《ゆうの大学病院入院体験記》
ゆうは本気で、病院へ行った。
PART11〜(手術前日)ゆう、睡眠薬を飲む〜
翌日に手術を控えて、私はこの日は朝から忙しかった。
食事を終えた後、看護婦さんが何度もやって来た。
この前のミエログラフで 私は造影剤の副作用とアレルギーの発作を起こし半死半生の
目にあったわけであるが、そのために私の手術前の準備は入念に、しかも間違いのないようにしなければならないのだろう。
色々な確認の為に同じ事を何度も聞いてくるのも面白かった。私の低すぎる血圧や
体温もきっと 確認事項に入っているに違いない。
しかし、何度測ろうが、わたしの血圧は上が90ないのだ。
本人は今までそれで充分、健康に生活してきたのだから、なんの問題もないのでは
あるが・・・。
実は、私は体力にはかなりの自信があって、運動能力も人並み以上にあった。
普段のぼうっとした私からは想像がつかないだろうが、小学生の頃から駆け足が早く
地域代表で走っていたものだ。成長期にはずっと走り込んでいたし、大人になってからもこの業界に入るのまでは運動はよくしていた。
だから、あの日の朝、仕事で出た紙ゴミを出そうとして「魔女の一撃」(ぎっくり腰)に
見舞われた時は、仕事に忙殺されて運動が不足したぐらいに思っていたものだ。
そのため私は愚かにも安静にするどころか、痛む腰を我慢しながらわざと動き回った。
それがこうして手術を目前にした今、自分でもわざとらしいほどおとなしくしているの
だから笑ってしまうではないか・・・。だが、おとなしくしているのにも限界はある。
すっかり退屈していると、私が手術後に着けるコルセットが出来上がってきた。
これは・・・・。はっきり言って、かなり恐ろしい物であった。
手術後、私はこのコルセットを入浴する時以外は季節を問わずずっと装着したまま一年以上をこれと共に過ごしてきたのだか、よくもまあこんな物を着けて生きていられたと感心してしまう。
初めて着けた時は、呼吸が止まってしまうのではないかと思うほど苦しいものであった。
ところで、このコルセットの製作代金は保険が利かない。
ただ、市町村から代金の7割の補助が出るので領収証をもらわなければならない。
業者から領収証をもらってよくよく確認すると私の名前が全くの別人になっているではないか。この領収証は、役所に提出し還付金を受けるための大事な証書である。
私は業者の「おっさん」に文句を言って、書き直すように頼んだ。
すると、そのオヤジは、私がなにかとてつもなく面倒なことを言い出したと言うような顔をして、その場で領収証にボールペンで無造作に線を引くと私に渡してよこしたのだ。
私はその態度と渡された領収証に腹を立て、きちんと正式に再発行するように求めた。
オヤジは、「大丈夫だから」を繰り返す。何が、大丈夫なものか。
自営業や、フリーランスで仕事をしている人ならばお分かり頂けると思うが、領収証は
とても重要な物である。一枚なくしただけで確定申告の時など大変な騒ぎになるのだ。
そのことを業者のオヤジに言うと、今度は私の名前の間違いは「コンピュータ」が間違えたと言い放つではないか。私はますます腹を立てた。
「すると、おたくのコンピュータは、なんですか。ロボットか何かが私の名前をインプット
していると・・・・?そういうことなんですね?」私は、オヤジを低い声で責めた。
「そのコンピュータを操作しているのは、人間でしょう?再発行してくれないのなら
仕方ないですね。万が一、還付金を受けられないというような事態にあったら、このことを問題にします・・・」
私の言葉が 終わらないうちにオヤジは病室を飛び出して行った。
間もなく、きちんと作り直した領収証が看護婦さんの手で届けられた。やればできるのだ。人を「若い女」だと甘く見ているからこういうことになるのだ。
私は憤慨していた。明日は手術があるというのに、全く!
すると、このやりとりを聞いていたHさんが、言うには・・。
「あのジジイは、いい加減なことばっかりやって頭に来ていたから気分がすっとした」
良くやったと変な褒められ方をした。
午後になって私の手術の準備は着々と進められているようである。
「剃毛しまぁ〜す」と明るく言いながら看護婦さんが、洗面器と石鹸とかみそりを持って、
私のベッドにやって来た。手術する前は、手術部位の体毛を剃るのが決まりだそうだ。
しかし、パジャマを脱いでうつぶせになった私の腰を見た看護婦さんは困った様子。
何故なら、私は毛深くないので、産毛すらもあるかないか・・・。無駄毛も殆どないのだ。
私は子供の頃のあだ名は「キュウピーさん」だった。
2歳になるまで私の髪はちっとも生えてこなくて、わずかに頭のてっぺんに茶色い髪が
生えているだけだったそうだ。
赤ん坊の頃の私は写真を見ると天使のように!まんまる顔で自分で言うのもなんであるが、大変可愛らしい。私は全く覚えていないのであるが、(当たり前である)生まれて間もない私を父は無謀にも着物の懐に入れて、友人や恩師に見せに行ったらしい。父親が溺愛するのも無理はない。私は自慢の美しい子供だったのだ。但しそれは当時のこと。
さて、そんな親の心配を他所に私は幼稚園に入る頃にはちゃんと髪が生え揃って来たが、今でも私のおでこは広く、生え際の髪は薄い。
そして、丸顔のまま大人になってしまった。(泣)
だから、看護婦さんが剃る毛がないといって誰の責任でもないのだ。
看護婦さんは「一応、決まりだから・・」と言って、私の腰に石鹸を塗りかみそりを当てたが、もちろん、それたものは何にもなかった。ただ、くすぐったかっただけであった。
夕食の前に、私は入浴した。時間は、30分。時計がないので、私はゆっくり入ってね
と言われても落ち着いて入っていられなかった。
整形外科の浴室は、動けない人をリフトで入浴させるために、とても広い。
私は脱衣室のバスマットになるべく足を触れないように注意しながらそろそろ歩いた。
他人の入った後は気持ち悪かったので、浴室もなるべく足をつけないように忍者のようにひょいひょい歩いた。私はいつかテレビで見たことのある伊賀の忍者の末裔という人の「鶴の歩き」を思い浮かべて真似をしたつもりだった。何故、そんなに用心して
浴室に入っていったかというと・・・。
いつだっか、ロビーで整形外科に入院している男の人が水虫がかゆいと話しているのを聞いてしまったことがあるからだ。
アレルギーで発疹を起こしてからは、シャワーしか浴びていなかったので、久しぶりの
入浴はとても気持ちが良かった。
「極楽、極楽・・・・」私は思わず声に出してつぶやいてしまった。
この日、夕食に出された牛肉の牡蛎ソース炒めも私には美味しかった。
就寝近くなると、Hさんが同室の皆に大きな声で命じた。
「彼女は、明日手術だから、皆、静かにしてゆっくり寝かせてあげるように!」
私は、Hさんの心遣いに感謝した。しかし、約一名だけ、聞いてない人がいた。
あのSさんである。
消灯時間になるとSさんはいつものように大きな音を立てて何かを食べはじめた。
そして、便器の蓋を落とした、何かがお尻の下にあって寝心地が悪い(実は、さっき食べたお煎餅)、かばんを落とした・・・と言っては、その度にナースコールで看護婦さんを呼び、「ついでに・・アレして・・」と言いながらあれこれと世話を焼かせていた。
それでも辛抱強くSさんの要求に応える看護婦さんを私は心から尊敬した。
10時になってもガサガサとうるさいので、Hさんは車椅子で煙草を吸いに病室から
逃げていってしまった。
やっと静かになったと思ったら、今度は物凄いいびきがはじまった。
私は眠らなければ・・と思いながらもその音があまりにもすごくて寝付けなかった。
既に、深夜。
私はそっと病室を抜け出してナースステーションに行った。
夜勤の看護婦さんに眠れないんですと訴えたら、
「先生に聞いて、入睡眠剤を出してもらいましょうねと」と優しく労わってくれた。
1時を過ぎていた。病棟には、Sさんのいびきが轟いている。
私は処方してもらった薬を1錠飲むとどうやら眠れそうな気がしてきた。
いびきが次第に遠くに聞こえる。私はその晩、夢を見なかった。
この続きは、次回にまた・・・・。
Copyright(C), 1998-2009
Yuki.
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