《ゆうの大学病院入院体験記》
ゆうは本気で、病院へ行った。
PART13〜ゆう、たちあがる 。〜
いつのまにかうとうとしたらしい私は、同室の人のいびきで目が覚めた。
時計を見ると午前4時半を過ぎていた。
手術した腰は重く張って、苦しい。私は無意識の内に腰をかばっていたのだろう、
寝ている間も仰向けのまま体を動かさなかったらしい。
昨日の夕方から何も口にしなかったので、咽喉がひどく渇いていた。
私はベッドサイドのテーブルに置いてあったポカリスエットを取ろうとして体を
動かそうとしたが、手が届かない。
その時になって、腰から下の感覚が自分の物ではないのに私は愕然とした。
寝ぼけていた私は前日、自分が手術を受けたことを思い出した。
咽喉は渇いてカラカラだったが、こんな時間にナースコールをして看護婦さんを
呼ぶのも悪いと思ったので、とにかく自分の力でなんとかしようともがいた。
それにしても、この腰の重苦しさといったらどうだ。
この痛みと苦しさをどう表現したらいいのだろう。
私は以前読んだ、太平洋戦争中のビルマ戦線の死の行軍を思い浮かべた。が、
私の状況は少なくとも大勢の人に介護され、見守られ心配してもらえるという点では
人知れず命の炎を無念の内に消さざるを得なかった人々とは比べ物にはならない。
それに、自分の中では病気との闘いではあるが、ここは戦場ではない。
私は病院の寝心地の良いベッドの上で保護されているわけだから・・・。
などといろいろな考えをとりとめもなく思い巡らしている内に、こんな事を考えている
場合ではないと考えた。まずは、この、咽喉の渇きを何とかしなければ・・・。
私は腰に痛みを感じることがないのを確認しながら、少しずつ、少しずつベッドの
端に移動する努力をした。
一回に移動できるのは、ほんの数ミリである。私は胸で大きく呼吸しながら、仰向けのまま飲み物の置いてあるベッドの端を目指した。
距離にしてほんの数十cmもないのに、私には途方もなく遠く感じた。
どのくらい時間が経っただろう。私の努力は空しく空回りするばかりであった。
その時の私の格好は、枕から頭が落ち、体は飲み物とは反対の明後日の方向に
向いてしまっているではないか。ああ、咽喉が渇いた・・・遠くにある飲み物の缶をうらめしく眺めながら、何故昨日のうちに今の事態を予測し、備えておかなかったのだろうと
私は自分の準備の悪さを後悔した。
その時である。私の容体を見に茶髪のH先生が小さな声でおはようございますと
言いながらカーテンを開けて私のベッドのそばまでやって来た。
あの時の先生はさながら救世主であった。後光が射していたといってもいいだろう。
「どうですか〜?」と言いながら、私の様子を見た先生は心底驚いた様子で、先生の
顔にはあきれたとも、可笑しいともつかない複雑な表情が浮かんでいた。
「先生、咽喉が渇いたので、その缶とって下さい」私の声はかすれていた。
私は先生に飲み物を取ってもらうと缶の蓋まで開けてもらって、それを少し飲んだ。
あれほど欲しかったのに、口にしたポカリスエットはぬるくてまずかった。
先生は、ベッドから半分身体が落ちそうになっている私をそのたくましい腕でひょいと
ベッドの真ん中に戻してくれた。ついでに私は先生にベッドを起こしてくれるように
頼むと先生は快くベッドをあげてくれた。
「ああ、助かった〜」 私はホッとして思わず声を出してしまった。
「一体 、なにをどうしようとしていたの?」先生はくすくす笑いながら私に聞いた。
私はそれには答えずに、先生に質問した。
「もしも、歩けたら今日歩いてもいいんですよね」
先生は一瞬驚いたようではあるが、「よし、きた。ちょっと、待っててね」というと
病室から出ていった。先生のどすどす歩く音が早朝の病棟に響き渡り、それが遠くに
消えたと思ってしばらくすると、さっきよりもさらにどすどす音を立てて私の病室に
近づいてきた。
「許可、取ったよ!」先生は私のベッドに近づくなり声を出した。
「ところで、今、何時ですか?」
「ん・・と、5時半過ぎ・・」
すると私は一時間近くも、ベッドでももがいたいたわけだ・・。我ながら驚いた。
「じゃあ、無理をしたら絶対駄目だよ。無理しそうだからなぁ・・」
そういって、先生は消えた。
まだ、起床時間には間があったけれど、私はとにかくベッドから降りて立ってみたい!
この自分の欲求を満たさねば・・・。いや、何としても立ち上がるのだ。
そう自分に言い聞かせて自分を奮い立たせようとした。
それに、ここは病院である。たとえ何かあっても、今以上悪くなることもあるまいと思った。検査では副作用で散々な目にあったし、激痛の手術にも耐えた。
まあ、何かがどうにかなっても、入院がその分長引くだけだものね・・・
心の中でそんなことを自分を相手にしゃべりながら思い切って起き上がった。
痛かった・・・・。涙が出るほどではないが、腰はずきずきとそこの部分にもう一つ
心臓が生えたかのように。痛みと共に腰は自分を主張している。
私はベッドの上に腰掛けると、次に自分の足で立てるかどうか確かめたくなった。
ベッドからそろそろと降りて、足に体重をかけ手を離すとどうだろう!ちゃんと
立っていられるではないか!!
しかし、あばらの下から足の付け根までコルセットで堅くガードされているせいか
私は自分の力で立っていると言う実感があまりない。
思い切って歩いてみると、歩けた。痛くは、あまりない。
コルセットのせいで、身体はまっすぐ少しもねじることが出来ないのに気がついたのは
この時であった。
まだ誰も歩いていない早朝の廊下を、私は手すりにつかまりながら歩いてみた。
歩ける、歩ける!
歩くと言う、この何でもない日常の動作がこれほど感動的だったとは!
私はとても嬉しかった。しかも、手術前は歩くたびに足の裏に電気が走ったように
感じる痛みもないではないか。
私が廊下で立ち止まって感動していると、私の手術に立ち会ったK医師が歩いて
来た。そして、私の立った姿を見て心から驚いているようである。
「あれ?歩いちゃったの?大丈夫ですか?」
先生は、驚きを隠せないという表情で私を見ているが、何だかとても嬉しそうだ。
私も嬉しくなって、こんなことも出来るんですと言いながら、片足を上げて見せた。
どこまでも愚かな、私の性格。こんな時までサービスしてしまうだなんて・・・。
しかしK医師は、とにかく無理しないで下さいねと言って、私にバイバイと手を振ると
医師の控え室の方へ消えた。
朝食が終わる頃には、朝方の私の冒険が伝わっていたのだろう、手術をしたM講師も
様子を見に来て、私に良かったですねと言いながら
「この分では、多少早く退院してもらっても問題はなさそうですね」とありがたい宣告をするではないか。退院!私は夢を見ているような気分だった。
私は、懸命に歩く練習をした。
それにしても、コルセットをつけた生活は何と不便なのだろう。
医師から申し渡されたのは、身体をひねったりしては絶対に行けないと言うことだった。
レーザーで焼いた患部が落ち着くまで、前傾姿勢はもちろん厳禁。
私は顔を洗うのも真っ直ぐ前を向いたまま。首から下は、自由にならないのだ。
歩いていて例えば右に曲がりたいと思ったら、まず、足を軸にしてくるっとターンしなければならない。腰を使っては、絶対にいけないのである。その動きはロボットのようにぎこちなく 我ながら滑稽で、時々自分でも吹き出しそうになった。
ストレッチ体操などは論外。椎間板がずれるような動きは絶対にしてはいけないと
厳重に言い含められた。
しかし、これらの注意をあらためて聞いたのは午後である。
私の早い回復ぶりに同室の人は我が事のように喜んでくれたのではあるが、
私は、かつてSさんの下僕であったことを思い出させる事件が起きた。
Sさんは、私が動けると見て取るや否や、ベッドの下に落とした物を拾って頂戴と言う。
私も今思えば、Sさんの頼みを断れば良かったと思う。
コルセットを付けた私はどうにか歩けるのだが、屈んでベッドの下の物を取るのに難儀した。それでも、なんとかふうふう言いながら落とし物を拾ったら腰が熱くなって痛んできたのである。私は鎮痛剤の座薬を使っていたのをすっかり忘れていたのだ。
Hさんは、それを見て頭に来たのか、ベッド周りの大事な物は全部紐で結わえておけと
Sさんに命じた。私のこの事がきっかけなのであろうか、病室はSさんへの不満の嵐が吹き荒れてしまった。
いつもは親切なTさんでさえ、毎日お見舞いに来ても何もしないSさんの娘さんに
「ちょっと、あんた。毎日見舞いに来るなら、親の身の回りぐらい片付けなよ」と
びしゃりと言うと、それきり黙ってしまったのだ。
しかも、人を家政婦かなにかのように使うのなら、個室に入って自分で雇えとまで
言う人がいたりして、私はなにがどうなったのか混乱してしまった。
夕食が終わって、消灯までの間。
病室には私とSさん以外、誰もいなくなってしまった。
HさんもTさんも他の人も、頭に来ると言ってロビーに消えた。私の隣のゆきちゃんもただならぬ気配に何かを感じたのか電話をかけに行ってしまった。
私は、他の人にロビーでお茶を飲もうと誘われたのだが、一人残されるSさんが気の毒でベッドに入って音楽を聴いていた。
するとSさんは、この歳になって財産もたくさんあるし、お金に不自由はないのだけれど
と前置きして、こんな身体になっていて、もう生きていくのが辛いとこぼしはじめた。
私は何気なく話しを聞いたいたのであるが、とうとう我慢がならなくなりSさんに言った。
「なにを情けないことを言っているんです?もうすぐ治るってお医者も言っていたじゃないですか!生きるって、素晴らしいことですよ!」
我ながら、大人げないとは思ったが、ついつい、声の調子がきつくなるのが自分でも
わかる。興奮しないように、私は努めて平静を装ったのであるが・・・。
その日の午後、私は手術が無事終わったことをアメリカから帰国している妹に電話を
して伝えたのであるが、その時に入院していた祖母が危篤だというなんともやりきれない知らせを聞いていたのだ。 私はその電話の後、誰にも知られないようにそっと泣いた。
だから、死んでしまいたいというSさんの言葉に逆上してしまったのである。
私は生きていたら自分の母親がSさんより少し年下だということ、
母は進行癌で助かる見込みはなかったけれど、最後まで希望を捨てずに病気と闘ったことなどを少しだけ話した。だから、残りの人生を精一杯生きましょうよなどと、私は
目上の人に向かって「説教」してしまった。
Sさんは、涙ぐんでいる。
わたしは自分が泣かせたわけではないのに嫌な気分だった。
せっかくの一日がなんだか台無しになってしまったような気がして、私は昼間、M講師が言った退院を早めてもいいと言う言葉にすがる思いだった。
「早く、出たい。。。」私はこの時、切実に退院を願っていた。
この続きは、次回にまた・・・・。
Copyright(C), 1998-2009
Yuki.
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