《ゆうの大学病院入院体験記》
ゆうは本気で、病院へ行った。
PART2〜ゆう、しもべとなる〜
「おはようございます、検温です。」
看護婦さんの元気な声で、私ははっとした。
一体、何時間眠れたのだろう・・。
気が付くと朝になっていた。次々にカーテンが引かれ
同室の人は朝の挨拶を交わしている。
看護婦さんは私に体温計を渡すと脈をとりながら、気分はどうです?ときいてきた。
よくも悪くもないのでそう答えると、そのうち慣れますよ、
といって隣のベッドへ移動した 。
看護婦さんが再び体温計を回収にきた時、ちょっとした「事件」が起こった。
私の体温計が35度より上がっていなかったのである。
何度体温を測り直しても体温計を換えても、私の体温は35度なかったのだ。
続いて血圧を測った看護婦さんは首をかしげながら、もう一度測りますねと言って
計測をはじめたのだが・・・。
ちょっと待ってくださいといわれた私は、ぼんやりしながらベッドに横になっていた。
すると看護婦さんが二人やってきて、再び私の血圧を測りだした。
「私は父親譲りで、血圧も、体温も元々かなり低いんです。」
血圧が出ないと騒いでいる看護婦さんがなんだか気の毒になって、私はよけいなことまではなしてしまった。
「父親は血圧が計れなくて、ちょっとその辺を走って見てくださいってお医者に
言われたんですよ・・・・」
これは、本当のことである。
結局、私の血圧は上が80ぎりぎりだった。体温は34.7度。
まだ初々しい看護婦さんは、ああ、びっくりしたぁと言って病室を去っていった。
私の体温や血圧はカルテに記録されているのだろうが、看護婦さんのローテーションがひととおりまわってくるまで、この「朝の体温計れない事件」は医者を巻き込んでしばらく続いた。
さて、朝食を終えて落ち着くと猛烈な睡魔が私を襲ってきた。
昨日は入院した事実に興奮してよく眠れなかったし、そのせいで金縛りに遭ったし。
眠気と闘っていると大きな声で私の向かいのHさんが
「どうだい、昨日はよく眠れたかい?」ときいてきた。
私は昨晩夢うつつの中で白衣を着た男の人が行ったり来たりしているのを思い出し、
寝ぼけていたことも手伝って、
不用意にも夜中に先生が回診に来ることがあるんですか?と聞いてしまった。
そして、言ってしまってからしまった・・・と思った。
しかし、Hさんは、にやりとしながら、両腕を胸元にだらりとたれ下げた格好をして
「その医者は、足がなかっただろ・・・・」と言いつつ「これだよ、これっ」と
病室中を眺めた。
「あたしは、幽的でもなんでも若いのならいいですね・・」と大声で笑った。
病室で満足に歩けるのは、私と退院を間近に控えた高校生ともう一人の奥さんだけ。
その二人は、朝食が済むとさっさとどこかへ消えてしまった。
向かいにはベッドが三つ。車椅子のHさんを除いて他の二人は寝たきりである。
真ん中のSさんとTさんは、食事も排泄も全てベッドの上でしなければならない。
二人とも手術後は、ベッドに仰向けに両足を縛られていて、寝返りを打つことも、
起き上がることも許されず、毎日数ミリ単位で足につけた重りが伸びていく。
その闘病の様子は、私が今までに知らなかった過酷な世界であった。
その状態で、三ヶ月が過ぎたのだそうである。
糖尿病の持病があるHさんは、医者に止められているのにもかかわらず、
隠れ煙草を吸いに車椅子を飛ばして病室から出ていってしまった。
ベッドに縛り付けられているSさんが、何かを言っている。
「ちょっと、そこの・・・えっと。誰だったかしら?あなた・・」
「悪いけれど、ベッドの下に落としたの拾ってくれないかしら?」
どうやら「そこのあなた」とは私のことらしいので、私はSさんの言う通りにしてあげた。
清掃が済んだばかりだというのに、ベッドの下にはいろいろな物が落ちていた。
このSさんは、後で知ったのだが「資産家」の奥さんらしい。
一見、とても上品な話し方ではあるが、いつも不満を漏らしていて
この人は本当は幸せじゃないのではないか・・?と私は訝しんだものである。
私と同じ年の娘さんが毎日見舞いに来るのだが、 安静時間の静かな病棟にハイヒールの靴音を響かせてやってくる。おまけに、アクセサリーの擦れ合う音がうるさい。
ほぼ毎日同じ時間にやって来て、10分も経たないうちに消えてしまう。
それとわかるブランド物のワンピースを装ったその人が、寝たきりの自分の母の為に
何かするのを私は見たことがない。
だから、Sさんのベッドの周囲は食べ物のかすやゴミや落とした私物が散乱していて
とても清潔とはいえない。Sさん本人が、品のある話し方で自分のことを
新宿のホームレスよりもみじめだ・・と言っているのを聞いたことがあるが
本当にベッドの周りはいつも散らかっていた。
その後、Sさんは、私の名前を呼ぶかわりに、必ず「そこの人」だとか、「ちょっとあなた」
とか「ええと誰だったかしら、前の人」とか言って私に用事を頼むので
年寄りには優しい私も、さすがにむっとして何回か眠ったふりをしたりした。 が、
眠ったふりをしては見るものの、私は自責の念にかられて聞こえないふりをしたことを
ひどく後悔した。そして、後悔したことに、そんな自分に腹を立てたこともある。
私だって手術を控えた病人である。
歩けるけれど、私も腰痛で屈んで物を拾うのは辛いのだ。
しかもSさんの用事は一度では済まない。さっき用事を頼んだばかりだというのに、
ジュースのストローを刺してくれだの、物を落としただの、茶碗を洗えだの・・・
そのたびに私は、ベッドから起きてSさんを満足させなければならないのだ。
入院二日目にしてSさんの下僕と化した私は、その夜牛乳を買いに行ったロビーで
エアカーテンの貼ってある喫煙室にいたHさんに忠告された。
「Sさんはいい気になるから、言うこと聞いたらだめだかんね・・・・。」
腰をさすりながら、私はしみじみと泣きたい気分になった。
本当に、ここで暮らしていけるのだろうか・・・。今回の入院は手術の前の検査入院だったので、ともかく検査が終わったら即刻退院しよう。私は、心に誓った。
「誰が何を言ったって、私は絶対に退院するのだ!」
この続きは、次回にまた・・・・。
Copyright(C), 1998-2009
Yuki.
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