ゆうが語る、フォークロア
これは私が高校生の頃の夏休みの或る日の出来事です。
8月の或る蒸し暑い夜でした。
私はベッドの中で本を読みながら何時の間にか眠ってしまい、真夜中に蒸し暑さで
汗をかいてその不快感で目を覚ましました。
本を読んでいるうちに眠ってしまったので、私は開きかけの本の上にうつ伏せになって
不自然な格好で何時間かいたためか、目を覚ました時は首がひどく凝っていました。
起きようとしても首も肩も固まってしまい、何か変でした。
おかしいな?と思って半分寝ぼけていた私は首の凝りをほぐそうと自分の首のあたりへ
手をかけようとしたら、何かぶわぶわしたものが手に触りました。
あまり現実的ではないのですが、うつ伏せになっている私の上に飼い猫が
乗っていると思ったのですが、それは猫の感触ではありません。
「?!」私はその時はっきり目を覚まし、ひどく驚きました。私は首に付いている
その「何か」を手でつかんで、思いきり引っ張りました。
得体の知れない物が首にくっついている気味の悪さ。それはなんとも形容のし難いもの
です。やっとの思いでひっぱると「それ」は私の首からすうっと離れました。
「何?これ?」私は自分が手にしたものを見て驚き、それを思わず手放しました。
それは、子供の頃よく遊んだビニール風船のようなものであり、私の手から離れると
オレンジ色のテニスボールほどの大きさになって部屋の中を漂っています。
ちょうどろうそくの灯かりのような、頼りなげな光を放ってゆらゆらと揺れ
ベッドに寝たまま驚いている私の方に飛んでくると、オレンジ色の光がほんの少し
赤くなりました。すると・・・。
その光の中心からか細い声で「おねえちゃん・・・、おねえちゃ・・ん」という子供の
声が聞こえたかと思うと、そのオレンジ色のボールはすうっと消えていきました。
気味の悪くなった私は、汗をかいて寝苦しかったのですがそのまま夏掛けの布団を
かぶって寝てしまうことに決めました。
翌朝、私は母に昨夜の出来事を話しました。
すると母は、もしかしたら、それは生まれて間もなく死んだ私の弟かもしれないね・・
と言いました。
私には生きていたら二つ違いの弟がいたはずだったのです。
もしも、その弟が生きていたら、私の人生も全く別のものになっていたはずです。
人生や歴史に「もしも・・」はないと言いますが・・・。
この頃年老いた父を考える時、私はあの時のことを思い出します。
それではまたおあいしましょう・・・。
母が亡くなる数年前、こんなことがありました。
その頃母の趣味は俳句と家庭菜園で野菜作りに精を出すことでありました。
もちろん、素人ですから大した収穫はありませんでしたが、それでも、不格好ながら
季節の色々な種類の作物をつくり、私もその力強い野菜の味に驚いたものです。
その畑にしていた土地は、母の兄つまり、私の伯父ですが伯父がやはり何を
思ったのか衝動買いした土地だったのですが、買った後で住宅が建てられない土地
であることがわかったので草を生やしておくよりは何か植えようということで
菜園にしてしまったという土地でした。
では、何故、そこを買ったのかというと、その土地の隅に見事な栗の木が一本あった
からだというのです。その大きな栗の木は、家庭菜園にしている土地に心地よい
木陰を作っていましたし、伯父はその栗の木を気に入って自慢にしていました。
夏のある日の午後のことでした。
私は母から電話をもらったのですが、母の様子が何かおかしく話を聞いていても要領を
得ないので、私は妹に電話をして何があったのか聞き出して欲しいと伝えました。
気丈な母を取り乱させたのは、その家庭菜園で前年に亡くなった母の姉の幽霊を
見た事件だったのです。
母の姉、私にとっての伯母は、伯母の娘婿の百か日の法要の席で心臓麻痺で
突然亡くなって、当時は大騒ぎになったのでしたが・・・・。その伯母が家庭菜園で
草むしりをしていた母の目の前に突然現れたのだそうです。
そして、驚いている母の手に自分の手をかけるとそのまま消えた・・というのでした。
時に、蝉の音が賑やかに降り注ぐ夏の午後2時過ぎの出来事でした。
妹の話を詳しく聞いているうちに、私の胸の中は嫌な予感でいっぱいになり、
しばらく思いあぐねてはいましたが、その頃の私の生活は仕事が中心に回っており
まあ、あとでなんとかするからいいやと軽く考えていました。
今思えば、もっと母の話しに耳を傾けていれば良かったと。後悔の念はつきません。
その頃、これは後で聞いてわかったのですが、菜園にしている土地の持ち主である
伯父は、やはり同じ頃草むしりに来ていて、ひょいと栗の木を見ると誰かが
手招きをしているのに気が付きました。
近所には民家が数軒点在しているだけなので人の土地に勝手に入って来て誰だ?と
伯父は少々腹を立てて近寄って行くと、それは大昔に死んだ伯父の父だったのです。
伯父や母の父、つまり私にとっては祖父にあたりますが、私はこの祖父が死んでから
生まれたので私は祖父は写真でしか知りません。
その祖父は、伯父に向かって懐かしそうに笑いかけると伯父に背をむけて栗の木の下
に消えた・・・そうです。伯父は父親があんな風な姿で、つまり笑いかけて自分の前に
姿を現したとなると、これはあの世からのお迎えが近いだろうと思い、遺書まで書こうと
準備をはじめたそうです。
何故なら、祖父は大層厳格な人であり、これは母から聞いた話ですが祖父の笑った
顔を見たことがないと言っていました。そして、母の兄達がいたずらをしたりすると
祖父は先祖伝来の刀を持ち出し、御先祖に申し訳ない、お前を切ったあとワシも
腹を切ってお詫びすると・・。その度に祖母は子供たちに代わって土下座して謝り
事をおさめたのだそうです。恥をかくより死を選ぶ、そういう人で、とても子供たちが
逆らえるような人ではなかったのだそうです。
そんなわけで、母の兄達は切腹の作法まで教え込まれると同時に逃げ足が速く
なったといっていました。伯父は栗の木の下の出来事を一人の胸にしまっておくつもり
だったのですが、母が前年に亡くなった伯母の幽霊を見てしまったことを話すと大変
驚き自分もこういうことがあったと打ち明けたのでした。
ところで、それらの「事件」の前に、私はある夢を見ていました。
母の兄弟で一番早く亡くなった母の弟、私にとっては叔父ですが、その叔父が
私の夢枕に立ったのです。
「おじさん・・・。腹にできものが出来ているから、気を付けやってな・・・」
優しかった生前の叔父はこう夢の中で言い残すと、さらに
「ああ、咽喉が渇いたなぁ・・。ここは暑くてかなわないから、アイスが食べたいな・・」
と言って、消えました。私はあまりにも鮮明な夢を見たので、叔母に電話をかけ
こんな夢を見たよと話しました。私は、叔母が遠くに分家の墓を買ったのでその
お墓をまだ見ていなかったのですが、叔母によると敷地で一番日当たりのいい区画を
買い叔父の納骨を済ませたのだそうです。
そんなことがあって、私は母の見たものと言い、伯父の体験といいこんなに重なるのは
訳があるのだろうか?と考えましたが、偶然が重なったのだと思うことにしたのです。
その後、栗の木の下で、伯父はやはり真昼間何度か祖父が立っているのを
見かけたそうです。
私の母のお腹に癌が見つかったのは、その年の暮れでした。
それではまたおあいしましょう・・・。
今回のお話は、私の亡くなった母のことです。
母を亡くした私たちは悲しむ間もなく無我夢中で葬儀を終え、後片付けに追われ
やっと一息ついたのは、母の死後一週間目のことでした。この一週間のことは、まるで
嵐のようでどうやって生きていたのか、息を吸っていたのか、物は食べたのか・・・
全くのところ記憶が曖昧になっていて今でもよく思い出すことができません。
その一週間目の夜のことですが、実家に泊まり込んで後片付けをしていた私は
疲れ切っており実に、何ヶ月かぶりで12時過ぎに床に就くことができました。
そして、明け方夢を見ました。
全身光り輝いた母が、にこにこ笑いながら玄関を開けて「帰ってきた」夢でした。
私は、母に、「お母さん、帰ってきたのっ?!」と思わず声をあげたところで
夢は終わり、私は自分の声に驚いて目を覚ましました。
私はたちまち現実に引き戻され、その時、あらためて母が死んだことを思い出し
胸が詰まるような想いを味わったのです。
自分の家に戻っても、私はしばらくは放心状態でした。
普段は絶対見ない、昼時にテレビをつけていたり仕事も手に付かずぼうっと
していることが多かったのです。そんなある日、いつになく日差しがやわらかな
春を感じる温かい日のことです。
私は書きかけの原稿を放り出しまま、ぼうっとテレビを見ていました。
すると・・・・。私は肩を叩かれました。あれっ?と思って振り返っても、人など
いるはずもないので、気のせいかと思っていたのですが、再び、今度は
私の後頭部をこつこつと叩かれました。
その時、私は私の側に母がいる!と確信したのです。
寂しかった私の胸に温かいものが込み上げてきて、私ははじめて泣きました。
でも、もしも間違いじゃ無いのなら、母に姿を見せて欲しいと切に願いました。
しかし、その日はそれ以上のことは起こりませんでした。
ある夜、寝室で休もうとしていた私はキッチンで、とんとんと歩く音を聞きました。
私は、思わずお母さん?もしそうなら、合図してと叫びました。
すると、キッチンのテーブルを叩く大きな音がずどんと聞こえたので私はあわてて
寝室から飛だしキッチンへ行きましたが、やはり何も見えませんでした。
そして、次の日の夜。このままでは体が持たないと早めに休んだのですが
電気を消して布団に入ると「・・・ちゃん、ゆきちゃん・・」と私を呼ぶ声がしたのです。
それは、まぎれも無い母の優しい声でした。
その時私は、ああ、母は私を心配してくれているのだと安心し眠りに就くことができまし
た。そして、夜中にいつものことですが、目を覚ますと私の布団の足元に
母が座っていたのです。
「ああ、おかあさん!」私は布団を蹴って飛び起き母に抱きつきました。
母の身体はとても熱く私の腕に母のぬくもりが伝わってきます。
ずっと、ずっと会いたかった!私は思わず涙を流して母に訴えました。
母が死んでいるなどこの際問題ではなかったのです。ただ、ただ、会えたのが
嬉しく私は、哀しみとない交ぜになって涙を流しました。
母を抱く腕がふっと、軽くなったと思ったら、気が付くと私は宙をかき抱いて一人で泣い
ていました。
これが、私と母との初めての再会のあらましです。
幽霊に体温はあるのか?
そういう疑問は当然でしようが、あの日、あの真夜中の出来事は・・・。
私が触れた母は温かく、確かに生きているままの姿でした。
それ以来、母は死んでしまったけれども、死んだ人は終わりではなく
ちょっと違う世界に行っているだけなのだと思えるようになりました。そして、これが
母の死を乗り越えられるきっかけとなったのです。
それではまたおあいしましょう・・・。
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