《ゆうの大学病院入院体験記》
ゆうは本気で、病院へ行った。
PART16〜ゆう、出所祝いを受ける。〜
私の退院が突然決まったので、妹が甥と姪を連れて慌てて病院にやってきた。
本当なら私はこの夏、妹の住む米国イリノイ州へしばらく遊びに行く予定だったのである。現地では、妹のカレッジの教授が私を招待して食事を共にするのを楽しみにしてくれていたし、私と誕生日が一日違いの「運命の友人」Dannyが私の訪問を首を長くして
待っていてくれる。
入院さえなければ、私の夏は素晴らしいものになっていたに違いない。私は馬に乗り、湖で泳ぎ、友人を訪問し、財布に物を言わせて(貯金をはたいて)バービー人形を買い狂うという夢をはたせたはずなのに・・・。
しかし、現実は過酷だ。
私は手術の日からお風呂にも入れなかったので、長い髪は手入れが行き届いているとは言っても艶が失われている。それに、全身に出た発疹は収まりかけているというものの全身がなんだかカサカサしていて、「色白で肌が綺麗」という私の唯一の取り柄も、
過去のものになってしまった。病室にいるとあまり気がつかないのだが、外来の棟へ
近づくといかに自分がひどく薄汚れた姿なのかが良くわかるのだ。
妹が子供を連れて病室に入ってくると早速、Sさんの好奇心を刺激したらしい。
私と妹の話を聞こうと身を乗り出しているのが私から良く見えて可笑しい。
甥は8歳ではあるが、きちんと親の言うことを聞く、さながら小さな紳士といったところ。
彼は幼い頃から我が一族に相次いで続いた様々な病気のために誰かしらが入院する
といった事態に遭遇してきたので、幼いながらも生と死の意味をある程度は分かる。
だから、きちんと話をしておけばふざけて暴れまわるということもない。
現地ではじめて日本人の子供を受け入れたという小学校で、彼は、153人中、上位の成績で名誉小学生のプレートとトレーナーをもらった。
「もしも、あっくんがいじめられたら、ゆうが刀を持って仕返しに行ってあげる!」
こう言って愛情を示す私は、彼にとっては、頼もしい伯母に違いない。
問題は、下の姪である。姪は、通いはじめたばかりの幼稚園で、東洋人を見たことのない白人の生徒から髪をつかまれた仕返しに、彼を張り倒して泣かせてしまったのだ。姪にとっては毎日が闘いだったらしく、幼稚園の先生からストロングSという、有り難くないニックネームを頂戴してしまった。
そればかりか、日本から送る彼女の大好物の「テンシン甘栗」ばかりを食べているので
「ぷう」がたくさん出て、所かまわずオナラをするので近所の人から「スカンキーS」という嬉しくない別名もついてしまったのだ。
また、彼女は4歳にして幼稚園の同級生に結婚を申し込むも「少し、考えさせて」という小さな彼の言葉で大変傷ついたらしい。(7歳になった今でも、時々手紙を書いて、まだあきらめてはいないと聞いている・・・)
こんな彼女のことを「アイシテル」と言って追い掛け回している別の男の子がいるのであるが、彼女は彼のことはなんとも思っていないのだそうである。妹に言わせると、この子の方が、金髪の青い目をして大層美しい男の子だそうだ。たった4歳でその小さな胸を
「三角関係」で傷めているのであるが、私には可笑しくて、声を出して笑ってしまった。
私たちが小さな声で話していると、Sさんが突然「ねぇ、ちょっと」といって話に割って入ってきた。私は、Sさんから、いまだに「ちょっと」と言われているのだ。
「そこの、僕、ちょっとなんか、英語を話してみてよ」
私と妹は顔を見合わせてしまった。妹は、甥と姪に日本にいる時は日本語で話すように
躾ているのだ。妹の言い分は、こうである。アメリカに住んでいて英語を話せることは
当たり前であって、何も偉くはないのだからそれをひらけかすようなことは、恥しいことだと子供たちに教えている。最も彼らは時々興奮して兄妹喧嘩するときなどは、英語で
やりあったりはしているのだが。こうなると親もお手上げである。
さて、甥が黙っていると、「あら、なんにもはなさないのねぇ」となんだか嫌みな言い方。
すると矛先は、小さな姪に向かった。「お菓子をあげるからちょっと、いらっしゃい」
止める間もなく私の愛する小さなストロングSは、Sさんのベッドの方に歩いて行き、
「ありがとうございましゅ」と言ってお菓子をもらってしまった。お菓子というのは、彼女の大好きな、「栗」の形をしたおせんべいだったのである。
妹はすみません、ありがとうございますとか何とか言っている。私は目で懸命に合図して
「それを食べさせてはいけない」と伝えようとしたし、姪からお菓子を後で食べなさいと
言って取り上げようとしたのだが、姪は包みを破るとばりばと食べてしまった。
何故、私が姪からお菓子を取り上げようとしたのか?それには、理由がある。
Sさんのベッドの周りは病室の中でも一番不潔で、シーツにはご飯粒や果物のカスが
くっついているし、しかも、そのシーツにはベッドの上で排泄するため、Sさんの便が
ついている。私はSさんに命じられて物をとってあげる時に見てしまったのだが、
その栗のおせんべいは、その朝Sさんのお尻の下にあったのだ。
私はその、「尻せんべい」をよけて捨てるのも悪いので、サイドテーブルの上によけておたのである。それなのに、こともあろうに、私の姪がそれを食べてしまうとは・・・!
私は、姪がお腹を壊さないかどうか気がかりであった。
と、いうのも、私は以前Sさんからもらったごま豆腐を食べて下痢したのである。
あの時は、「これ、食べる?」と聞かれて素直に喜んで頂いてしまった。Sさんは隣の
TさんとHさんと「ハワイ」にもごま豆腐を配ったのだが、私がごま豆腐のパックを
うれしげに開けていたら、向かいのTさんが私に何度もウインクをしてくるではないか。
私はTさんに微笑み返して、あっという間にそのごま豆腐を食べたのだが・・・。
食事を終えた途端お腹が痛くなり、私は下痢をした。
体調悪いからかなぁ・・・と思いながらトイレから戻ってしばらくするとSさんが話し掛けてきた。「あのごま豆腐、賞味期限がもう切れているんだけれど。いつ買ったのか忘れちゃったわよ。だから、あげたの。私は、ほら、あれだから。ほほほっ」
あまりにも、ひどすぎると思いませんか?私は呆然とした。
TさんはSさんからもらった食べ物で以前同様のことがあり、お腹を壊したのだそうで
ある。それで、私にタベルナと目で合図を送ってくれていたのだが、私にはわかるはずはない。
この日、「ハワイ」も私と同じく下痢をした。
Hさんは、Sさんからごま豆腐をもらうなり、Sさんから見えないのをいいことにそのまま
ごみ箱に捨てたそうである。
「ハワイ」は、「あのばばあ!」と言ってかんかんに怒っていたが、後の祭りであった。
そんなことがあったので、私は姪のお腹の具合を心配した。
私が妹に「あの栗せんべいの包みには『黄色いモノ』が付いていたから、帰ったらすぐに
姪に薬を飲ませるよう」に勧めた。妹は私の話を聞いて仰天している。
それでなくても姪は、食の細い子だったからである。
それでも私たちは午後の間楽しく過ごした。「ハワイ」の所にも「ハワイ」の息子さんが
フィリピーナのお嫁さんと孫を連れて来て賑やかである。
Hさんにも「彼氏」が来ているし、Tさんにも大学生の息子さんがお見舞いに来ている。
Sさんにだけは、いつものように娘さんが来たと思ったら、10分も経たないうちに何時の間にか帰ってしまった。Sさんは、寂しい人なのかもしれない。
夜になって、Hさんが車椅子で私のそばに来て
「夕食の後、ロビーで待っている・・早く、来いよ」とささやいて去っていった。
気が付くと、病室には私とSさんしかいない。
私はSさんを一人残して出て行くのも悪いと思ったので、しばらく話相手になっていた。
といっても、主にSさんの聞きなれた愚痴のフルコースを聞くだけである。
娘の婿が、悪人である。家を建ててやったのに、会社から帰ってきても、挨拶に「毎日」
来ない。お金が使い切れないほどある。自分のアパートの住民がそっけない。看護婦が全然親切でない。今の若い人はうらやましい。もう、死んでしまいたい。医者の態度が悪い。・・・・・等々。もう幾度も同じ話を聞いている。
私は電話をかけて来ると言って、ロビーに行った。
ロビーは人が少なかったが、同室の人が宴会をしていた。
Hさんが、「遅かったな、Sさんに捕まっていたか ・・ははは」と言う。そして、
「あんたの出所祝いをはじめるのに、主役が来ないからはじまらないよ。でも、もう
戴いちゃっているよ」と言って私にまあ、座んなさいと椅子を勧めてくれた。
テーブルの上には、この間Hさんが私に見せてくれた果物が並んでいて、芳香を放っている。グレープフルーツやオレンジはもう皮が剥かれて半分ほどが食べかけてある。
私の大好きなパパイヤをTさんが剥いてくれた。
他の3人の話は盛り上がり、私は果物を食べるのに忙しかった。
盆と正月とクリスマスと誕生日が一度に来たような素晴らしい光景!果物の山である。
そして、その時誓い合った?というか、Hさんから強引に誓わされてしまった。
ここを無事「出所」した暁には、いつか皆で集まろう、必ず集まろうと。そして、互いの
住所と電話番号を交換した。
私はHさんとTさんには、もう一度会ってもいいなと思っていた。
Hさんは、柄はお世辞にもいいとは言えないけれど人情が厚い女親分のような
おばあさんである。お婆さんとは言ったが、時々松葉杖で立ち上がった姿など、きりりとしてその年令の人にしては背が高く、身長164pの私とたいして違わないのに驚いた。今でもお化粧すれば綺麗だろうし、昔は美人だったのに違いない。
私が「ハワイ」と呼んでいる人は、話の時など「あれがあれしてあれだから、あれよ」
とか「あれ」だけで話すので私には内容がさっぱり分からないので嫌だ。
でも、同室の人には「あれ」で話が通じているらしいのには不思議である。
Tさんは、ごく普通のお母さんと言う感じで、一番私に親切にしてくれた。
私は目の前の美味しそうな果物をほおばりながら、考えた。
会いたくないとは言っても、会わずにはなるまい。退院後の定期検診の日は、もう皆に知れ渡っているし、たぶん、外来の待合室で顔を合わせるだろう。
まもなくやってくる「出所」の日はいよいよ明日だ。
明日の夜には、特上の握り寿司が待っている。
私の胸に喜びが湧き上がってきた。
この続きは、次回にまた・・・・。
Copyright(C), 1998-2009
Yuki.
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