《ゆうの大学病院入院体験記》
ゆうは本気で、病院へ行った。
PART15〜ゆう、さらに暇になる。〜
私は、毎日リハビリと称して一生懸命に歩く練習をした。
病棟と外来を結ぶ長い廊下は、私のような入院患者にとって格好のスペースとなっているらしく、安静時間が過ぎると様々な人の往還で賑やかである。
時々、看護婦さんの目を盗んで行っているのか、車椅子に乗った若者のスピード競争もあったりして、なかなか油断がならないのだ。
私はそこを行ったり来たりして何往復もした。
私が歩くことについて、誰も止めなかったし注意もしてくれなかったから、私は
早く退院したい・・その思いだけで懸命に歩いていたのだ。
だから私の手術を担当したM講師から、なるべく無理をしないように「安静」にして
身体を動かさないようにと言われた時にはショックだった。
どうも、こう言っては何であるが・・・。手術が成功したことによって、M講師の興味は
早くも次の「症例」の患者に向けられているのではないか?
私は今でもそう睨んでいる。
術後のケアは、若い研修医に任せてもはや私を診る気がないのではないかとさえ
思ったものだ。しかも、その研修医さえ忙しくて滅多に私の様子を見に来ない。
私は検査の副作用で出たまま治りきっていないアレルギーの治療のために
外来の皮膚科へ呼ばれたりして、身体を休めるどころではなかった。
待合室のソファは外来の大勢の患者で占められ、私は皮膚科の診察が本当に苦痛
だった。診察を待っている間に、脂汗が浮かんでくる。私には殆ど苦行だった。
大学病院という所は、縦のつながりは堅く堅く結びついているのだけれど、横のつながりはどことなく希薄なように思えたのは、私の気の回し過ぎだろうか?
私は仕事上、初めてのクライアントと顔を合わせるような時は、打ち合わせの前には
時間が許す限りシミュレーションをしたものである。すなわち相手が何を求めて、何を一番したいのか・・・?様々なケースを考えて企画書に盛り込んだ。だから、クライアントの
信頼も得られるわけであるが、私のその「企む癖」が、自分に嫌なことをささやく。
「もう、お前は、用無しの患者である」と・・・。
かまって欲しかったわけではないのだが、やはり入院している以上は少しは心配して
もらった方が、患者としては嬉しい。
午後になって教授回診があったのであるが、退院しましょうの教授の一言であっけなく
本当に決まってしまった。
後で聞いたら、手術の順番を待っている人が70人ほどいるのだとか・・・。
だから、私をベッドに寝かせておく理由は今となってはもうないということなのだろう。
教授回診を終えて、ベッドの上で寝ているとHさんがとっておきの話を聞かせてくれた。これは、私が入院中にHさんから聞いた話の中でも一番好きなネタで、気分の沈んだ時には、「あの話をまた、聞かせて」といって何回かせがんだものだ。
Hさんは、こんな話の何が可笑しいのかねぇと言いながらも満更でもなさそうに話してくれるのだが、もし叶うのなら、Hさんの本人から聞いたらどれだけ面白いか・・。
文字にするのは、非情に困難なのだ。その話、というのは・・・。
Hさんが入院前、診察を受けた時のことである。大体は予想していたのだが、やはり手術を宣告されてかなり「舞い上がった」のだそうだ。
で、気を落ち着けようとして、目の前の医者を見たら、これが髪の毛がとても薄い。
「はっきり言って、ハゲっ!」だったのだそうである。
で、Hさんはその髪型に思わず見とれてしまってその医師に言ってしまったのだ。
「先生の頭、見事なバーコードになっていますねぇ。何か秘訣でもあるんですかい?」
Hさんの言葉に、診察室は水を打ったように「しーん」となり、そのただならぬ気配に
今度はHさんが驚いた。
この病院の整形外科の診察室は、扉は幾つもあって各担当の医師が控えているが、
中では繋がっている。
だから、Hさんの「ドスのきいた声」(本人談)は、まる聞こえである。
Hさんがなんだ?と思って周囲を見渡すと、Hさんが「バーコードの頭」と言い放った医師の周りに立っている若い医師はこぶしを握ってじっと下を向いているし、背中を向けている医師や看護婦さんの肩の辺りが小刻みに震えている。
しばしの沈黙の後、それまで張り詰めていた診察室の空気を破るように、その「バーコード」の医師が「わっはっはっは!」と大笑いしたのだそうである。当の医師は笑いながら、「あなたなら、今度の手術も大丈夫でしょう」と太鼓判を押してくれたのだそうである。
Hさんもなんとなくホッとして、しばらくその先生と「ばか話」をして帰ってきた。
ところが、入院して今度はHさんが驚いた。Hさんが「バーコード頭」といった医師は
教授先生であったのである。
Hさんは他の医師からは「あの時は心臓が止まるかと思うほど驚いた」とか
「どうなることか、目の前が真っ暗になった」とか「笑ってはいけないから、我慢するのに息を止めていた」とか散々言われたらしい。
教授からも、「私の頭をあんなふうに面と向かって言ったのはHさんがはじめてですよ」と言われたそうである。
私は入院中に知ったのであるが、この教授は股関節脱臼にかけてはその道の権威であり、難しい手術を幾度となく成功させているために、患者がこの医師の元に全国から
やって来るのだという。
その教授に向かってこともあろうに「バーコード」と言い放ったHさんは、今でも「伝説の患者」となっているのは間違いないと思う。
私はこの話を教授には失礼ながらHさんから何度も聞いてその度に笑い転げた。
Hさんも今ではこのエピソードを自慢にしている節があって、新しい患者が入って来ると
ベッドの上に立て膝を突いた姿勢でこの話しをはじめる。
しかし、私はある時教授が厳しい口調で医師に指示を出している場面に遭遇して、この教授の度量の深さを知った。
もしもこれを私が言われたとしたら、それが誰であれ一戦交えているところである。
さて、午前中に手術室に入ったゆきちゃんが帰ってきた。
麻酔がまだ覚めきっていないのか、言うことがはっきりしないし、泣いている。
「痛いよ、痛いよ」と泣くゆきちゃんの声に私は胸が詰まった。
するとゆきちゃんのお母さんのMさんが私の所にやって来て、ちょっと来てという。
「ゆきがおねえちゃんに会いたいと言っているので、そばに来てくれる?」
Mさんに言われて、私はゆきちゃんのベッドのそばに行った。
ゆきちゃんは酸素マスクをしていて私を呼んでいる。
私はゆきちゃんの手をさすりながらゆきちゃんを励ました。
「良く頑張ったね、えらかったね。でも、もうだいじょうぶ、痛かったら痛いって
どんどん言おう。もう一杯頑張って偉かったんだから早く治そうね」
といったら、ゆきちゃんは静かになって痛いとあまり言わなくなった。
反対側のベッドの私が「ハワイ」と呼んでいるおばさんが、カーテンを開けて覗いた。
この人は、手術を終えて痛がるゆきちゃんに
「イタイイタイって言っていると鬼さんが来るよ」なんて言っていたのだ。
夜が更けていく。時々ゆきちゃんが泣いている。
その度に私はゆきちゃんとキティの話や何かをして気を紛らわせた。
痛い時に我慢しろというのは、子供には少し酷だと思う。子供だって、精一杯頑張れるのだ。ただ、時々は一緒に痛みを分かち合えないにしても、受け止めてあげることが
必要なのではないか。自分の経験から、私はそう思った。
病室はゆきちゃんのまわりだけ明るく電気が点いている。
私はもうすぐ退院だなと一人で考えていた。
この続きは、次回にまた・・・・。
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Yuki.
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