《ゆうの大学病院入院体験記》
ゆうは本気で、病院へ行った。
PART4〜ゆう、ミエログラフを受ける。〜
検査当日・・・・。この朝、私には朝食が出なかった。元々私は朝は食欲がなく、
しかも、入院してからというもののこれといった運動もしていないのにもかかわらず
医者が体力を付けてくださいね、と私の顔を見るたびに同じことを言うので
いささか無理をして三度三度きちんと残さず食べていた。
患者は食事をどのくらい食べたか、水分は摂ったか、トイレは何回行ったかということを
毎日カードに記入する義務があるのだが、私はこれもきちんと詳しく書いた。
適当・・・という言葉は、当時の私にはなかったのである。
あとで入院中のエネルギーをざっと計算したら、恐ろしいことに私はなんと一日に
約3,000calも摂っていたことが判明した。これでは太るわけである。
私は退院する頃にはすっかり体重が増えて、入院していた時にはいていたジーンズが
腿まで上がらずゴムの室内着で帰宅するという失態を演じたのである。
さて、検査は8時半から行われる予定で私は検査の為の注射を受けた。
新人の可愛い看護婦さんが、ちょっと痛いですよ、痛かったら言ってくださいね・・と
優しく注射してくれたので、特別に痛いとも感じなかったのであるが、大の男の人が
同じ注射をされて泣いたのを何度も見ているそうだ。
その看護婦さんは
「私が直接ミエロを担当するのは、今日で二回目なんですよ〜」ととても明るい。
私は注射のせいであろうか、少し意識がふわふわした感じのままストレッチャーに
乗せられ、地下に ある各種検査室に向かった。
私の乗ったストレッチャーが移動するたび、それがエレベーターの中であろうと
廊下だろうと、院内を歩いている様々な人が道を譲ってくれるのが面白い。
何かドラマの主人公になったようで、正直、とても楽しかった。
不謹慎ではあるが、実は昔から一度ストレッチャーに乗ってみたいと思っていたのだ。
私は目をじっと眼をつぶって 重病人のふりをしてみるのだが、
看護婦さんがいろいろと話し掛けてくるので その目論見は成功しなかった。
「ミエロの時は本当に緊張するんですよ・・・。」 美人の看護婦さんは、運ばれて行く
私の顔を覗き込みながら 、私にやる気充分な所を示してくれる。
「ん・・・・?」そんなに緊張しなければならない検査なのか?
この時、私の脳裏にちらっと不安が走るのであるが、看護婦さんの綺麗な笑顔を見て
いたら そんな気持ちになった自分が馬鹿げていると思った。
この時の私には、まだそういう余裕があったのである。
検査室には、医師をはじめ研修医らしい人、看護婦さんなど沢山の人が私の
到着を待っていた。
ミエログラフの詳しい内容は、実のところ、後程起こる 検査の副作用のせいで
記憶があいまいになり、この時から三日間の記録を付けていなかったので どうしても
思い出すことが出来ないのだ。
ただし、比較的、痛い検査ではあった。 ただ、私は入院する以前、痛みを取るために、
同じ病院のペインクリニックで硬膜下神経ブロック麻酔注射を半年間受けていたので
神経を刺激するひどい痛みには慣れていた。
だから、痛かったら我慢しなくてもいいんですよと言われても、
全く、問題ないですよ〜と明るく検査を受けていたのである。実に健気ではないか?
二時間ほどかかって検査を終え、私は再びストレッチャーに乗せられて病室に
戻ってきた。
しかし、その時私は これから夜の九時まで一寸たりとも身体を動かしてはいけない
ということを医師から告げられた。
もし、身体を動かして造影剤が脳に入ると大変なことになると言うのだ。
だから、私は45度に起こされたベッドに仰向けのまま、なるべく顔を動かさず
じっと前を向いたまま寝たきりになっていなければならない。
この時私は初めて、寝たきりの辛さをたった一日ではあるがたっぷりと味わった。
午後の面会時間に、私の近所の仲良しの奥さんが飴玉の袋をたくさん持って
お見舞いに来てくれた。来てくれて驚いたのだが、その時の私は医師の言い付けを
きちんと守っているのにもかかわらず、既に副作用でかなり弱っていたのだ。
弱ってはいたのだが、これも言い付けを守るために昼食は無理して少し食べた。
お見舞いの人は、前日の元気だった私とは打って変わって身動きも出来ず
沢山の点滴の管を付けている変わり果てた私の姿に心底驚いた様子で、
挨拶もそこそこに帰って行く。
私はお見舞いの人に挨拶をしているつもりなのだがどうもきちんとした言葉になっていなかったようなのだ。
向かいのベッドの姐御のHさんが、時折大きな声で私に話し掛けてくる。
「おおい、生きているかぁ〜い?」
その度に私は返事をしようとうなずいたり、手をちょっと振ってみたりするのだが、
実際はあまり動けなかった。
「まさかねぇ、死んでいるんじゃないんだろうねぇ・・・・・」
Hさんは私を心配して看護婦さんに何か聞いてる。
今までに経験したことがないような激しい頭痛が、ほんのちょっと顔を動かしても
私を襲ってくる。
激痛に私は耐え、ひたすら夜を待った。
長い一日だった。
永遠に終わらない日があるとしたら、今日のような日のことを言うのに違いない・・・・。
夜の九時、看護婦さんが やって来て、もしも動けるようであれば横を向いてもいいですよ、ベッドも下げましょうねといって、私はやっと水平に横たわることが出来た。
そして、トイレはここで済ましてくださいね、と言ってポータブルトイレを置いて行ってくれた。しかし、ベッド脇でトイレを使うなど冗談ではないと思った私は、病室のドアの真ん前がトイレなので、医師が歩けるなら行ってもいいと 許可を出してくれたのを幸い、
起き上がってトイレへ行こうとした。
その瞬間、部屋がぐるりんと一回転した。消灯時間の過ぎた薄暗い病室の部屋が、
天井が・・・。ぐるぐる回って激しい頭痛と吐き気の為ために、私は倒れそうになった。
しかし、なんとかベッドに戻るとすぐ横になり私は看護婦さんを呼んだ。
まもなく、医師がやって来て私に飲み薬をくれたので、私は無理をしてそれを飲み込んだ。 これが、まさかこんな事態を招こうとは・・・。医師も思ってもみなかったに違いない。
薬を飲んだ私は楽になるどころか、まもなく 全身に薬疹が出て痙攣を起こし
人事不肖に陥ったのだった。
看護婦さんが慌てている。
沢山の白衣の人が私の顔を入れ替わり立ち代わり覗き込んでいるのがわかった。
記憶はひどくあいまいで、その夜のことは断片的にしか覚えていない。
ただ、明け方、がしゃがしゃと氷のぶつかる音がしたなと思ったら、
冷たいタオルがおでこに乗せられて私は気がついた。
目を開けると、向かいの姐御のHさんが車椅子に乗って、膝の上に乗せた洗面器の
氷水で私の熱くなった 顔をふいてくれようとしている。
Hさんは車椅子 なので、私の顔になかなか手が届かないらしい・・・。
私はHさんに聞いた。その氷、どうしたのですか?
するとHさんは、ウインクしながら私に言った。
「よっ、生きてたかい?ナースステーションの冷蔵庫から戴いてきたんだよ。食うわけ
じゃないんだから、いいんだよ。誰もいなかったからねぇ・・・。わかりゃしないよ」
ありがとうございます・・・、私はそう言って再び眠りに就いた。
まもなく朝だろう、それまでにこの苦しみが去ってくれるだろうか・・・・。
おかあさん・・私は心の中で死んだ母をそっと呼んだ。
この続きは、次回にまた・・・・。
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Yuki.
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