ゆうが語る、フォークロア
昨夜に引き続き、つぶれ屋敷のお話です・・・・。
ところで、この家は建築中からいろいろな「事件」がありました。
まず、工事が始まったばかりだというのに、大工さんが二階部分から落ちて、
足を複雑骨折してしまったのです。仕方なく頼んだ代わりの大工さんは、
なにか借金を抱えていたようで、突然夜逃げ・・・。
昔気質の職人さんというのは、私の父の友人である大工さんもそうですが、
方角や迷信などを気にする人が多いものです。
いわゆる「げんをかつぐ」というものです。
大層広い敷地なのですが、その家は、玄関が鬼門の設計でした。
とにかく、大工さんを探して工事が始まったのですが、、、。
玄関から二階に上がる階段は、何故か、十三階段でした。
らせんの、当時としては、かなりモダンな作りだったのですが、
その階段を通る太い柱が、ある日、
突然亀裂が入り裂けてしまったのです。これにはさすがに皆も驚きました。
私も裂けた柱を見に行きましたが、、
見事に一階から二階に向けて1pほどの幅で割れています。
しかし、完成間近だった為、柱の裂け目には目をつぶって工事を終えたのでした。
完成した家は、とても美しく、ひときわ目を引く立派なものでしたが、、。
入居してから、家を売るまでの7年間、様々な事件がTの一家を襲ったのです。
そのいくつかは、私も一緒に体験しましたが、
詳しい話は、どうも、今はまだお話する気になれません。
と、いうのも、、この話を綴り出してからどうも身辺が騒がしいのです。
誰もいない3階の部屋で、足音や、物音がする。窓を叩く音がする、、、。
家の中が騒がしいのなんの。しょうがないなぁ、、と思っています。
結局、Tの家は売り急いだ為、土地が高騰している時期であったにもかかわらず、
建てた当時の7割にしかなりませんでした。
では、何故そんなに売り急いだのか、、。それは・・・。
あまりいろいろなことが起こるので、祈とう師を呼んでおはらいする事にしたのですが、
その祈とう師曰く、この土地は、大昔に人が住んでいて
その家族は一家離散したとのこと。
いわば、つぶれ屋敷の跡地を買って建ててしまったがためというのです。
一家の不幸な事件の原因は、その人々の怨念だというのです。
Tのお父さんは、もちろん、そんな事は信じていませんでした。
畑になっていたところを買ったわけですし。
祈とう師の言葉に怒ったTのお父さんは、会社が休みの日、
1日がかりで庭を掘って祈とう師のインチキをあばこうとはりきっていました。
しかし、深く掘り下げて出てきたのは、土だけではなかったのです。
古めかしい茶碗のかけらや、壊れた生活道具などが次々に「発掘」されました。
一家はまもなく引っ越ししました。
2年後、、たまたま近くまで用事があったので、その家を見に行ったそうですが、
あれほど立派だった家は、住む人がなく、ある会社の物置になっていたそうです。
こうして思い出しても素敵な家でした。暖炉がある、西洋風の建物。
友人の家に泊まりに行って、お化けだと騒いだのも今は懐かしい思い出です。
しかしまた、よく7年も我慢できたものだと思います。
今、友人は別の土地で幸せに暮らしています。
昔話につきあってくれて、ありがとう。
いづれ、又の機会にお話できればいいなと思います。
それでは、また。明日の晩おめにかかれますように。
少し古い話しになりますが、これは、私の幼なじみの一家と私に起こった話です。
私の幼なじみのTちゃんとは子供の時からお互いの家に泊まりに行ったり、
一緒に旅行したりとどこに行くのにも一緒で、いわば家族ぐるみの付き合いでした。
私たちが中学3年の時、Tちゃん一家は念願の一戸建て、注文住宅を建てたのです。
私は家の建っていく様子が面白くて、
Tのお父さんに建築現場に連れていってもらったものでした。
※プロローグ 〜アパートの怪〜
本格的な注文住宅だったので、家が建つまでかなり時間がかかります。
そこで、当時大学生だったお兄さんだけ、
学校の近くにアパートを借りて住むことにしました。
六畳一間の古いアパートです。引っ越しの当日、荷解きもまだ済んでいませんでしたが
その日、お兄さんは早々と寝てしまいました。
真夜中のこと・・・。寝ているお兄さんの身体の上に誰かがのしかかってきました。
その人物は、さらにお兄さんの首を絞め始めました。
やっとのことで振り払うと、汗びっしょりになっていました。
お兄さんは疲れたから変な夢を見たのだな、、と思いなおして、また眠りにつきました。
翌日の真夜中、、、。
やはり、誰かがのしかかってきました。その時は、まだ意識があったので
泥棒か何かと思ったそうです。
それで、そいつの顔を見てやろうと思い目を開けると・・・・
髪を振り乱した凄い形相の女の人がお兄さんの首を絞めようとしていたのです。
思い切りその女の人を振り払って飛び起きるとその姿は消えていました。
それは、一週間続きました。
毎晩変な女に襲われるのはたまらんと、お兄さんは友達を呼んで
部屋の中を調べることにしました。
勿論、引っ越してきた時はなにもありませんでしたが、、、、
念のため、押し入れの天袋のふたを開けて、天井裏を調べてあっと驚きました。
そこには、誰のものともわからない骨壷が一個。
その後大騒ぎになったのは、いうまでもありません。
まだ荷解きが済んでいなかったのを幸いに、その日のうちに実家に逃げ戻ったのです。
不動産屋にも文句を言って、お金返してもらったそうですが、
問題の骨壷はどうなったか?
それは、遺失物、つまり落とし物として届けられました。
その後、それがどうなったかはわかりません。
今でもどこかにひっそりとあるのかもしれませんね。
※さて、明日の晩はいよいよお友達の家のお話です。
では、また。明日お目にかかりましょう。
この話は平成3年5月、萌えるような新緑が美しい季節の出来事です。
本来なら私は心が弾むような思いでこの季節を楽しんでいるはずでしたが、
その年は違いました。
何故なら私の母が治ることのない病気のために入院していたからでした。
それは、手術をした母の付き添いで
仕事を休んで病院に泊まり込んでいたある夜のこと・・・。
当時私は、フリーランスのコピーライターとして仕事をしていましたが、
母の病気の看病と引き受けてしまった翌年の春のキャンペーンの仕事が重なって
治りかけていた十二指腸潰瘍が 再び悪化してしていたのです。
その夜も更けた頃、胃の痛みを覚えた私は、
看護婦さんにもし薬があったら分けてもらえるよう頼んでおりました。
看護婦さんは快く次の巡回までに薬を用意してくれると約束してくれました。
予断を許さない母の病状の中、病室はずっと電気が付いたままです。
私は、母がいつ目覚めてもいいように 母の手首と私の手首を着物の紐で結んで
母のベッドの隣の付き添い用の簡易ベッドに寝転んで本を読んでいました。
時計を見ると午前2時過ぎ・・・。病室のドアがそっと開きました。
私は看護婦さんが私の頼んだ薬を持ってきてくれたものと思い、
扉の方へ顔を向けました。と・・・・。身体が動きません。
わずかに顔と、母とつながっている手が動かすのが精一杯でした。
「・・・・・?」病室に入ってきた人は、私の足元に立つとしゃがみこみました。
すると、その人は母の名前を呼びながら私の足をさすり始め、
その手を私のお腹に這わせてきたのです。
その人とは・・・・、
前年に、従兄の百ヶ日の法要の最中に心不全で急逝した母の姉でした。
「ああ、伯母様、、私はあなたの妹ではありません。姪のゆうです・・・・」
幾度も幾度も私は伯母に話し掛けました。
すると、、、私のお腹の上に乗っていた伯母の身体が宙に浮き、
天井まで届くとくるりと逆さまになって
笑いながら天井に吸い込まれるように消えていきました。
同時に身体が動かせるようになった私は、母に異常がないか
慌てて母の傍に寄りますと、、、、いつのまにか目覚めた母が言いました。
「今、Yちゃんが来てたね・・・。」
「来た、ね。。」私も答えました。
ほんの一瞬の出来事かと思いましたが、時計を見ると30分近く経ってました。
翌日、お見舞いに来てくれた従姉にこの話をすると泣き笑いしながら
なんで逆さまになって消えたのかそれが可笑しいと言います。私にもわかりません。
この伯母は、真昼間に人前に突然姿を現して人を驚かすという「前科」があったので
この話をしても誰も驚きません。私にはそちらのほうが驚くべき事ですけれどね。
では、またおあいしましょう。
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