ゆうが語る、フォークロア
今回お話しするのは、つい最近私が体験したそれは切ない出来事です。
事は我が家のQちゃんが、東北地方のある都市へ出張した事からはじまりました。
その仕事はQちゃん名指しではありましたが「楽勝」の仕事の部類にはいり
翌日に仕事を持ち越す事もなくその日の内に家に戻る事が出来ました。
ただし、今思えば帰途についた頃からそれは始まっていたのかもしれません。
人はそれを偶然・・・と呼びますが。
仕事が簡単に済んだので本来なら夕方の早い時間に家に帰り着くはずでしたが、
人身事故で中央線がストップしたため、Qちゃんが回り道をして帰って来たのは
夜もかなり遅くなってからでした。
「只今、これお土産だよ〜」と言って差し出したのは私が一度は食べてみたいと
楽しみにしていた牛タンの味噌漬でした。
「・・・・?」お土産を受け取った時、私はふと何かの気配を感じ、
半ば冗談まじりに他の「お土産」もつれてきちゃったね・・と言いましたが・・。
それがあのようなことになるとは、その時は想像もしていませんでした。
その夜は遅い夕食を済ませひととおりの事を済ませるともう深夜でした。
寝室へ入り電気を消し、寝る体勢を整えたのですが、、、。その時、
Qちゃんの背中にオレンジ色の光の棒が突き刺さっているように見えたのです。
私はその事を言いましたが出張で疲れていた彼はまもなくいびきをかいて
眠ってしまったようでした。いびきがうるさいな!と思って彼を見ると彼の薄く開けた
口もとに小さな火の玉のようなものが二つ、まるで口の中に入ろうとしているかのように
見え、その瞬間Qちゃんがひどく奇妙なうなり声を上げたので私は慌てて彼を
起こしました。彼は半分寝ぼけているのか、どうしたの?と問い返すとまた
眠ってしまったのでした。
それからの私は、疲れているのに眠気は吹き飛んでしまい何度も闇の中で
寝返りをうち、早く朝にならないかなとそんなことを漠然と考えていたのです。
その時、部屋の中でフローリングの床をスリッパかなにかで激しく叩き付けたような
パーンっ!というような大きな音が響き渡りました。
寝室にはチェストとドレッサー以外は置いていないのでその音源は不明です。
電気を点けてみても異常はありませんでした。
しかし、電気を消すとまたパキンという音が響き渡りました。
そして私は・・・次に、「おかあさん・・・」と母を求めるかのようなか細い男の子の
声を聞いたのです。
その瞬間です。私の目の前に広がった光景は・・・
流れに飲み込まれていく襤褸の絣のような模様の着物を着た子供の姿と、
場面は突然変わって右腕を誰かにつかまれてひきずられていく子供の身体が
見えました。
それはどうも冬のような景色だというのに子供はやせ細り、粗末な薄い着物を纏って
いるだけの哀しい姿でした。
さて、いったいどうしたものかなぁ・・・と私はしばらく考えていました。
私は私がいつも自分ではどうにもならない危機が訪れると決まって何となく力を
貸してくれる「向こうの人達」に話し掛けましたが、応えてはくれませんでした。
それもそのはず、実は私は人の悪口を心の中でわめくという不徳の致す所により
数日前から反省を促されていたのです。(このあたりの詳細は略)
いつも聞こえる声が聞こえないというのは変な感じです。しかし、正直をいうと
これで、煩わされることもないな・・と、私は聞こえなくてラッキーという気持ちも
ないわけでもありませんでした。
しかし、このままでは落ち着いて眠る事が出来ないな、困ったなと思っていると
「困りましたねぇ」というあきらかに困惑したかのような「向こうの人達」のひとりの声が
私の独り言にまるで相づちをうつかのように、しかも同情を伴った響きすら
感じさせる声で応えてきました。
困りましたねぇと言われても私が困る。このままでは朝まで眠れないではないかと
少々腹が立ちましたが・・・。
これは人(?)に頼らず自分で始末しなさいということなのだろうと理解しつつも
さらに考えあぐねてしまいました。
それからしばらくの間、闇の中で私は目をつむったまま、自分の心を整理して
いましたが・・・。
先ほどのオレンジ色の光のような棒といい、火の玉といい・・・今の声といい・・。
それらを思い起こしていると自分ではどうにもならないほど激しく苦しい、
何やら心の奥底から深い悲しみの感情が湧き上がってきたのです。
私の心が騒いだのは次に声を聞いたときでした。
「腹、減った・・・」
切々と響いてくるその小さなか細い震えるような声に、私はいたたまれなくなり
胸がつぶれるような想いでいっぱいになりました。
たまらなくった私は今度こそ飛び起きて、隣のQちゃんを起こしました。
私はそのままリビングにQちゃんを引っ張って行きながら訳を話し白湯を茶碗に
汲んでもらうと共に、私は残りもののご飯でお結びを作りました。
保温したあったご飯は私の手を熱く焼きましたが、そんなことはどうでもいい。
私は悲しみでいっぱいになりながら、小さくお結びを握り
「もう、お腹が空く事は今日でお終いよ、早くこれを食べて行かないとね」
と幼い迷える魂に話しかけていました。
そして、飴玉を添えて寝室のドレッサーの上に置いてから、
しばらく私はヘッドに腰掛け神仏に祈り、そして加護を求めていました。
もしも、私の見たものが幻想でなかったとしたら・・・。親に捨てられた記憶、その
悲しくも恐ろしい呪縛から一刻も早く解き放たれるようにと。
気がつくと朝日が昇り、私は何時の間にか数珠を握りしめながら
横になって眠ってしまったようでした。
それは全く、爽やかな朝でした。
深夜に感じたどんよりした気配も綺麗に消えていました。
私達は2時間ぐらいしか眠っていなかったのに疲れはありませんでした。
その夜、前日の出来事を振り返って話しているときにQちゃんは言いました。
「実は、X駅に到着して新幹線のホームに降り立った途端、
なんともいえない悲しい空気に自分が包まれているのを感じたんだ。」
そして、クライアントへの道程には大きな川があり、そこを通った時
何気に橋を見たら「児捨川橋」と書いてあったというのです。
「児捨川」
ここで何があったのかは私には知る由はありません。後で調べてみましたが本屋に
並んでいる程度の書籍にはこの川の由来を見出す事は出来ませんでした。
しかし、この日本で、今私達が生きている時代とはそう遠くない昔に、
その地域では慢性的な貧しさや生活の厳しさに生きるためにやむなく子供を
「口減らし」するのが当たり前のように行われていたという影の史実を思い出しました。
郷土玩具のこけしは、一説には「子消し」とも書くそうです。
自らの手に我が子をかけなければならなかった親が子供の姿に似せて
作ったのがはじまりなのだというそんな哀しい話しも聞きました。(出所不明)
それにしても・・・何故Qちゃんについてきちゃったのだろう?と私は素朴な
疑問を彼に言うと・・・。
実は、子供たちが付いてきたそうな気配を感じていたので、これも縁だと思って
「一緒に来たいんだったらついておいで。」
と心の中で話しかけたというのです。なんともはや、呆れて言葉もなく
その後、わたしが拳骨をみせたのは言うまでもありません。
「昼はおのおの遊べども 日も入相のそのころに 冥途の鬼があらわれて
幼きもののそばに寄り やれ汝らはなにをする 娑婆と思って甘えるな
ここは冥途の旅なるぞ 娑婆に残した父母は 今日は七日や二七日
四十九日や百か日 追善供養のその暇に ただ明け暮れに汝らの
形見に残せし手遊びや 太鼓人形風車 着物を見ては泣き嘆き
達者な子供を見るにつけ なぜに我が子は死んだかと むごや哀れや不憫やと
責め苦を受くる種となる 必ず我を怨むなと 言いつつ鉄棒振り上げて・・・・」
賽の河原地蔵和讃より、一部抜粋
それではまたおあいしましょう・・・。
今回の話は、ネット上で「弟のように可愛がっている」Tちゃんの
眠れぬ夜のつれづれに、メールで語ってくれた彼の高校時代の話です。
以下は、彼の言葉で語ってもらう事にしましょう。
当時、私は入学した高校が『男子校』という誠に忌まわしいところでありましたので、
ついつい学校から足が遠退き日々遊び場を探しておりました。当然、同じような
輩も多く、彼等の溜まり場の一つである下宿が今回のお話の舞台です。
その下宿は私の通学路にありました。
その名も『青雲荘』・・・・。
下宿といっても、管理人が居るわけでもなく、一部屋がすべて四畳半、
共同の炊事場に、共同トイレ・・と言った作りでした。
その当時(19年程前かな?)としても「かなり」な建物でした。
ところで、その下宿の入り口から一番近い部屋が私達の溜まり場でした。
もともと、その部屋には管理人が住んでいたらしく、他の部屋とは少し離れていたので、
私達がいくら騒いでも他の部屋には迷惑がかからなかったようです。
で、そこがどうしたというと・・・・とにかく「出る」んです。
例えば・・・閉め切った部屋でカーテンがゆれる、ドアが勢い良く開く、閉じる。
廊下を誰かが走り回る・・・・。もちろん、誰もいないのに(^-^;)。
不思議なもので、そういった事があまりに頻繁におきるので、
誰も何とも思わないんですね〜。「あっ、まただ。」ぐらいで。
まあ、本当かどうかわからないんですけど、
溜まり場の家主の「ゆきちゃん」♂に言わせると・・・・、その部屋の真正面に
2つ並んだ共同のトイレがありまして、入居した当時右側のトイレに
「オフダ」が貼ってあったそうです。
ところが、「ゆきちゃん」♂は熱心な某宗教の信者でありまして
宗派が違う!とのことでオフダを剥がしたらしいんですね。
噂ではノイローゼになった女子学生がそこで自らの命をたったとか・・・・・。
今、『青雲荘』はビルになってしまいました。
一階のテナントはすぐ入れ替わります。
私は密かに「ゆきちゃん」♂が御札を剥がしたせいだと思っています。
いかがですか?
私は一人暮らしをした事が無いのですが、こういう類いの話はよく聞きます。
ある友人などは、顔を真っ青にして私に訴えました。
「出る・・ねん。」私がどうしたの?と聞くと
「家が、家が、回るねん・・・」と。彼はお酒は飲まないので酔って
目が回ったのではもちろん、ありません。
私は彼が話したくない事を無理に聞き出す事も無いので、それ以上は
好奇心を満たすための質問は避けました。
私は密かにそういうものに遭遇した人達が青春時代のある時期に起きた
経験を新たな都市伝説として 語り継いで行く様を思い浮かべています。
では、今回は軽い話題で失礼致します。
それではまたおあいしましょう・・・。
これは以前、私の友人から聞きました。
友人が家に帰ってくると、家は無人。外出中の家族は誰も帰っていなかったそうです。
友人は夕方の薄暗い階段を電気を点けながら二階の自分の部屋に入りました。
カーテンを引いてある室内は真っ暗で、暗闇に目が慣れていなかった友人は
蛍光燈のスイッチを入れようと電灯から下がっている紐を探しました。
しかし、真っ暗な室内では暗闇の宙に紐を掴もうとする自分の手が空振りするばかり
でした。イライラしがら紐を手探りで探しているその時、白い腕が紐を手繰り寄せる
かのように友人の目の前に現れたんだそうです。
友人は、なあんだ、誰か帰って来ているんじゃないの。人を脅かそうとしてっ・・!と
笑いながらその紐をひっぱり電気を点けました。
しかし・・・、室内には誰もいなかっそうです。
ある晩のことです。
国道へ続く一本道を歩いていると、向こうから年を取ったお婆さんが何かを引きながら
とぼとぼとこちらに歩いて来るのに行き合いました。
そのお婆さんはリヤカーを引いていたのだそうです。
今時、リヤカー!しかも、こんな時間に・・・。
大変だなというよりも珍しいな・・と思いつつ、友人はそのお婆さんとすれ違いました。
友人は、リヤカーに何が入っているのだろう?と思い、振り返ってみました。
しかし・・・。たった今すれ違ったばかりだというのに・・・・、
そのお婆さんの姿は忽然と消えていたそうです。
住宅街の一本道は、曲がり角もありません。
振り返った友人が見た物は夜の闇だけでした。
今回は私の体験ではありませんでしたが、この類いの話はたくさんあります。
ただ、それだけ・・・というそんなお話でした。
それではまたおあいしましょう・・・。
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