《ゆうの大学病院入院体験記》
ゆうは本気で、病院へ行った。
PART1〜入院一日目・洗礼〜
その日の朝、私は6時に起き、朝食を済ませてからシャワーを浴びた。
梅雨がまだ終わらないどんよりした曇り空の6月のある日のことである。
ひとたび入院をしたら、もう二度とお風呂に入れないような気がして、実際は
そうではなかったのだが、これが最後とばかり入念に髪を洗った。
パーティに出るわけではないのだから、もちろんメイクアップはしない。
そして、私はタクシーを呼び、大きな荷物を従えて病院へ行った。
タクシーの中で、私は明るく振る舞った。
入院さえすれば、この痛みから解放されるし、入念に調えた入院の支度に
私は満足していたからである。そう、私はわくわくしていたのだ。
入院受付で一通り所定の手続きをすませ、病室に案内されていくうちに
私の高揚した気持ちは、次第に不安にとって変わってきた・・・・。
「病室が、遠い・・・・」
確か、申し込んだのは二人部屋か、個室だったはずだのに・・・。なんと・・・。
ヘルパーさんに案内されたのは、
個室病棟とは反対側の一番奥の6人定員の大部屋だった!
「おはようございます〜、皆さん、新人さんですよ〜」と
あくまでも職務を全うする明るく元気なヘルパーさんの声に引きずられるように
病室が違うのではないかとも聞けずに、私は恐る恐る病室に入った。
その声につられて、病室の患者さんがいっせいに私を見る。
目が合った人とは軽く会釈して、それから私は名乗り、ヘルパーさんに紹介されると
ひとり病室に残された。
心もとないのはともかく、私はこの日のために用意したわけではないのだが、
お気に入りのクマと花柄のパジャマに着替えることにした。
すると・・・・、
前方から、低い、しわがれた声が飛んできた・。
「あんた、どこが悪いの?」
それを皮切りに、私は同室の患者さんから質問攻めにあった。
この時、私は企業の汚職などで関係者が逮捕された時に開く記者会見を思い浮かべていた。
広報の人間と称する管理職級の係が、質疑応答をする姿をなんと情けないと決めて掛かってきたが、似たようなことがよもや、私の身に起ころうとは・・・・。
しかも、それは終わる・・・、ということを知らない。
彼女たちの好奇心がある程度まで満たされるか、看護婦さんか医者が新しい患者の
様子を見に来るまで続くのだ。
私は、えらい所に来てしまった・・・と、タクシーの中で明るく振る舞ったことを後悔した。
入院する日は、朝から神妙にしていなければいけなかったのだ。
それが正しい患者としての心得であることを初めて悟った・・・。
そして、とどめの一言は・・・。
「あんた、これからあたしたちの仲間なんだかんねっ!」
「そうだよ、ここでは気取っていちゃ、なんにもなんないんだよ」
「その昔、姐さんとしてならしたことがある」ような、感じがしないでもない60前後の
Hさんは私に凄むのだ。
もっとも、その後、このHさんが私を可愛がってくれ、大変世話になるのではあるが、
なにか一言話す度に、病室をなめまわすようにし、私の顔をじっと見すえて凄むHさんの
優しさを入院初日の私には、わかろうはずはない。
Hさんが「ここは、地獄の一丁目、あたしゃ、ここの牢名主〜」と言って
カラカラと笑った時には、私は目の前が真っ暗になった。
「帰りたい・・・、・・せめて、個室に入りたいっ、」
私は脅え、逃げ出したかった。
断っておくが、私はずっと、「上品な人」と仕事先や御近所で評価を戴いていたのだ。
後日、退院して身近な人に言われたものである。
「なんか、顔付きが変わった・・・、言葉が乱暴になった、やさぐれた感じがする・・・」etc..
自分でも感じるのは退院してから、どうも押しが強くなった気がしないでもない。
それらは哀しくも、全て、この入院中に学んで身に付いてしまったことなのだ・・・・・。
それにしても、何故?私はこの大部屋に入ってしまったのだろう。
入院初日の様々な検査を終えて消灯を迎えた私は、不安の中でベッドに横になった。
私は、シンディローパーをCDウォークマンで聴きながら、強引に眠りに就こうとした。
そして、入院一日目にして、私は金縛りに遭った。
金縛りに身悶えしながら、病室をゆらゆら揺れながら行き交う白衣の人影を見ていたのだが、
明日から退院まで、一体どうしたら生きていけるのだろう・・・としみじみと情けなくなった。
病室の中は、異様な音が響き渡っている。
その音が同室の患者さんのいびきであるとわかったのは翌朝のことであった。
この続きは、次回にまた・・・・。
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Yuki.
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