《ゆうの大学病院入院体験記》
ゆうは本気で、病院へ行った。
PART9〜ゆう、手術の宣告を受ける〜
この日になってようやく私のアレルギーと検査による副作用の症状も大分良くなり、
それまで一晩中行っていた点滴は、一日に4回になった。
発疹も一応は収まってはいたけれど、相変わらず身体に薬は塗っていた。
顔の腫れも大分引いて、私は朝起きるとまず顔を洗ってから薬を塗った。
この日まで私は気がつかなかったのであるが、私より先に入院しているHさんをはじめ同室の人は、どうも睡眠薬を服用しているらしいのだ。
それがわかったのはHさんが先日、午前中の回診の時に、もう少し強い睡眠薬に変えてくれるよう看護婦さんや医師に訴えているのを聞いていたからだ。
医師がこれ以上強い睡眠薬を飲んだら良くないですよとHさんに言っているのを聞きながらやはり入院生活が半年近くなるといろいろと考えることがあって大変なんだろうなと
その時はただ単にそんな風に考えていたのだが、同室の人の不眠の原因は、実はSさんの獣のようないびきにあると初めて知ったのが今朝だった。
最初、私は拷問に近いほどの爆音を発しているいびきの主は、他ならぬHさんだと思っていたのだが、「真犯人」は優雅な話し方で私を下僕にしたSさんだとわかった。
入院生活に慣れるに従って、同室の誰かがものすごいいびきと夜中にガサガサと
様々な音を立てて、同室の人の安眠を妨げている人がいるのを感じてはいたのだが、
たまたま私は検査の副作用に苦しんでいたおかげで、その爆音が誰であるかとか、
注意を払う暇がなかっただけだったのだ。
起床時間も近くなってから、Hさんが車椅子でトイレに行ったあと、尚もものすごい
いびきがが病室中に轟いているのに私は「あれ?」と思った。
Hさんでないとすれば・・・、さすればたれじゃ?と私の頭の中で?マークが点滅した。
それがSさんだったのだ!
昨夜の夜中、私は眠れずに看護婦さんに許可をもらってロビーで涼んでから病室に
戻ってきたのであるが、廊下を歩いているとはるか彼方から物凄い轟音が聞こえてくる。
それが自分の病室から発せられていることに、私はひどく驚いたものだ。
私の病室は、病棟の一番奥にあるというのに、遠く離れたナースステーションの方まで
その音は聞こえてきたからだ。
それが「いびき」だとわかったのは、病室に戻ってからだ。私は、人間のこのような
いびきを未だかつて聞いたことがない。私は日中、品の良い話し方をするSさんと
寝ている間に怪物のようないびきを発する人がどうしても同じ人物だとは、最初信じられなかったし、思いもよらなかった。
聞けばSさんは、このいびきのせいで自宅でも御主人と寝室を別にしており、同居している娘さんからもいびきがうるさいと言われ続けているらしい。
そんなに私のいびきってすごいのかしら?と同室の人に尋ねていたが、家族にすら我慢できないほどの轟音が、一体、赤の他人に我慢できる道理があるであろうか・・・?
しかも、Sさんは、真夜中にしばしば間食をする。Sさんの家族が差し入れる食べ物を
時間にかまわず食べるのだ。寝静まった病室の中では食べ物の包みを破る音や、
食べる音はかなり響いてうるさい。
初めは事情を知らなかった私は、Sさんが、看護婦さんに食事の量を聞かれて、少しも食欲がないし何にも食べられないと訴えているので、心底気の毒だなと思ったものだ。
そして、医師の言い付けを守って病院で出された食事を残さずに食べる私に向かって
「なんでも食べられていいわねぇ、こんなまずい食事を良く食べられるわね」と
私の上品な口をまるで「ゴミバケツ」かなにかのように言うSさんの暴言も許していた。
実際、病院の食事をゴミだと言い放つSさんに、私は作ってくれた人のことを考えたら贅沢は言ってられませんよと少々ムッとしながらも軽く受け流していたのであるが・・・。
夜中におやつやら何やら一時間近くも食べていたら、食欲が湧かないのも当然である。
それ以後、私は食事のたびに食欲がないだとかこんなまずい物食べられないという
Sさんの話をまともに聞くのはやめた。私が相手にしないのがわかるとSさんは、今度は
新しく入院してきた人に向かって再び、食事がまずいと言い出した。
私の隣のベッドのゆきちゃんに付き添っている彼女のおばあさんは、初めのうちは忍耐強くSさんの話しを聞いていたが、終いには食べられるだけ幸せだと思うことですよと逆に言い返していた。
ゆきちゃんのおばあさんはSさんよりも年上なので、さすがのSさんも黙らざるを得なかったようだ。しかし、Sさんの間食と愚痴は私が退院するまで毎日毎晩続いた。
だが、実のところ私はSさんのことを言えた立場ではないのだ。
私は食事の他、毎日大好物の果物を山のように食べていた。
すいか、桃、メロン、さくらんぼ、りんごetc・・・・。
「体力を付けなければならない」という大義名分の元、私は間食の習慣がないのにも
かかわらず、毎日おやつを食べた。普段食べないアイスクリームやゼリーまで食べた。
当時の私のおやつ事情は、まるで王様のようであった。
しかも、運動量はごくわずかである。これで太らなければ嘘というものであろう。
この日、私は腰を保護するためのコルセットの採寸をしたのであるが、
ウエストのサイズを聞いて失神しそうになった。しかし、病気だからまあ、いいや。退院して動けるようになったら、後でいつものように運動すればいいだろうと高を括っていた。
その時の呪いが今だに続こうとは・・・、当時の私には知る由もなかった。
午後の安静時間になって、外来で診察してくれていたM講師が私の所へ来て
「手術が決まったよ〜」と実に軽い調子で、しかも明るく笑顔で宣告に来た。
私の手術は昨日の教授回診の後決まったらしい。
本来ならば、ミエログラフの後、椎間板造影「ディスク」という検査もする予定だったらしいのだが、私が造影剤でアレルギーを起こすという予想に反した体質だったため、
データは充分にとれたから手術を行うことになったという。
しかも、私の手術は全国でもまだ症例の少ないレーザーによる手術で行うというのだ!
このレーザー手術は、まだ技術を持っている医師があまりなく、機器を備えて導入し、実施している病院が全国でたったの5施設というではないか・・・・!
私は、実は少し嬉しかった。新しい技術・・・というものに惹かれてそのリスクのことなど
その時の私は何にも考えていなかったのである。
軽薄な私は、これは退院したら自慢になるなと密かにほくそえんだ。
この日、たった一人の妹がアメリカから帰国しその足で私を見舞ってくれたこともあって 私は大変幸せだった。しかも、私の大好きなバービー人形の限定版をお土産にして。
妹は甥と姪が夏休みに入ったので、私の病気を理由に夫を残して三人で遊びに帰ってきたのである。妹は入院して私が太ったのとアレルギーの為、顔が斑になっていたのを見て、もともと大きな目玉をさらに大きくして驚いていた。
同じく、お土産の洋書「バービークロニカル」を読みながら私はひじょうに機嫌が良かった。日本ではなかなか手に入らなかったので、妹に前々から頼んでおいたのだ。
妹はイリノイ大学の近くの巨大なブックセンターでやっと見つけてきたといっていた。
私はこの日ばかりはSさんのいびきも許せるような気がして、消灯時間までずっと
バービーの本を読んでいた。
明日は、手術の為の説明があるらしい。
この続きは、次回にまた・・・・。
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Yuki.
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