《ゆうの大学病院入院体験記》
ゆうは本気で、病院へ行った。
PART7〜ゆう、撮影現場に紛れ込む。〜
日曜日の朝は院内全体がしんと静まり返っている。
私は発疹は続いているものの熱も下がって今朝はだいぶ落ち着いていた。
昨夜は救命救急センターへ運ばれる人が多かったのか、救急車が何度も入って来る
あわただしい様子がセンターから離れているこの病棟にも伝わってきた。
私の病室のすぐ近く医師の休憩室があり、夜中に何度も医師が往復しているのが
しばしば私の眠りを妨げた。寝不足を除けは、気分は良かった。
医師の休憩室のさらにその奥にVIP室(特別個室)があるらしい。
あるらしい・・、というのは、Hさんが採血されながら医師に自分をその特別室に
「ただで入れろ」とごねているのを他の患者がHさんに同調しているのでわかった。
Hさんの症状は、担当の医師によって論文を書くための臨床実験の対象になっており
定期的に様々な検査を受けてきたらしいのだ。
まもなくその論文のための検査も終了し論文を書き上げた医師は「博士」になれるから
その見返りとして個室に二三日泊めてくれても罰はあたらないだろうという理屈である。
私はHさんの話を聞きながらその特別室を想像してみた。
一泊6万円。
入院を予約する前に、医師からどんな部屋に入りたいかを聞かれ、できれば個室か
二人部屋をお願いしますと念を押していたのに、入院が突然決まったと思ったら
この大部屋に押し込まれたのだ。
その時点で私は168番目の予約患者だったので入院は夏の終わり頃だろうと踏んで
いたら、突然病室の空きが出たと連絡があったのである。
今回を逃すとさら秋頃になるというので、さっさと手術を済ませて治したかった私は
病室のことを良く確かめないで入院してしまったのであった 。
私はかなり人見知りする反面、自分の意志に反して人は私に対して親しげに接して
くれることが多く、フリーになっても随分いろいろな人に引き立てられて来た。
心の中では早鐘がなっているような心理状態でさえ、他人は私が落ち着き払って
物事に動じないと思い込んでいることがよくあった。
私は母のお葬式の時でさえ、涙を流さなかった。私は心の中で泣いていたのだ。
自分の弱みを他人に見せるぐらいなら、死んだ方がマシだとさえ考えていたのでる。
そんな私が大部屋で、他人と何週間も暮らせる道理があるだろうか・・。
しかし・・・・。慣れ、というのは恐ろしいもので入院して一週間もすると私は
同室の人の話を聞いて笑えるまでに「成長」していた。
私は半分寝ぼけながら朝食の生のパンにジャムをつけ、一枚だけ食べた。
残したパンは後でロビーの自販機でコーヒーを買って来たら食べようと思って
とっておいた。すると、私を下僕としたSさんが、しきりに生のパンは食べにくい。
年寄りには焼いたパンが食べたいわねぇ・・と何度も何度も言うではないか。
「・・・?」私は寝ぼけていたのでSさんの言葉をぼんやりと聞いていたのだが、
それは、私に向けられているのだということがやっとわかってきた。
さらにSさんと一緒になって、一昨日入院してきた人までも焼いたパンが食べたい
と騒ぎ出した。
ナースステーションの奥にトースターがあるから、誰かが焼いてくれたらいいのに
と大きな声で話している。
Hさんの方を見ると、私に目配せしてSさんに見えない位置から手を振って
相手にするなというような仕草をしている。
私はHさんの忠告に従ってSさんの言葉を聞き流すことにした。それでなくとも、熱があり発疹が続いている私がトイレに行こうとベッドから起きるたびに、相変わらずSさんは
私にあれこれと用事を頼んでくるのだ。
それらは、物の位置を変えて欲しいとかテレビのリモコンが見当たらないので
探して頂戴とか些細なことではあったが・・・・。
検査の造影剤と鎮痛剤の副作用に苦しんでいた私には、かなりの重労働だった。
ここでSさんの意のままにパンを焼くことを引き受けようものなら、私はこれから朝
食事にパンが出るたびにパンを焼く羽目になるに違いない。
Hさんはそれを知っていて、私に知らない顔をしていろと身振りで教えてくれてたのだ。
私は悪いなとは思ったがSさんの言葉を無視していた。
すると、騒いでいるSさんは突然黙ってしまった。
HさんもSさんを相手にしないで、さっさと隠れ煙草を吸いに車椅子を操って病室から
抜け出してしまった。
私は睡眠が足りなかったので、また少し眠った。
午後になって昼食を終えた頃には頭痛もだいぶ収まって来ていた。
私は突然一階にある売店を探検してこようという気になった。
全身に出ている発疹はまだ消えてはいないが、薬のせいでだいぶ気分が良い。
ずっと寝てばかりで足腰が弱ってきたような気もするので、散歩がてら気分転換に
何か買ってこようと思った。
入院する前は、患者がパジャマ姿で院内を歩いている姿が奇妙に思えたが
今ではそれもすっかり慣れてしまっていた。
入院も一週間目ともなると廊下で男の人とすれ違っても、別に恥ずかしいとは思わなくなってくる。私はクマ柄やハート柄のパジャマにクマ柄スリッパで院内を歩きまわって
いた。何故なら、ここは病院なのだ。正装した患者がいたら、それは異様である。
私の入院している整形外科のある病棟から一階の売店までは、途中長い廊下を歩き
エレベーターを使う。
廊下には点滴をしながら歩いている人や、車椅子で疾走している人もいた。
特に整形外科では手足は不自由でも、元気いっぱいな人が多いので車椅子を
スピードを上げて競争している若い男の子もいて、看護婦さんに注意されていた。
細眉にそり込みの入った男の子もいたりして、ほとんど暴走族である。
私は廊下の手すりを伝いながら、頭痛がしないようにそろそろと歩いた。
エレベーターがなかなか来ない。やっと来たエレベータは無人だった。
私は一階のボタンを押して、目をつぶった。下降するする時に少し気分が悪くなった。
一階に到着し、エレベーターの扉が開いたので降りようと私は足元を見ていた顔を
あげた。すると・・・・。
エレベーターの前が異様な人だかりなのである。
私は一瞬なんだなんだと?とあせって、きょろきょろ周りを見回してしまった。
「あ、どうぞ。そのまま降りて結構ですよぉ〜」という声が飛んで来た。
「?」訳が分からず廊下に出た私は、その光景を見て本当に驚いた。
そこには院内なら当たり前にいる患者、すなわちシワだらけのパジャマを着て
入浴していないために、髪もぼさぼさな患者に混じって、綺麗にお化粧した看護婦さんと同じく化粧した医師、シワ一つないパジャマを着て化粧をした患者など総勢2〜30人の人がずらりと並んでいたのである。
床には太いシールドのようなものがうねうねと何本も這っていた。
私はどうやら撮影現場か何かに紛れ込んでしまったらしい。
尚も驚いていると、誰かが「どうぞどうぞ、そのまま直進してください」と言う。
私は言われるままに歩いて売店に入り、同室の人に頼まれた買い物を済ませて
外に出た。ゆっくりと店内を見ている気分ではなかった。
どうやら、テレビの連続ドラマの撮影らしかった。私が売店から出るとすぐに店内に
どやどやと人が数人入っていき、俳優が入って来るシーンを撮っている。
また、廊下にずらりと並んでいる人はエキストラで、どうも患者の退院風景を撮影して
いるらしかった。
私は野次馬に混じってぼうっとしてその様子を眺めていた。
仕事で撮影に立ち会うことはあっても、ドラマの撮影を見るのははじめてだった。
どこかで見たことのある顔も何人かいる。
テレビをほとんど見ない私は、俳優の名前はよく知らない。
面白いのは野次馬の本物の入院患者と、役者の患者ではあきらかに姿形が違った。
私たちは、入院生活で薄汚くなっているが、役者は綺麗だった。
色褪せたパジャマを着ている本物は、さながら「貧民」のよう。
本物の患者である私の三つ編みの髪はぼさぼさだが、偽者の三つ編みはきちんと
編み上げられ、しかも前髪までカールしている。
さらに私は発疹で顔がまだら模様なのに、偽者は血色が良く メイクアップをしている。
ただ、看護婦さんだけは、本物のほうが美しい人が多いような気がした。
しばらく眺めていたら飽きてきたので私は病室へ戻った。
売店で買ってきた品物を同室の人に渡して今見てきたことを話すと、毎週日曜日に
なると撮影があるらしいことがわかった。
元グループサウンズのボーカル出身のHKが主演の病院を舞台としたドラマらしい。
そのドラマは、私が想像していた一泊6万円の特別室をモデルにしているらしいことも
同室の人の話でわかった。Hさんがただで泊めろといった、あのVIP室である。
退院してからその番組を見たら案外面白く、私は連続ドラマをはじめて最後まで
見てしまうことになる。もちろん、この日私が遭遇したシーンも見た。
後で恥をかくことになるのだが、私はそのドラマに出演している俳優をスマップの
「キムタク」だとずっと思い込んでいた。なんでそう思い込んだのだろう・・・。
私はキムタクも スマップも動いている姿を見たことがなかった。
普段テレビを見ないのだから当たり前である。
私の発疹は良くも悪くもならないまま1日が終わった。
相変わらず点滴は続けられている。
この続きは、次回にまた・・・・。
Copyright(C), 1998-2009
Yuki.
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