《ゆうの大学病院入院体験記》
ゆうは本気で、病院へ行った。
PART14〜ゆう、暇を持て余す 。〜
手術の翌日に私は医師の許可を得てさっそく歩く練習をしたのであるが、それは同室の人にとっても全くの快挙だったらしい。
たとえば、私と同じ手術をした人がいたそうであるが、その人は歩くのを嫌がり、
医師や看護婦さんが歩くよう促すと泣き喚いててこずらせ、ずっと車椅子に乗って歩こうとしなかったという。
あまり車椅子に乗っている時期が長かったので、病院が転院を勧めたらしい。というのもそれ以上、この病院においておく理由がなかったからだそうである。その時になって初めて歩き出したという事件があったらしいのだ。
最も、私の場合は無謀だったかもしれない。
せめて、もう一日大事を取って寝ていれば良かったと、今となっては思う。
さて、同室の人があれこれ親切にしてくれるので、病院の暮らしも大分慣れた。
ただ、あの獣のようないびきさえなかったら。
私は夜もぐっすり眠れたであろうし日中眠い目をすって我慢することもなかった。
自分でもよく頑張ったし、我慢できたと思うのであるが、こうして手術後表面的にはなんの問題もなく歩けることが分かるともう、何としてもさっさと退院したくてたまらなくなった。その思いは、一分一秒、時間が経つ毎に強くなるのであるが、同室の人に悪かったので黙っていた。
隣のベッドのゆきちゃんの手術も翌日に迫っていて、ゆきちゃんの機嫌が悪い。
私はこの日、一階の売店まで歩いていったのであるが、その時テレビドラマの撮影を
やっていて、私は遠くから眺めていて出演していた俳優を「キムタク」だとすっかり
思い込んでいた。
だから、私は「キムタク」が来ているよと何の疑問も持たずにゆきちゃんのご機嫌とりを
してしまった。
あの時のゆきちゃんの、目の輝きといったらっ!
「おねえちゃん、本当?わ〜い、皆に教えてあげよう・・・」と言ってぴょんぴょん跳ねながら病室を出ていってしまった。
後で退院してからドラマを見たのであるが、「キムタク」などどこにも出ていない。
おかげで私は大嘘つき になってしまった。
言い訳になるのであるが、当時の私は普段殆どニュース以外テレビは見なかった。
入院中もテレビを持っていなかったのは、同室の中で私だけである。
この年は、オウム真理教が起こした様々な事件が報道されていてワイドショーなども
この話題、一色。恐らくこの年に入院した患者は退屈する間がなかっただろう。
私は報道という大義名分の元、面白おかしく 情報を流す各種メディアにはうんざりしていたところだった。
だから、テレビは私にとってはテーブルを占領するぐらいの箱。
無用の長物なのであった。
だが、この「キムタク取り違え事件」に反省して、たまには新聞の芸能ニュースも見ることにした。
さて、Hさんがベッドから右手をおいでおいでして私を呼んでいる。
それを発見したSさんが何事かと首を伸ばして、私とHさんを見比べている。
「何かな?」と思ってHさんの「領土」へ行くと、Hさんは「ほうれっ」と言いながら
私に大きな箱を開けてみせた。
箱の中味は、それは見事な果物の詰め合わせがぎっしり!
メロン、パパイヤ、オレンジ、りんご、グレープフルーツ、キウイ・・・。
おお、凄いっ!果物のレビューではないか。
Hさんは、果物の蓋を閉めながら重々しく私に宣言した。
「このフルーツで、あんたの出所祝いをしてやるっ!」
私は心の中でうわぁ〜凄い凄いっ!と叫んでいたが、口には出さなかった。
「いったい、どうしたんです?もったいないから、Hさん、御自分で召し上がればいいじゃないですか・・?」
「あたしは、酒の方がいいのっ」
出所祝いしてやる、いや、こんな事をして頂くわけにはいきません・・とかなんとか、
しばらくHさんとその果物を巡って小さい声で押し問答していた。
Sさんが、しきりに首を伸ばしてこちらを見ようとしているその顔が、失礼ながら私には大変可笑しかった。
退院の日はまだはっきりと決まってはいないのだが、私は有り難くHさんの好意を受けることにした。私は芳香を放つパパイヤの甘い誘惑に負けたのである。
「それにしても、退院を『出所』だなんて、私ら極悪人かい?」とTさんがベッドの向こうからあはははっと笑いながら仲間に入ってきた。
そこにSさんも混じって、本当に監獄よねと言う。
私はSさんのいびきがなかったら、この監獄も随分過ごしやすいのに・・・と心の中で
意地悪なことを考えてSさんに仕返しした。
明日、M講師から退院の許可は下りるだろうか?
私は期待している自分をそこに見出して、自分で自分に驚いてしまった。
期待!諦めることが多く、自分の人生の中で久しく使わなかった言葉!
この続きは、次回にまた・・・・。
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Yuki.
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