《ゆうの大学病院入院体験記》
ゆうは本気で、病院へ行った。
PART5〜ゆう、暗闇の中を漂う。〜
起床時間が過ぎても私の容体は安定していなかった。
元々低い私の血圧は相変わらず80前後を行ったり来たりしていた。
しかし、体温だけは入院患者にふさわしく38度近くまで上がっていた。
平熱が35度前後の私には、私を消耗させ気力を奪うに充分な値だった。
私は鬱々と痛みと熱の中で時間の感覚を無くしかけていた。
朝食が運ばれて来る頃にはいっとき、病院内が活気付く。
食事にはそれぞれ個人のネームプレートがついてくる。
同じ整形外科病棟でも食事の内容は少しずつ違っていた。
向かいのベッドの姐さんみたいなHさんは糖尿病を持っているので、例えば
昼食に天婦羅そばと献立にあっても天婦羅になっているはずのエビは焼いたエビ。
Hさんは食事のたびに車椅子で病室を移動し、整形外科の一般の患者の献立表と
自分の献立表を見比べて、文句を一通り言ってから食べはじめる。
自分の焼いたエビを箸でつまんで同室の人にひらひらと示しながら
「あんた、見てミナヨォ・・・、みいらのエビ、エビのミイラなんか食べられっかい!」
などと叫んでいたのを私は良く覚えている。
そうして、何か文句を言った後は何故か、必ず私をじっと見るのだ。
そんなHさんではあるが、Hさんには「差し入れ」という強い切り札があった。
本来なら糖尿病のため、食餌療法をしなければならないのだが
実はほぼ毎日、 Hさんのボーイフレンドがそっと差し入れの包みを届けてくるのだ。
ある日などは、コンビニの小分けそばを6パックも彼に注文して皆に振る舞っていた。
私は事情を知らなかったので、その毎日来る人をHさんの御主人かと思っていた。
身長が180pほどある体格の立派な、なかなかのいい男。
いつも面会時間の午後2時を過ぎるとやって来て、Hさんの車椅子を押して仲良く
散歩に行く。にこにこしていて爽やかな旦那さんだなと思っていた。
60歳になるHさんに比べ、随分若い御主人だな・・・と思ったものである。
そして、時々夜7時過ぎにやって来る小柄でおとなしい人は、親戚の人か何かと
私は思っていた。何故なら、Hさんは本領を発揮して?その人をばか野郎と罵りながら
こき使っていたからである。Hさんの本当の(?)御主人は折り紙と手品が趣味の
物静かな人だが、それを私が知るのはずっと後だった。ある時、話の中でHさんが、
「あれはあたしのこれ」と言って小指を立てて私に示したのを見て、私がきょとんとしていたら他の同室の人がどっと笑った。
Hさんの隣のSさんが、「あの人はHさんの、彼氏なのよぉ」と言うに至って私はやっと
悟った。「おぉ、彼氏っ!」私は思わず声を上げてしまった。
そして、Hさんにじろりと睨まれた。
後で詳しいことを聞いたら、近所に住む幼なじみだそうで御主人よりも付き合いが長く
子供の頃からずっと仲良くしていたのだそうである。
しかし、私にはどう見ても仲の良い夫婦にしか見えなかった。
後から入院してきた人も、やはり、その人をHさんの御主人と思い込み
「奥さんにはお世話になっています・・・」なんて 挨拶をしていたものである。
さて・・・・。そんな状態の中でも私は朝ご飯を食べた。
何故なら医師が体力を付けるためにご飯をたくさん食べなさいと私に言ったのだから、
その言い付けにそむく理由があるだろうか?
食欲が全くないのに、私は無理をしてロールパンをちぎり口に運び牛乳で飲み下した。
今思い返しても、一体何故あんなに食事にこだわっていたのか私にはわからない。
しかも、意識が朦朧とした あんな状態で良く食べられたとも思う。
結果としては体力が損なうことなく表面的には医者も驚くほどの回復を見せたのであるが、あれは死んだ母の霊が食べさせたのか・・・ふとそんなことを考えたこともある。
午後になっても私の状態は良くならなかった。
むしろ悪化していたと言っても過言ではない。
夕方になる頃には、私の右耳は聞こえなくなっていたのだ。
人の声が何か遠く感じるなぁ・・・と漠然と感じていたのであるが、それは初めは
熱のせいだろうと思っていた。
しかし、看護婦さんの声が、遠くで「あひる声」のように聞こえる。
テレビで、事件の関係者が音声を変えてインタビューに答えているあれである。
私は看護婦さんがヘリウムガスを吸って、私を励ましてくれているのかと思った。
今にしてみるとなんでそんな馬鹿げたことを考えたのかわからないのだが、
その時は本当にそう思ったのだ。
「看護婦さん、ヘリウムガスなんて吸って、先生に怒られませんか・・?」
と聞いてしまった。そして、「おもしろ〜い」と言って笑ったつもりだったのだか、
突如自分の笑い声がアヒルになった。アヒルが笑っている!
それからの私はなにやらいろいろな点滴注射をフルに受けた。
茶髪のH先生が次々に新しい薬を私の左腕に刺した点滴用の管に注射していく。
私がそれはなんですか?と聞くと、レバーを強くする薬ですよ〜と明るく答えた。
夜になった。
病室では、Hさんが以前入院していた時の話を大きな声で皆に披露している。
どうやら患者同士で結託して、外から上等の牛肉を取り寄せたらしい。
そして、Hさんが密かに持ち込んだ電気コンロで消灯後にすき焼きをして皆に振る舞ったらしいのだ。肉の焼ける匂いと煙でほどなく看護婦さんに見つかったらしいのだが
「たちまちお縄になったけんどもねぇ・・、焼いちゃった物は仕方ないと騒いで皆で食べたんだよ」
そんな入院中の武勇伝を話して皆を笑わせている。
Hさんはその後もう一度、今度は仲間の退院を「出所祝い」と称して焼き肉パーティを
病室で開き、 婦長にひどく怒られ強制退院させられそうになったと言っていた。
私も、とても面白く聞いていたのだが、なにしろ耳が半分遠い。
アヒルの笑い声に混じって、どすの利いたHさんの声だけは、はっきりと聞き取れた。
私は可笑しくなりながらも今朝のHさんの優しさを思い出した。
私が熱にうなされている時、車椅子でそっと病室を抜け出してナースステーションの
冷蔵庫から氷を盗み、私の頭をずっと冷やしてくれていたのだ。
Hさんの煙草臭い手は、何度も氷水に浸ってすっかり冷たくなっいた。
私は今でもこの明け方のHさんの表情が忘れられない。
濁りのない真っ直ぐに私を見詰める目。それはHさんの、きりりとした優しさだった。
Hさんは話し方も顔も怖いが、実はさりげないところで寝たきりの二人を気遣っている。
後で私は、Hさんは特別養護老人ホームでヘルパーをしているということを聞いた。
私の点滴は夜通し続けられた。
私はこのまま耳が聞こえなくなってしまったらどうしようと、不安だった。
何だって、こんなことに・・・・!どうして?!
椎間板ヘルニアで手術する予定の私の「腰の立場」はいったいどうなるのだ・・・?
消灯後の病室はカーテンが引かれ、同室の人はイヤホンをしてテレビを見ているので割合静かだ。時々誰かがテレビを見て笑う声が聞こえる。
若い医師がどすどすと足音を立てて私の病室の前の廊下から控え室に歩いて行く。
トイレのドアの閉まる音、機具のぶつかる音・・・。
そんな様々な音を子守り歌にして、私は何時の間に眠ってしまったらしい。
この続きは、次回にまた・・・・。
Copyright(C), 1998-2009
Yuki.
禁・物語の無断転載