《ゆうの大学病院入院体験記》
ゆうは本気で、病院へ行った。
PART6〜ゆう、アレルギーと闘う。〜
朝になった。熱もだいぶ下がってきたが、それでもまだ36度5分ほどあった。
この値なら一般の人なら平熱である。
だが、私にとっては、「微熱」がある状態なので結構苦しかったが
医者や看護婦さんにとっては回復の兆しが見えてきたといったところなのだろう、
私の脈を取ったり注射したりする彼らの態度に昨日までの緊張感は、なくなっていた。
しかし、 私の耳は相変わらず遠かったし頭痛は治まらなかった。
私はこの日も食事を残さずにきちんと食べた。
熱が下がって楽になってきたので、私は自分の足で歩いてトイレに立った。
そして、トイレの鏡を見て愕然となる。
私の顔は昨日までの発熱と、痛み止めの副作用だろうか、真っ赤に膨れ上がり
むくんで斑(まだら)になってしまっていた。
私は痛み止めに何を投薬されたのか知りたかったので、看護婦さんに尋ねた。
すると・・・・!
なんと、入院する前 にあれほど念を押して医者に申し出ていたのに、
私はアレルギーの原因となる痛み止めを飲んでいたのがわかった。
私には市販されている風邪薬や鎮痛剤の成分で身体に合わずにアレルギーを
起こす体質があり、それがわかるまでに何回も薬疹を経験している。
一度は病院で処方された風邪薬を飲んでまもなく痙攣を起こし、意識を失いかけた
こともあった。
その時は、末期の癌で入院しいた母の付き添いをしていた病院で症状が出たので、
私はすぐに点滴を受け夜中にやっと痙攣が止まったという恐ろしい「前科」があった。
その後、アレルギーテストを受けてそれらの成分の入った薬は避けることが出来、
また、その事実を診察を受ける時は申し出でいたのだが、何かの手違いで
私はこの入院中にその「飲んでは行けない薬」をこともあろうに何回も飲んでしまっていいたのである。
それでなくても特に梅雨どきなど、私は蒸し暑い季節になるとよくアレルギーが出た。
今ではだいぶたくましくなり、気を付けているせいもあって滅多なことでは症状は
出なくなったが・・・・。
だから当時の私は食べ物にも気を付け外食することは絶対になかった。
家でもレトルトのカレーやラーメン、冷凍食品を口にすることは皆無だった。
特に化学調味料がだめで、舌がしびれ胸がムカムカしてくる。
だから、味噌汁一つ作るにしても、かつお節を削り無添加の味噌を使うなど特に食べ物には十分用心していた。
また、アルコールに弱い両親の体質を受け継いでお酒も全く飲めなかったし、
化粧品もアルコールが添加された商品を使うとたちどころに顔が腫れた。
それに今でもそうであるが、私は香水にアレルギーを起こし、くしゃみが出たり、
気分が悪くなるという厄介な体質だった。
だが不思議な物で、同じ香りでも線香の匂いは大丈夫なのである。
私は白檀の香りが特に好きで、家でも毎日お香を焚くがこれは平気だった。
朝晩お香を焚くととても幸せな気分になれるのである。
これを極楽と言わずして、なにを極楽と言えようか・・・・。
さて、そんな体質の私が病院という最も安全な筈の場所で薬によるアレルギーが
出るなどとは思ってもみなかった。
私は飲めない薬の種類をきちんと申し出ていたし、かかる事態における私の症状の
原因は明らかに病院側の落ち度である。・
私は、腰の治療のために入院しているのである。
なのに、皮膚科と内科の医師の手も煩わせることになってしまったのであった。
皮膚科からは、助教授が私の担当になった。
私は本当にいまいましかった。しかし、当時の私には怒る気力も体力もなかった。
その後、整形外科以外でかかった費用は、そっくり戻ってきた。
退院後半年ほど経ってから病院から突然電話があり、何事かと思っていると
この時の検査の副作用が原因でかかった皮膚科などの治療費を返してくれるというのである。私はその金額を聞いて一瞬、喜んだものだが・・・・、良く考えてみると本来なら
必要のない治療だったは言うまでもない。
慰謝料をもらってもいいぐらいだと密かに思ったが、事を荒立てるつもりはなかったので
ありがたく治療費を返してもらった。
さて、土曜日は病院も静かだ。
休暇をとっている先生もいるのだろう、白衣の先生の姿もまばらだ。
私の点滴は相変わらず続いていた。茶毛のH先生の代わりに姐さんの担当の医師が
私の右腕に注射を打ったのだが、これがものすごく痛かった。
先生が去ってから腕を見ると、二の腕から腫れ上がっている。
まさに踏んだり蹴ったりとはこのことではないか!?
看護婦さんを呼んで腕を見せると、まだ若い看護婦さんは私を優しく介抱してくれた。
リバノール液をガーゼに浸した湿布が気持ちよかったが、私の右腕は
夜になるまで膨れ上がっていて、箸を持つのも大儀だった。
私はこんな自分がみじめで、しみじみと悲しくなった。
こんなあんまりな状態になってしまった私は、端から見ても人の哀れを誘ったのだろう。同室の人は私にとても優しかった。私は好まなかったが、皆同情してくれた。
私を下僕のように扱ったSさんでさえ、私を心配して言葉をかけてくれたのである。
私は一人前の病人としてこの時はじめて仲間として迎えられたらしい。
特に、昨日新たに入院してきた患者さんは、私と同じ検査をする予定なのだが
私のこのような状態をつぶさに見て驚き、お見舞いの人達に大きな声で
これから自分が受ける検査がどんなに危険なものであるかをアピールしていた。
私という見本が、彼女の恐怖に火をつけたのだろうか。
私ははっきりいって自分の症状を人に話すのは好まなかった。
もともと噂とか好きでない私を一番苦しめたのは、患者同士の症状の噂話である。
入院患者は退屈なので他人のプライバシーを聞きだすが好きなのだろうか。
話に加わらないとなんとなくよそよそしい雰囲気に包まれる。
特に私の病室は中年以上の人ばかりだったので、人の噂が大好きだったようだ。
他所の病室の患者の症状まで聞きたがり、看護婦さんにたしなめられている人もいた。
私は、他人の病気がどういう症状なのか知るつもりはなかったが、
嫌でも耳に入って来る。
熱が引いて頭がはっきりしてくると、そんな話を聞いているのが苦痛になった。
私は親切にしてもらっているが、やはりそんな雰囲気になじめなかった。
私はこの入院中に読み終えようと大量の単行本を持ち込んでいたのだが、
とうとう一冊も読むことが出来なかった。
予定していた英語のヒアリングマラソンも持ち込んだだけ無駄になってしまった。
何故なら、何かしようとすると必ず誰かが話し掛けてくるのだから。
私は入院中に予定していたことを全て諦めなければならなかった。
夜になって、また熱が出た。
私の身体に出た発疹はまだ続いていた。全身が痒かった。
私は看護婦さんに体中に塗り薬を塗ってもらうのだが、これがぴりぴりして痛い。
発疹のため真っ赤になった私の身体は、白い塗り薬のため不気味な色になった。
この時の私の姿は、ぼろぼろだったに違いない。
私はだるい身体を起こして仲のいい従妹に葉書きをしたためて、
病院内のポストから出した。
私は書いた文を読み返したら自分があまりにも可哀想になって、思わず悲しくなり、
鼻がつーんとしてきた。我ながら、簡潔にして名文だったのである。
私の入院を知らなかった従妹はこの葉書きを読んでびっくりして飛んできた。
従妹が見舞いにきた頃には元気になっていたのだが、葉書きの文面からは哀愁が
にじみ出ていたそうである。
私は一枚の葉書きと引き換えに、お見舞いのさくらんぼを山ほど手に入れた。
実は私はこの入院を誰にも知らせずに敢行したのだ。特に、絶対に知られたくないのは
仕事関係の人だった。フリーランスの私にとって、病気はあってはならないのだ。
たとえ、死にかけていたとしても約束の仕事は〆切までに必ずあげる・・・
それが当時の私の仕事に対する考えであり、何が起きても彼女ならやってくれる・・、
クライアントからはそういう評価を受けていたのだ。
こと仕事に関しては、他人にも自分にも厳しかった。
当時の私は他人に自分の弱みを見せることを潔しとしなかったのである。
この続きは、次回にまた・・・・。
Copyright(C), 1998-2009
Yuki.
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