《ゆうの大学病院入院体験記》
ゆうは本気で、病院へ行った。
PART8〜ゆう、激怒する。〜
月曜の朝は慌ただしい。
特に整形外科では外来患者が平日の他の日に比べて多いので、医師も忙しそうだ。
外来で診察を受けようとするとほぼ一日がつぶれる覚悟で病院へ行かねばならない。
私は入院前、外来の待合室で昼ご飯も食べずに診察の順番が来るのを待っていた
ものだ。
加えてこの日は午後3時から教授回診がある。入院患者を受け持つ医師は、自分の
担当する患者の容体を把握し、教授に説明しなければならないらしく
午前中いっぱい、私の病室の前の廊下は医師の往来で騒がしかった。
入院患者にもそんな様子が伝わって来て、何となく落ち着かなかった。
私はと言えば、まだ体中に発疹が出ていたけれど熱も下がり、
大分体調を取り戻してきた。ただ、昨晩看護婦さんに塗ってもらった薬で身体は
相変わらず真っ白け。顔も塗り薬でべたべたしていて気持ち悪かった。
朝食のブドウパンは残さず食べたが、一緒についてきた蜂蜜のパックは食べられなかった。当時の私は、フランス製の無農薬・有機栽培の一瓶2500円もする蜂蜜を
食べるという贅沢をしていたので、病院で出されるパックの蜂蜜はその味の違いから
食べられなかった。実は、仕事で撮影した商品をの大量に戴いていたのである。
もちろん、自分ではそんな高い物は滅多に買うわけがないが、一度贅沢な味に慣れてしまうと私の舌はわがままになってしまいパックの蜂蜜は味がないように思えたのだ。
私の隣のベッドに新しい患者が入ってきた。
まだ8歳の可愛い女の子で、名前が私と同じである。これで漢字は違うゆきちゃんが
病室に3人になった。実は姐御のHさんも「ゆき」なのであった!
私は、Hさんの名前を知らなかったのだが、私が隣の女の子をゆきちゃんと呼んだら
向かいのベッドのHさんが、「はいはい、はいよ、何ですか〜?」と返事をしたので
病室は笑いの渦に巻き込まれた。
平和な朝の光景である。ひとしきり朝の笑いがすむと同室の人は、さっそく本領を発揮して(?)幼い患者の病気や症状を聞きたがった。
彼女のお母さんによるとゆきちゃんは右腕を骨折して家の近所の病院に入院し
手術を受けたのだが、処置がまずかったのか骨がねじれたまま繋がってしまったらしい。
退院後、腕の向きが変なので病院に行って検査をしてもらったのだが、その病院では
元々腕が曲がっていたからそうなったのであって、処置に問題は全くなかったと
取りつく島もなかったと言う。ゆきちゃんを産んだMさんをはじめ、一家はその答えに
激怒して何度も病院に抗議したらしい。だが、その病院の院長は全く取り合わなかった
と話していた。私もその病院は知っているので、暗い気持ちになった。
Mさんは、とにかくゆきちゃんの曲った腕を治そうと色々な病院へ連れていったのだが
手術してももう元には戻らないと言われたのだそうだ。
そして、今私が入院しているこの病院へ最後の賭けのつもりで来院したら、まだ
成長期なので方法を考えてみましょうと言われて泣いたそうである。
しかし、ゆきちゃんの受ける手術は、右腕の骨を骨折した箇所から一度完全に切断し、
プレートで固定するという、幼い子には過酷なものであった。
しかも小児科病棟のベッドの空きがないので、この病室に入ってきたというわけである。
しかし、この病室はHさん自ら「魔女の巣窟」と言っているほど部屋である。
私はゆきちゃんが気の毒に思えて、いろいろと話し掛けたりして遊んだ。
最初ははにかんでいた彼女も次第に私を「おねえちゃん」と呼んで懐いてくれて、
入院中はよく一緒に売店にお菓子やジュースをを買いに行ったりしたものだ。
私は退院後、モモンガのぬいぐるみをお土産に彼女を見舞った。
何年も経った今でも、可愛い年賀状をくれる。
ところでゆきちゃんは食べ物の好き嫌いが激しくてごはんをあまり食べないらしい。
ゆきちゃんを目の中に入れても痛くないほど可愛がっているという彼女のおばあさんが
毎日おそばをゆでて届けに来ていた。ゆきちゃんの両親は自営業でお店を持っているので、昼間は孫の面倒はおばあさんの役目なのだ。
それにしても・・・・。
彼女が病院の食事を食べないのを見た隣の人は、彼女を説教したりする。
夜中に心細くなったゆきちゃんが泣き出すと、泣いているとお化けが出るよ・・などと
脅すに至って、それまでおとなしくしていた私も我慢ならずにとうとう言ってしまった。
いったい、まだ8歳の女の子を慰めるでもなく脅してなにが面白いのだろうか。
それが年を重ねて経験を積んだ年長者の言うことだろうか。
それまでの私は、検査の副作用で弱っていたこともあって物静かな患者だった。
その私が激怒しているのだから、同室の人はさぞ驚いたに違いない。
私のことを自分のしもべか何かと勘違いしているSさんが、
「今時の若い人は、はっきり物を言えていいわねぇ・・」といやみを言う。
私はSさんに、「私はSさんのお嬢さんとは同い年ですがね」とその若い人を育てたのは
Sさんの世代であることをよおくわからせた。
すると、たちまちSさんは私の機嫌を取るようなことを言ったので私はまた憤慨した。
ただし、私は怒ったとしても、経験上大きな声を張り上げたりとかしなかった。
興奮して話したらオシマイなのである。私が淡々と時には笑顔さえ浮かべながら
抗議していたのが不気味なのであろう。
また、「牢名主」のHさんが私に加勢してくれたこともあって、ゆきちゃんいびりは
そのあと無くなった。
しかしこのままでは彼女が可哀想なので、余計なお節介だとは思ったが考えた末、
Mさんに病室が空いたらすぐにでも小児科へ移してもらった方がいいという話を
そのわけと一緒に話した。
その日からMさんは病院の許可を取って、夜間はゆきちゃんに付き添うことになった。
夜になって、病棟には再び静寂が訪れた。が・・・、我が病室だけはSさんの獣のようないびきで同室の人はなかなか寝付けないようだ。
私は昼間の教授回診の時に言われた言葉を反芻していた。
担当の医師が私のMRI、ミエログラフ、CTスキャンその他の検査の写真を見せて
説明している。
この患者は「症例」になると思いますと教授に言っているのが気にかかっていた。
症例になる・・?それは、どういうことだろう。
今のところ、手術があるともないとも聞かされていない。
しかも、ミエログラフの副作用で苦しんでいたので、次に受けるべき検査の予定も
まだ決まってはいないのである。
私はこのまま入院しているべきなのだろうか。発疹は相変わらず私を苦しめている。
歩けるようになった私は看護婦さんの許可を得て、真夜中ではあったが風に当たりに
ロビーに行って牛乳を飲んだ。夜中の一時過ぎだというのに広いロビーには
数人の患者がソファでゴロゴロ寝ていた。
きっと彼らも同室の患者のいびきで眠れないのだろう。
6月の下旬。風はなく夜の空気は湿気があり、決して快いというものではなかったが
私は汚物の臭気を含んだ病室の空気のなかではとても眠れそうになかった。
この続きは、次回にまた・・・・。
Copyright(C), 1998-2009
Yuki.
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