《ゆうの大学病院入院体験記》
ゆうは本気で、病院へ行った。
PART12〜ゆうは本気で手術を受けた。(地獄の2時間)〜
手術当日。
この日、私には朝食と昼食はない。
手術は午前11時からなので、麻酔を使わない手術を受ける私は朝食は摂っても
かまわないと医師から言われていた。しかし、朝食を摂るのと摂らないのの選択が
出来るのなら、どちらがより良いか尋くと摂らない方が良いとのことだったので
朝食は断った。
おかげで朝起きてからしばらくは手持ちぶさただった。
朝ご飯がないからといって好きなコーヒーを飲むわけにもいかないし、煙草を吸うわけでもないからなんとなくベッド周りを片づけてみたりはするのだが、毎日整理しているのでちり一つ落ちてはいない。
暇にしていたら車椅子を許可されたばかりの同室のTさんが私のそばにやって来て、
私の三つ編みにしている髪をほどいて可愛い編み込みに結ってくれた。
「がんばんなさいね・・」
Tさんは私など足元に及ばない大手術を潜り抜けて来た人であるが、私を励ましながら涙ぐんでいる。私は手術は全然怖くないのだけれど、Tさんの潤んだ目を見ていたら胸がじんときてしまった。
昼前になって、いよいよかなぁと思っていると看護婦さんが来て手術時間が延期に
なったと言うではないか。
なんでも、交通事故で運ばれてきた人がいて、担当の講師他、医師が緊急のオペに
入ってしまったらしい。
私は拍子抜けしてしまった。
病棟には、お昼ご飯の豚肉の生姜焼きの良い匂いが漂っている。
私は食べ物もないので、仕方なく本を読んでいた。
一時前になって、「お待たせしました〜」と言いながら看護婦さんが手術着を持って私の所にやって来た。私はそれに着替えたのだが、その下は完全なヌードである。
私は同室の人に明るく「じゃ、行って来ます」と挨拶をし、皆の「頑張ってね〜 」という
声に送られて、ストレッチャーに乗った。
ストレッチャーの乗り心地は悪くはなかった。私はこの時の看護婦さんとの会話や、
運ばれながら廊下で行き合った人のパジャマの柄まで覚えているのに、手術前に注射や点滴を受けたかどうかなど、何故か何も覚えていない。
やはり、緊張していたのかもしれない。
地下にある手術室 まで運ばれてきた私は、そこで病通の看護婦さんとお別れした。
そこからは手術室勤務の看護婦さんに引き継がれた。
いくつかある手術室の一つに私は運ばれたようだ。
私の手術を担当する看護婦さんは、それは美しい人だった。もし、天使が人間の姿を
借りてこの地上に降りてきたら・・・、こんな人なのではないだろうか。
私が入院したこの病院の看護婦さんは、美人が多いのだがこの時会った人は
本当に美しかった。
私はこの人の容姿を表す言葉を知らない。あえて言うとすれば、涼やかな黒目の
色の白いはかなげな、しかし優しさが表情ににじみ出た可憐な人・・。しかし、そんな
言葉はこの看護婦さんに失礼である。
私はこの看護婦さんに会った途端、緊張が解れて行くのを感じた。
レーザーを照射する手術室は、そんなに広くはなさそうだった。私は自分の見える
範囲で手術室を観察した。室内の殆どが様々な機器で占められ、さながら近代的な
工場のようだ。私はストレッチャーから手術台に移され、その時を待った。
しかし、医師はなかなか来ない。天使のような看護婦さんは、手術室の中できびきびと働きながら私を気遣っていろいろと話し掛けてくれた。
どのくらい待っただろうか。
突然手術室の自動ドアが開いて、医師がどやどやと入ってきた。
「いやぁ、ごめんなさいね〜、緊急オペが長引いちゃってね、お待たせいたしました〜」
私のオペをするM講師だ。すでに手術着を着て帽子をかぶり、マスクをしている 。
全身緑のユニフォームを着こんだ医師が3人。茶髪の研修医の彼もいる。
いつもは、冗談ばかり言っている先生も、緊張のためか心持ち顔が引き締まっているようなきがしないでもない。だが、後でよく考えてみたのだが、たぶん医師は午前中から続いた交通事故の患者の緊急オペのため疲れていたし、昼食も摂らずに私の手術に駆けつけたのに違いない。
これは、あくまでも私の推測なのであるが、時間的にそうなるのだ。
手術は、医師の「はじめます」を合図に突然はじまった。これは、私も予想していなかった。はじめる前は、何か私に一言あるのかと思っていたのだが・・・・。
私は右側を下にして横向きになっている。
しかも、腰の部分に台形の型をした枕のような物を入れられていて、これが腰とあばら骨を圧迫してかなり苦しい。しかも、足は決して動かしてはいけないと言われた。
何故なら、体を動かして万一メスが私の神経を傷つけたなら、重大な事故になり、
下半身も麻ひしてしまうかもしれないのだ。これは、あくまでも最悪の事態だが。
初めのうちは私はモニターに写っていた自分の腰の写真(骨)を眺めていられたので、
滅多に見られる物ではないから「これは面白い」と思ってむしろその映像を楽しんでいた。ところが、M講師がいよいよメスを入れる段になって、看護婦さんに命じて私の
上半身を緑色の厚い布のような物で覆ってしまった。
医師が「ちょっと、痛いですよ、皮膚を切るための麻酔をかけます」と言ったのだが
全く痛くなかった。ただ、注射針のちくりとした感覚だけがあった。
問題は、それからだったのだ!!!
患部にレーザーを照射するために、メスが私の椎間板まで進入していく。
はっきり言って、麻酔の効かない体内へメスの進入していく痛みは今までに経験したことのない激痛であった。
医師から私の様子を観察しながらメスを入れていくという説明はあった。しかし、私は
上半身を覆われているので声もあげられない。
痛かったら合図をするように言われていたのだが、その声が医師に届かないのだ。
「生きてますか?どうしました〜?」というM講師の声は聞こえていても、私の方では
どうにもならなかった。私は唯一自由だった右手を一生懸命ひらひら動かして合図を
送っていたら、看護婦さんが気がついてくれた。
途中で、私の顔の部分だけは覆いを除けられ、看護婦さんが私の右手を握っていてくれた。メスが私の椎間板に到達するまでの時間は、およそ30分位であっただろうか。
私は、耐えに、耐えた。ぎゅっと口を結んで、激痛と向かい合っていた。
頭の中では色々な考えがある時は断片的に、時には鮮やかにくるくる駆け巡る。
3回の手術を受けて死んで行った母のことが一番思い出された。
手術室に入る前に、見送る私と妹に母は手を振って明るく笑っていたこと、私が病院に来るのを楽しみにしていた母は、どこにそんな力があったのか、自分で歩いて病院の廊下の窓から道路を歩いていた私を見つけてにこにこと手を振っていた。
点滴の管を振り上げて手を振っている母を見つけた私は、嬉しくも驚いて走りに走って母の元に駆けつけたこと。母が息を引き取る直前の深夜に病室の窓から見えた
新月がたいそう美しく輝いて見えたこと。
火葬が終わって胸に抱いたお骨が、とても熱かったこと。私の思考はまとまりもなく、
思いはいろいろな時間に飛んだ。
そして、こういう状況の中でこんなことを考えているのは、自己憐憫にまみれた感傷ではないか?愚かだな、いやこういう場面では仕方ない、それにしても痛いっ!
などと、馬鹿なことを考えるのはやめよう・・・とか。ありとあらゆることを考えた。
私は口にこそ出さなかったけれど、心の中では大声で痛い痛いとわめいていたのだ。
M講師は「痛かったら教えてくださいね」と言っていたのだが、我慢しすぎて声にならなかった。そのうちに、自分の意志とは関係なく涙がぽろぽろとこぼれてきた。
私の手をずっと握っていた看護婦さんは、私の涙をガーゼでぬぐってくれると
それまでよりもずっと力強く両手で私の右手を握ってくれた。
私も言葉で応える代わりに看護婦さんの目を見て、手を握り締めていた。
あの看護婦さんがいなかったら、私はあの激痛の中、正気を保って耐えられたかどうか
今でも自信がない。
しばらくして、痛みが一旦おさまった。と、思った私が甘かった。
それまでは、メスを進入させただけでレーザーの照射はそれからだったのである・・・。
茶髪の先生のカウントがはじまった。
レーザーを照射する激しい音、患部を焼く臭い・・・・。
私は先生のカウントの声を聞いて気を紛らわせていた。
激痛は、さらに輪をかけて私を襲ってくる。
私は心の中で死ぬ死ぬとわめいていた。
レーザーが3000回ほど照射されたのだろうか。よくはわからなかったし、その後私は
自分の手術中のことは考えるのも嫌だったので、医師に確認したわけではないのだが
一回に、30回ずつ、それが百回ほど続いた。
このままこうしていたらきっとこの痛みのショックのために、私は本当に死ぬだろう。
いや、今はこうして意識を保ってはいるけれど、もうあの世の入り口まで来ているのだ。
そんなことを考えていた。
いっそのこと、意識を失った方がどれだけましだっただろう。
実際、手術中の私の血圧は上が78前後。素人考えで、私は意識がなくなったって
少しも不思議ではないと思うのだが、私の心臓はこんな激痛の中でさえ、全く正常で力強かった。人間と言うのはかくも、生命力がある物なのか・・・。
この時の私の願いは、ただ一つ。気絶すること。だが、それもかなわなかった。
強情な私の性格は、こういう時にさらに拍車をかけて現れる。痛いと言ってもいいと言われてもなお、歯を食いしばってしまう自分の性格を少し呪った。
だが、ここで私はくじけるわけにいかない。後で、今日のことを私は笑い話にして、
こんな手術はなんでもなかったと言う顔をして人に話すのだ!
私のプライドと意地だけが、この激痛に耐える私を支えていた。
手術は二時間ほどで終わった。なんと恐ろしい、地獄の二時間!!
私の腰の4ヶ所の傷口は、それぞれひと針ずつ縫われ私は生還した・・・。
病室に戻ってくると、もう夕方だった。
私のベッドだけカーテンで隔離され、私は手術前に用意したコルセットをつけられ
絶対に身体を動かしてはいけないと言われ、右を横にしたまま寝ていた。
夕食は用意されていたが、さすがに咽喉を通らなかった。
しかし、咽喉が渇いていたのでスープだけ少し飲んだ。
しばらくしてM講師が私の様子を見に来た。
「どうです?」と聞かれた私は 「話しが違う、死ぬかと思いました」と医師に言ったら
M講師は、くすくす笑いながら、「ごめんなさいね〜」と言って病室から出ていった。
この時のM講師との会話がHさんには面白かったらしく、私は退院するまで
「医者に逆らって、ガンをつけた」と言ってはHさんにからかわれた。
夜になって、体を仰向けにしても良いとの許可を受けた私はやっと体位を変えられて
ほっとしたのか、何時の間にうとうとしたらしい。
気がつくと、金縛りになっていた。
カーテンがすうっと開くと、看護婦さんが一人入って来る。
しかし、見たことのない看護婦さんだ。その看護婦さんは私のそばに歩いてくると
妙な笑い声を立てて私に迫ってくる。そして動けない私の首を絞めてきた。
私はその看護婦さんの振る舞いに驚愕してもがいた。何をするんです?と言った
途端にその看護婦さんは私を見た。その顔は、ぐしゃぐしゃにつぶれていた!
私はうめいて助けを呼ぼうとしたが声にならない。
殺されるぅ・・・と思い観念した時、
「いかがですか?」と本物の看護婦さんの優しい声がして、私の金縛りがとけた。
幽霊とかの類を私は全く恐ろしいとは思わないのであるが、あの時は本当にホッと
した。
ほっとして私は看護婦さんに、「今、妖怪のような変な看護婦さんの格好をしたものに
襲われてたんです。助かりました・・・」
と思わずお礼を言ってしまったのだった。
私を気遣ってくれているのか、病室は静かだ。
だが私は良く眠れないまま、一晩を術後の痛みと闘った。
この続きは、次回にまた・・・・。
Copyright(C), 1998-2009
Yuki.
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