《ゆうの大学病院入院体験記》
ゆうは本気で、病院へ行った。
PART17〜退院。〜
今日は待ちに待った退院の日!
昨晩のうちに荷物は整理したのであまりすることはなかったが、私は自分のベッドサイドテーブルの中身をもう一度確認して、雑きんがなかったのでタオルで拭きあげた。
食べかけの「高級」ふりかけや佃煮は「たべさしで申し訳ないけれど・・」と断ってから
希望する同室の人に進呈した。
使っていた化粧品のサンプルも開封していないものはHさんやTさんに分けた。
退院は、午後一時の予定である。
午前中に入院中の会計を済ませて、看護婦さんに用意してきた退院の挨拶代わりのクッキーの差し入れを「皆さんで、どうぞ」といって渡してしまうと、すっかりやることがなくなって暇になってしまった。
私の準備は調っているのだが、私は「娑婆(しゃば)」へそのまま帰ると言うわけには行かなかった。何故なら、手術時の縫合箇所を抜糸しなければならなかったのである。
午前中一杯待っていたのだか、抜糸してくれるはずのK先生がなかなか来ない。
看護婦さんに、「糸抜いてくれます?」と聞いてみたがそういうわけにはいかないらしい。
私は友人が怪我をした足の抜糸を「裁ち鋏」で勝手に自分でやってしまったことを思い出して、自分で切っちゃおうかな?と思ったが、コルセットを付けているために身体が回らないのであきらめた。
昼ご飯までは出たので少しだけ箸をつけて私は、抜糸を待っていた。
いつ先生が来るかわからないので、その辺をぶらぶら歩くわけにはいかない。
私の退院時間が近づいた時、病室は一時、「感動の嵐」が吹き荒れた。
私のことを下僕のようにこき使ったSさんでさえ涙ぐんで、
「また、お会いしたいわ。あなたみたいな優しい人、二度と会えないわ。必ず、連絡頂戴ね。」と言う。私は一瞬、胸がじんとなりかけたが、入院中の数々の仕打ちを思い出して
感傷的になるのをやめた。
Hさんは、ぷいと横を向いて、もう二度と来るんじゃないよと言う。
ところが、抜糸がまだなんですと言うと、皆がっくりしてしまった。
一番じたばたしたいのは私なのである。しかし、あんまり喜びを表すのも悪いように思えたので、おとなしくしていた。
午後3時を過ぎても抜糸ができない。
病棟には夕食の調理をはじめたのだろう、食べ物の匂いまで漂ってくるではないか!
心配になってナースステーションに行ってみるともうすっかり顔なじみになってしまった
看護婦さんが私を見て驚いている。
「あれ?まだいらしたんですか?」
「ええ、何故か、いるんです・・・」私は答えながらへへへと笑った。
私が訳を話すと看護婦さんは聞いてくると言って、先生を探しに行ってくれた。
私は待った。
するともう5時近くになって、やっと先生と連絡が付いたと言う。私は看護婦さんに呼ばれてナースステーションに出向いた。
看護婦さんは電話をかけていたようであるが「今、代わりますから」と言って、受話器を
私に渡した。
「もし、も〜し!」
声の主はK先生であるが、電話が遠いのか受話器の周りはうわんうわん鳴っていて
良く聞き取れない。
「今ね〜、緊急のオペ中なんですよ〜!オペ終わるまで、少し待っててください!」
電話の向こうから、K先生っ、お願いします!という緊迫した声が飛んでいる。
私は「待ちます」と言ってがっかりして受話器を置いた。
予定ではとっくに退院している私は、本当なら今頃はお寿司を目の前にしている筈であった。だから、お昼ご飯は殆ど食べずに、特上の握りに向けてお腹を「寿司」にスタンバイしていたのに・・・。病棟を流れる夕食の匂いに私は空腹を覚えた。
仕方なく、私は病院の庭を散歩することにした。
ここの病棟は複雑に入り組んでいるし、大学や、専門学校もあって、うっかりすると
迷子になってしまう。
私は入院当初、幾度となく迷子になって、その辺を歩いている看護婦さんに自分の
病棟まで案内してもらったものである。看護婦さんも心得ていて、新しい患者さん?
などと話し掛けてくる。それぐらい、複雑な作りで、迷子が多いそうである。
Sさんのいびきに悩まされていたある夜など、深夜の病院を散歩していて見事に
道が分からなくなってしまったことがあった。
適当にエレベーターに乗ったら、私しか乗っていないのにいきなり地下に降ろされてしまって慌てた。エレベーターの扉が開いて、ここはどこだろう?と歩き出すと、
何か、前方から物凄い圧迫感のような重苦しい気配が押し寄せてきた。
深夜の病院の廊下に「濃い空気」の固まりが私の行く手に壁のようなものを作っている。
私は何か、これはいけない・・と思って後戻りすると、エレベーターに乗って急いで
地上に出た。後で、もう一度見てみたら、そこには「霊安室」があったのである。
そんなことも、あったっけ・・・。
と、いろいろなことを考えながら庭を散歩して病室に戻ってくると、もう夕食の時間になっていて、私のテーブルにも食事が出されていた。
夕食は出ないはずだからおかしいなと思っていると、看護婦さんがやって来て
「お詫びのしるし。サービスですよ」となんとなく嬉しそうである。
私は、あまり嬉しくなかった。何故なら、今夜は「特上の握り寿司」を食べるつもりだったからである。でも、お昼もあまりとっていなかった私はお腹が空いていて、美味しそうな
匂いをたてている豚肉の味噌漬の誘惑に負けて残さず食べてしまった。
おかげで、家に帰って出前を取った一年ぶりの、実に久しぶりの「特上の握り寿司」
(3900円)は、感動するほどではなかった。私は、今でもこれが残念でならない。
夕食を欠食児童のように食べてしまうとまたすることがなくなってしまった。
7時を過ぎる頃、まだ、緑色の手術着を着たままのK先生が「ごめん、ごめん」と言いながらばたばたと病室に入ってきた。この人はハンサムなのに、いつもバタバタしている。
「じゃ、抜糸します。」と言って、私は抜糸された。
それは、あっけなく一分もかからなかった。
今度こそ、本当に退院できるのである。
感動の嵐が吹き荒れた午後一番の退院シーンはもはや再現されなかった。
私は皆さんにさようならと言って病室を出た。
ゆきちゃんのお母さんが私のボストンバッグを持ってくれると言って、私から荷物を奪ってさっさと歩き出してしまったので私は仕方なく手ぶらでMさんの後を歩いて行った。
病院のエントランスには客待ちのタクシーがたくさん止まっている。
コルセットを付けている私はかがめないので、タクシーに乗るにも時間がかかった。
大きな花篭を抱え、荷物を積み終わると、タクシーは走り出した。
運転手さんに行き先を告げると、「お見舞いだったんですか?大変ですよね〜」と
いろいろ話し掛けてくる。
私は何故か、入院していたんですとは言えなかった。
タクシーは夏の夜の街を走る。
こうして私の3週間の入院生活は終わりを告げた。
《おわり》
長い間、お付き合いくださってありがとうございます。
番外編で、またおめにかかりましょう!
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Yuki.
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