《ゆうの大学病院入院体験記》
ゆうは本気で、病院へ行った。
PART10〜ゆう、決断に燃える〜
この日、私は朝から燃えていた。少々の寝不足も気にならなかった。
何故なら、午前10時半から担当のM講師により私が受ける手術の説明があるからだ。
私はごはんに味噌汁、ふりかけ、デザートのフルーツ(実は、バナナ半分)という
大変質素であるが実に健康的な朝食を、Sさんの「まずい」というBGM付きで早々に
済ませ、くつろいでいた。すると暇を持て余していたHさんからお声がかかった。
「あんたも、とうとう年貢の納め時だねぇ・・・」
そう言うなり私の手術の時は・・・といって、自分の体験を話してくれた。
先天性股関節脱臼の治療の為、手術したHさんの場合とはこうである。
病室の空きがないので自分の順番が回ってくるまで二ヶ月ほどあったらしい。
手術したら当分は旅行へ行けなくなることがわかっていたので、Hさんは仲のいい友達と「清水の舞台」から飛び降りるつもりで奮発し、二週間のカナダ旅行を奢ったのだそうだ。最後の海外旅行かもしれないので旅行に着ていくスーツなどを新調し、準備万端
あとはいつでも出発するばかりになっていた二週間前、病院から突然電話が来たのだそうだ。病院が指定した入院の日は、カナダ旅行の出発の翌日だったそうである。
Hさんは、旅行を予約してしまったのでなんとか入院の日をずらせないか病院と
交渉したのだが、この機会を逃すとまた半年先になると言われたらしい。
それで、泣く泣く旅行をキャンセルし、友達は一人でカナダに出発した。
旅行代金はキャンセル料でほとんど消えたといっていた。
入院してさて、手術の日。Hさんは覚悟を決めて、遺書まで書いたそうだ。
全身麻酔をかけられて意識を失い、何時間か経ったのか、気がついたらもう深夜になっていた。実に10時間におよぶ大手術だったらしい。
意識を取り戻して何かしゃべろうと思っても咽喉はカラカラ、酸素マスクが邪魔をするので払いのけようとしたら体中に点滴の管が繋がってい、おまけに両手足も縛られていたので、まったく動けなかった。それからは、もう地獄を見た・・・と語っていた。
Hさんの話はHさんが語り上手だということもあって、ものすごく面白い。
だが、明るく振る舞い、時には無茶苦茶なことを言って笑わせるHさんの闘病生活の
影にはかなりの精神力と忍耐が潜んでいるだろうことは、想像に難くない。
私には、笑うことは出来なかった。
Hさんの話に笑っていたのは、Hさんの並びのSさんとTさんだ。二人とも同じ手術を
受け、大変な闘病生活を潜り抜けて来ているので、Hさんの話に茶々を入れ、笑う資格があるのだ。
いろいろ話を聞いていた私は、ただ「大変でしたね」というのが精一杯だった。
Hさんの話を受けてベッドに足を括り付けられてケラケラ笑い転げているTさんにしても、驚くべき事がたくさんある。彼女は私と同じようにアレルギーを持っていて、手術の時に
他人の血液に拒否反応を起こすので手術の準備の為、何ヶ月も前から自分の血液を
少しずつ採取し、保存して手術に臨んだそうである。私はこの時まで知らなかったのであるが、緊急ではない手術の場合は「自己血」を使うのが今では一般的らしい。
血液を大量に失う大手術の場合は、その方がより安全なのだそうだ。
Tさんは他の同室の人のようにお見舞いに訪れる人が少ない。後で聞いたら、Tさんの
御主人は末期の肺癌で余命がいくばくもなく、他所の病院に入院しているので
子供たちはそちらにかかりきりだと聞いた。
入院中、Tさんは私に大変親切だった。私も動けないTさんに変わって、彼女の好きな
コーヒーを毎朝買いに行く役を引き受けた。
さて・・・。おしゃべりをしているうちに、時間が来たので私は指定されたカンファレンス・ルームへ行った。しかし、誰もいない。しばらく待っていると、M講師と助手のK医師が
時間に遅れたのを気にするでもなくバタバタと入ってきた。相変わらず忙しそうだ。
「では、はじめますね〜」というM講師の声を合図に、M講師はボードに向かって図を書きながら、私が今度受ける手術の概要の説明をはじめた。
私が受けるレーザー手術というのは、正式な?名称を
「腰椎・椎間板ヘルニアに対して局所麻酔下に経皮的髄核蒸散術」というものだそうだ。
M講師はボードに字を書きながら漢字を忘れたらしく、私がメモを取っている手帳を
覗き込みながら「そうそう、よく書けるね〜」と実に嬉しそうだ。
椎間板ヘルニアの治療方法はいくつかあって、中には「キモパパイン」という果物の
パパイアから摂ったパパイン酵素を患部に注入して、ヘルニアを溶かす手術もあるらしい。この手術は、女子プロゴルファーのOがアメリカで受けてきたらしい。
M講師もこの技術は知っているが、残念ながら日本では認可されていないという。
ところで、私が今度受けるレーザー手術も、まだ厚生省の認可が下りていないと言うではないか!
まだはじまったばかりの技術で、全国でもこの手術を受けたのは200人弱、この病院でははっきりと数は覚えていないけれどたぶん、私で16番目!ぐらいなどと言う。
しかも、保険が効かないっ!!
「ですが、あなたの場合は、『症例』なので、病院の研究の一環として治療費はこちらで
なんとか都合付けるようにしていますから・・・ね〜」
というM講師の言葉に私は詰めていた息をほうっと吐き出しながら胸をなで下ろした。
この治療の良い点は、一般に行われている椎間板ヘルニアの手術と違って、大きな
傷が残らないということ。レーザーメスを入れるために4ヶ所程切るだけなので、傷痕は
数ヶ月経てばほとんどわからないということだった。また、手術後は翌々日後、人によっては翌日からコルセットをつけて歩いても良いということだった。
実際、私の手術痕は今ではかすかに染みとなっている小さな点だけである。
この点だけはM講師の言う通りだった。
さて、通常の手術と違う点は、ヘルニアをレーザーで焼くのであるが、術後、髄核の内部の圧力が引くまで、かなりの時間がかかり、それは人によって二か月の人もいれば、
半年の人もいる・・。それ以上は症例にないので今後どうなるかはわからないという。
だから、劇的に痛みが取れるということにはならないのだそうだ。
「それとですね〜」M講師はなんだかとても嬉しそうに言うのだ。私が次の言葉を待っていると
「実はね、この手術は、麻酔がかけられないんですよ」
実に実に、嬉しそうなM講師の笑顔ではないか・・・・。
「麻酔無しで手術ですかぁ?!」私は驚いて声が裏返りそうになった。
「もちろん、レーザーメスを入れる時は、局所麻酔をちょっとだけかけますから、
切り口は痛くないんですよ」
「先生は、それ、やったことあるんですか?」
驚いた私は思わず先生に馬鹿な質問をした。
M講師はハハハと笑うとあるわけないでしょと言った。
骨髄というのは、生命維持にも関わる大事な神経がたくさん通っている。だから、
それらの神経を間違って傷付けたりしないように、手術は患者の意識がはっきりとした
状態で行う必要があるらしい。手術は患者と会話しながら、それらの神経を避けて
メスを入れていくのだそうである。
しかも、元々、その部分には麻酔はかからないのだそうだ。
私が痛いんでしょうねと聞くと、まあ、ちょっとは痛いんじゃないでしょうかとの
まったく有り難くないM講師の説明である。
「でもね。普通の手術だと10p以上の傷痕が残るし、入院も3ヶ月なのよ」と。。。
そして、「あなたなら、我慢強そうだから、大丈夫でしょう」と講師は締めくくった。
麻酔無しの手術かぁ・・・・。
私はカンファレンスルームから帰ってくる途中、ロビーでコーヒーを飲みながら
いろいろと考えた。
いざ自分が手術の説明を受けてみると、それまで聞こえてこなかった患者の会話が
この日はいろいろ耳についた。
ロビーにいる患者は、自分の時はこうだったと患者同士で様々な情報交換をしている。
「実験」とか、「初めて」とか、「症例になった・・」とか。
その時、私は自分が入院している病院が大学の付属病院であることにあらためて
気がついたのだ。
そうだ、ここは、大学病院である。ただ単に治療するだけの病院のみならず
臨床実験の場であったのだ・・・・!
「麻酔無しの手術」に私は少し興奮した。
痛くないということは、まずないだろう。それがどのくらいの痛みなのか耐えられるものなのか、私には全く想像がつかなかった。
しかし、当たり前であるが死ぬことはないだろうという結論に達した。
私は自分自身に言い聞かせて決断した。
「手術、麻酔無しで受けようではないか!」
私はあらためて決意すると手術同意書を書くために病室に戻った。
この続きは、次回にまた・・・・。
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Yuki.
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