮かべて
いる若い女性の姿でした。しかし、その蛇は実体がなく、乱暴な言い方をして
しまえば想像の産物のように思えました。
そこで、知人と彼女のお母さんに、白い蛇に巻き付かれている女性の姿が
見える。これは多分知人のお母さんのお母さんの今の状態だと思うが
この白い蛇というのは生きている人が無理矢理こじつけたもののようで
この為にこの人は成仏しにくくなっているようですよといいました。
(この場合、相手も仏教徒なので成仏という言い方が分かり易いと思ったので
敢えて成仏という言葉を使っています)
それを聞いた知人のお母さんは大変驚いているようでした。
と、いうのは・・・。
以前、知人のお母さんは母親が夢枕に立つので知り合いに紹介された
霊能者の元を尋ねて行き、自分の生みの親がどうなったか聞いた事がある
というのです。その霊能者は、自分の身体に知人のお母さんの生みの親を
「降ろし」、こう告げたそうです。
「自分は今、生前の所業により白蛇に生まれ変わって霊界で苦しんでいる。
どうか自分を祭って欲しい」と。霊が降りたというその様子はいかにも蛇のように
くねくねとした動きで何かとてもおそろしげで迫力十分だったようでした。
そのようなご宣託を受けた知人のお母さんは大変心を痛め、その霊能者の求め
るままに大層なお金を払ってお祭りをしたという事があったそうです。
私は、そんなばかな事がありますか・・・と思わずつぶやいてしまいました。
死んだ人間が何かに生まれ変わる事は、或いはあるかもしれない。しかし、
事もあろうに実体の無い白蛇に「生まれ変わって」いるなどというのは
そこからして矛盾があるのでないでしょうかという話をしました。
白蛇に巻き付かれているというのは、生きている人間の執着心や想いの象徴で
白蛇に生まれ変わってしまったと生きている人間がそれを信じ思い込む事で
かえって死んだ人間を苦しめている結果につながっているのではないだろうかと
知人のお母さんに言いながら、思わず熱がはいって
偉そうに講釈してしまうところでした。
知人のお母さんが夢枕に立った理由はもっとシンプルな理由でしょう。
幾つになっても子を想う親心といえるでしょうか。それに、
知人のお母さんの産みの親の女性が望む事はとても些細な事だったからです。
それを聞いた私はその人の望みを知人のお母さんに伝えました。
後は私の出る幕ではなく私の背後の方が力を貸してくれので
私にはなんにもする事がありません。
ただ、家の宗派が同じだった縁でお念仏を唱えお線香を上げさせてもらいました。
私は旅行から帰ってから仕事の合間にお経を上げましたが
間もなく、知人のお母さんが医者からはこれ以上は良くならないといわれた
持病が医者も驚くほど良くなったと聞き大変嬉しくなりました。
私は自分の背後の人達から、この女性(知人のお母さんの事)の病気は
治りますよ・・・と聞いていたのでそれをそのまま告げて帰ってきたのですが
早い展開に実は驚いていました。
何かを人から言われたとして・・・信じる気持ちはとても尊い事ですが
心霊に関しては特にそうですが、解決の道というのは案外自分の極身近に
示されているという事が往々にしてあります。
それを見逃さないだけの澄んだ心を常に持ちたいと、私も願っています。
それではまたおあいしましょう・・・。
今回のお話は、数年前に私の知人の家に起こった出来事です。
ある日の午後、仕事をしていた私はAから一本の電話をもらいました。
Aから電話の来る時は、決まって私は仕事に集中しているという間の悪さ。
内心面倒にも思いつつも仕事の〆切にはまだ一日猶予があるから
まあ、仕方ないかと気を取り直し話を聞く事にしました。
ひととおり互いの近況を世間話のつれづれに語り合った後
Aが実は、聞いて欲しい事がある切り出しました。
Aの語るところによれば・・・・。
Aは、現在(当時)御主人と子供とともに、彼女の実家に戻り
暮らし始め半年が経ったばかりだということ。
その数年前にAのお父さんは亡くなっており、お母さんが独りで一戸建ての
家に住んでいましたが、さすがに寂しくなり、孫とともに暮らしたいと望むので
団地を引き払ってAの実家に同居の形で入ることにしたのです。
Aの御主人の仕事場からはかなり遠くになりますが、御主人は同居に
快諾し、浮いたアパートの賃貸料の分だけ余裕が出来るから、それは
子供のために積み立てて将来の学資にしようということで新たな生活設計を
立て直したばかりでした。
Aが実家に戻った一月ばかりは何事もなく、実の母との生活は
楽しいことばかりだったそうです。
私は母親を亡くしていますから、内心Aの生活がとても羨ましく
また、良かったなぁと思いながらAの話を聞いていました。
ところが、当初、とても楽しかった生活が苦痛になってきたと言うでは
ありませんか。私は、心配になりどうしたの?と理由を尋ねました。
まあ、聞いてよ・・・と前置きをしつつAが語るのをさらに聞きますと・・。
彼女の御主人は勤務先がかなり遠い事もあって、帰りはいつも深夜でした。
深夜、夜食をとり入浴を済ませると午前2時を回ってしまいます。
これは、仕方の無い事でAのお母さんも承知して同居をはじめましたのに
最近は、ずっと厭味ばかり言うらしいのです。
一応、御主人の前ではそんなそぶりはしないのであるが、日中
顔を合わせている間、それこそ延々と彼女の御主人の悪口を言う。
その様子が、別人のようで怖い・・というのです。
Aの話は、なおも延々と続きます。これではたまらんと、私は電話を左肩に
置きワープロに原稿を書きながら彼女の愚痴を聞くことにしました。
さて、Aの話は続きます。ある休日の昼下がりのこと。
疲れきっていた御主人が二階で寝ていると耳元にお経のようなものが聞こえ
金縛りになってしまった・・・というのです。
そして、「おまえなんか、殺してやる」という声とともに男がのしかかってきた。
その時、Aは一階のリビングで母親とともに近頃家の中が気持ち悪いと
そんな話しをしていたそうです。
ようやく金縛りの解けた御主人は、ぐったりとして一階に降りてきました。
そして、Aに話があるんだけどと、Aを二階に誘い、
実は、「最近変な事ばかり起こるんだ」と打ち明けました。
仕事先の建物には以前から幽霊が出るという噂があって、自分もつい
この間それをみてしまった・・・と。同僚と雑談していた時、部屋にある大きな
鏡を何気なくみると見知らぬ髪の長い女性が映っていたのだそうです。
そればかりではなく、引っ越してきた当時は感じなかった変な気配で
夜もゆっくり眠れずいつも疲れているというのです。
話は少々はずれましたが、この夫婦の結婚には私がからんでいます。
というのは、これもある日の夜9時過ぎにAから電話がありました。
「実は、素敵な人と知り合っていいなぁと思っているんだけれどどうしようかなぁ」
そんな電話でした。私は、彼女に付きあいたいの?ときくとそうなんだけれど
一度も二人では話したことはなくて、数回仲間と喫茶店で話をしただけだから
電話番号は知っているけれど、電話をかけるようなそんな仲ではないし・・などと
もじもじしているので、きっぱりと言いました。
今すぐにこの電話を切って、彼の自宅に電話をすれば絶対にうまくいくよ、と。
しかし、彼女は「いや、この時間は彼は絶対にまだ帰って来ていないから、
電話かけても無駄だと思う。彼の生活時間帯を前に彼の仕事仲間から聞いた
からそれは、確かだわ」と。
私はしかし、Aに言いました。今日の遅い時間でも明日でもなく、今すぐに
騙されたと思って、電話をかけてみてごらんなと。
そして結局Aは、内心ドキドキしながら彼の家にはじめて電話をかけた・・
とこういうわけですが。一週間後、私がふとAはあれからどうしたかなぁ・・などと
考えているとかなりテンションの上がったAから弾んだ声で電話をもらいました。
「私達、結婚することになったの!」
これには、私ものけぞりました。Aによると、私に言われた通りにあの後すぐに
どうせいないだろうと思いつつ電話をしたら、たまたま仕事がひとつキャンセルに
なって、彼が家にいたのだそうです。で・・・。それから意気投合し朝まで延々と
9時間も電話をして、それでも話し足りないというので会うことにし、毎日
仕事の合間にデートをしてプロポーズされた(!)というのです。
そんなわけで、その後、周囲が驚く中、電撃結婚式を挙げました。
Aの御主人も、彼女を綺麗な人だなぁと思っていたらしいのですが
自分の事をこんなにいい女が好いてくれるわけはないから・・と縁の無い人
だと思おうとしていたところにあの夜の電話があり、その電話のきっかけが
私であったというのをAから聞かされていたものですから、暇な時にゆうに
今回のことを話してみて欲しいと言っていたのだそうです。
さて、横道にそれましたが。
家の中の妙な雰囲気といい、様々な出来事といい、母親の変貌ぶりといい
一体どうしたものだろうか?とAは不安がっていました。
私は再びワープロに向けていた精神をAの話す電話に集中しました。
「あっ、なんだ・・・、あなたのお婆ちゃんがちょっと腹を立てているよ」と
まず、私は彼女に伝えました。
「なんか、最近・・・。ここ二週間以内の事だけれど、Aちゃんのお母さんが
何か、御札だと思うのだけれどそれを家の中に持ち込んで信仰しようとしている
から、空海さんを信仰していた代々を代表して、亡くなったお婆ちゃんが
それだけは止めてもらいたがってるし、その御札の信仰元はろくなものじゃない
から、今すぐその御札を剥がしたほうが無難ですね」
と、理由を説明しました。
Aは、そんな御札はないはずだけれど?と訝りつつも、家の中を調べてみる
といって、いったん、電話を切りました。
しばらくして、またAから、今度は暗いひっそりした声で電話がありました。
その内容はある意味で戦慄を覚えるほどの予想外の事でもありました。
というのは、Aのお母さんはAのお父さんである夫を亡くした後
家の宗教とは別の密教系の新興宗教に誘われるまま何度か行き
「霊能者」と称する人から先祖供養の御布施として、彼等に求められるまま
合計200万もの大金を差し出していたのです。
Aは御札があるからという私の話に家の中をそんなものがあっただろうか?
と思いつつ各部屋を探してみたら、リビングキッチンの目立たないところに
こっそりと御札が貼ってあるのを発見し、これは何?と母親に問いただすと
実はねぇ・・といって、Aのお母さんが告白したということでした。
そして、御札を貼ったのがほんの10日ぐらい前だったかしらねえと言ったとか。
その御札の本尊は、Aにはわからないというので私は
「多分、それは荒神様でしょうね、今、聞いてみてよ。」と言うと、彼女は
電話を置いてお母さんに聞いています。再び電話口に戻って来た時に
どうもそうらしい・・・とますます落ち込んでいました。
私はAに、御主人に起こった事や他の様々な出来事の原因は
そこに集約されるけれど、本質は日常の自らの心にあって金縛りや幽霊の
出現などそれらを恐れる必要はないと励ましました。
荒神様や他の御本尊様などは、信仰の対象であるとしても札に描かれたものは
象徴であって、例えどんなに立派な神仏の姿をしていようとも真理を伴わない
のであれば、それはまやかしであると話しました。
Aの場合、代々の家の菩提寺の信仰があるにもかかわらず、同じ系統の宗派だと
勘違いしたAのお母さんが「霊能者」と称する詐欺師に心の隙をつかれて
200万円もの大金を御布施させられたのでした。
本来、信仰の中の御布施の心は尊いものです。しかし、私達は「因縁霊」とか
「御先祖が成仏していない」などと人の恐怖心を煽りながら、何やかやと理由を
つけて金銭を要求するそのおかしさに気づく平常心を失ってはなりません。
Aが御札をどうしたらいいか悩むので、私はそんなもの、剥がしちゃっても
なんの問題もないはずだしそうするべきだと言いましたが、Aのお母さんは
剥がすのをためらっていました。
私はしばらく考えたのち、
では三日ほど経てば、お母さんは自分で御札を剥がすから。
その他の事もまあ、あまり心配しないで
大船に乗った気でいて、まかせなさいよと応えました。
ただし、言いにくいけれど気になるのは、この御札の件と関連して、今仕事に
行っている御主人が今日の夜、自動車の事故に巻き込まれる可能性があるので
一言、さりげなく注意を促してもらうよう伝えました。
後で聞くとAは、仕事先にいる御主人の携帯電話に電話をしたそうですが、
ある幹線道路を走行中、嫌な予感がしたので車を端に寄せスピードを
落とした時にAからの電話をもらったそうです。
電話に出た御主人はやや興奮した様子で、前方で車の衝突事故があった、
嫌な予感がして車のスピードを落とした時電話があって、電話がなければ
そのまま、また走り出して巻き込まれたかもしれないと話していたそうです。
その後、御札はお母さんが自分で突然、こんなものいらないわといいつつ
自分の手で剥がしたそうです。
また、そのAのお母さんが200万円もの「御布施」をした宗教の代表者は
逮捕され、被害者の多さとその被害額で一時社会問題になりました。
馬鹿馬鹿しいのは、マスコミの報道によるとそこの「霊能者」というのは
全くの素人。相談者の悩みに添ったマニュアルがあって、相談者の話を
聞くふりをしながら巧みに家庭の事情を探り出し、それによって相談者に
「因縁」「霊障」という言葉で御布施を要求していたというのです。
さて、信仰する心は尊いものです。しかし、両目をしっかり見開き、自分の
足でしっかりと踏み出した時にはじめて、信仰は手助けしてくれるもので
あると私は考えています。
また、まやかしのものに自分の心の安息を求めるような、そんな心の隙に
一部の人達が恐れている「悪霊」というものが忍び込んでくるのだと思います。
もしも、今現在悩んでいる方がこの話をごらんになっているとしたら。
どうか、いたずらに恐怖せず常識ある心で見渡してみてください。
神仏は限りない慈悲で私達を見守っていますが、敢えて言えば私達に
求められているのは、御布施の多少や金銭の大小ではありません。
あくまでも、明るい光の中で真っ直ぐな心を持って胸をはって生きて行く、
そんな姿ではないでしょうか。
そんな事をあらためて思わせてくれた出来事でした。
それではまたおあいしましょう・・・。
今回の物語は掲示板(お魚通信)に書き込んだ物を一部手直して
転載した物です。
皆さんは、幼なじみの死を体験した事がありますか?
それは遠い記憶の中にあって、しかし哀しみと鮮烈な印象を伴って
決して忘れる事が出来ない思い出です。
あれは、私が小学生の時の事でした。
私の通う小学校では6年生になると修学旅行がありましたが
その行き先は、日光東照宮・華厳の滝がコースでした。
これは、私の二学年上の生徒が修学旅行に行った時の出来事です。
私の家の近所にHちゃんという男の子がいて、
彼に可愛がられていた私は学校が終わるといつも遊んでもらいました。
その年の秋、Hちゃんの学年が修学旅行にでかけ、
華厳の滝を見学している時に・・・なんと、滝壷に男性の死体が浮いているのを
生徒達が発見してしまい大騒ぎになったのです。
最初にその死体を発見したのはHちゃんの班だったのですが、
当然ですがそれはもう大騒ぎになりました。
引率の先生方は警察に通報するやら何やら・・・生徒達は興奮するし・・。
結局、旅行は後の日程をキャンセルして皆は帰ってきました。
なんとも大変な修学旅行になってしまったもので、しばらくはその話で
町中がもちきりでした。
当事者の一人であるHちゃんは、私の通学班だったので
朝、学校へ行くときにその話を何度も聞かされました。
最初に死体を見つけた時は人形かマネキンか何かが滝壷に浮いているのだと
そう、思ったそうです。
そしてそれは、滝壷の水飛沫に揺られてちぎれかけた腕が、
まるで「おいでおいで」をしているように見えたのだそうです。
Hちゃんは、滝壷に揺れる死体の「おいでおいで」を身振り手振りで
臨場感豊かに話すので、想像を掻き立てられた下級生は
泣き出した者さえいました。
後で分かったのですが、滝壷の死体は行方不明だった男の人もので、
自殺らしいということでした。当時、華厳の滝は三原山や錦が浦と共に
自殺の名所だったのです。
この時の騒動は、新聞にも小さく出ていた記憶があります。
(小学生だけれど、新聞は読んでいた)
忘れもしない、半年後の4月○日のことです。
Hちゃんは中学生になり、もう以前のように遊んでもらう事もなくなりました。
その日、私が玄関を出て通りを見ていると、Hちゃんと隣のお兄さん、
そしてもう一人が自転車で道路を渡ろうとしている所を見かけました。
よく晴れた春の日のことで、三人の影が道路に映っているのに・・
Hちゃんの影だけがなんか薄く見えました。
あの時の不思議な感覚は、言葉では言い表わせません。
私は、家の中に入って母にHちゃんの影が見えないんだよ〜って、
教えましたが笑われてしまい、その時の事はもう忘れて
おやつを食べて小さな妹と遊んだりしながら過ごしました。
夕方になって、父がこわい顔をして私の部屋に入ってきました。
「いいか、良く聞きなさい、Hちゃんが、死んじゃったよ。」
そう言う父の顔は真っ青でした。
何故ならば突然のHちゃんの死は彼のお母さんから正気を奪い
哀しみのあまり行方不明になってしまったため
Hちゃんのお父さんに頼まれて探しに行った父は、踏み切りで
ぼんやりと立っているHちゃんのお母さんを発見して連れ戻し、
家に戻って来た所だったのです。
Hちゃんのお母さんは私の父の姿を認めると大声で泣き叫び
7分毎に通過する電車の一つに飛び込もうとしたといいます。
Hちゃんは、昼間私が見かけたすぐ後、別の大通りで信号の変わるのを
待っていた所を歩道まで押し寄せてきたタンクローリーに
自転車ごと引きずられてしまったのです。即死でした。
夜になって私は父に連れられて、Hちゃんの家に行き、
病院から戻ってきたHちゃんの亡骸にお線香を上げました。
彼は顔中に白い包帯を巻かれてまるで眠っているようでした。
初めて友達を亡くした衝撃は言葉では言い表わせません。
告別式では彼の同級生の参列があり道には人が溢れました。
棺を見送った子供達に配られたキャラメルとチョコレートをもらうのを
私は泣きながら拒否しましたが、「供養になるからもらいなさい」とか
「ねっ、きっとHちゃんも、もらって欲しいのよ」
という大人の言葉に無理矢理受け取ったもののとうとう食べる事は
出来ませんでした。
それから5年経ちました。
もう、その時は、あの日お菓子をもらうのを拒んだ私はいませんでした。
なぜならば、毎日が楽しい事で溢れていたからです。
そんな夏のある晩のことです。私は自分の部屋の中でHちゃんが
生前の年格好のままに、おぼろげな姿で宙に浮いているのを見ました。
そして私を彼だけが私につけたあだ名で呼んだ後・・・
(そのあだ名は私は嫌で仕方なかったものでした)
「またな」と言って消えました。
またな・・・は、その後ありませんでしたが・・・・。
Hちゃんが入学して通う事はなかった中学校には、Hちゃんの事故の賠償金を
彼の両親が全額を学校に寄付し、そのお金で造園された
「憩いの園」というのが作られました。
私がその中学に入った頃は、生徒達の楽しい遊び場になっていたものです。
千人余在籍する生徒の中で「憩いの園」の由来を知っているのは
たぶん私一人だったと思います。
何故ならば、彼の両親が由来を公にするのを望まなかったからです。
そんな私の、子供の頃の話です。
それではまたおあいしましょう・・・。
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