1月1日という日、それぞれの・・・。
あけましておめでとうございます。。
新春を迎えた歓びを「とりあえず」言葉にして、交わされる挨拶。一つの儀式。
私は、おめでとうを言うのが苦痛になった。
いつまでも過去にとらわれすぎているのかもしれないが、特別に嬉しい日ではない。
だから、淡々と形通りの支度をして、松の内が過ぎるのを待つ。
あの年の元旦。寝たきりだった母が外の景色を見たいと私に言った。
私は母を車椅子に乗せ、点滴や吸引具一式を手に持って病院の外へ出た。
病院の玄関を出ると大通りに面していて、段差のある歩道は車椅子や身体の不自由な
人には不便なように思えた。
私は車椅子を押すのが不慣れなために、母を怖がらせてしまったようで
ほんの少し外の景色を見ただけで、母は病室に戻りたいと言った。
母がお正月の外の風景を見たのは30分もなかったように思う。
それが母が起きて外を見られた最後の日になってしまった。
その日の午後から、母は高熱を出して衰弱して行き最後の日を迎えるまで
母の願いだった家に帰ることは叶わなかったからだ。
家に母のいない元日はとても寂しかった。私達は少しでもいつも通りと変わらない
お正月を迎えようと妹と二人でおせち料理の支度をしていたが、
黒豆にはしわが寄り、わたしは妹と手を取り合って嘆いた。
高熱の中にあっても家の心配をする母には、豆が失敗したことをとても言えなかった。
その年、私たちは何を食べても味はしなかった。。
同じ年の元旦。私の親友のお父さんが病院でひっそりと息を引き取った。。
親友と私は、それからは今日に至るまで新年の挨拶を交わしていない。
何気なく近況を話し合い、じゃあ、またね、よろしくねと言って電話を切る。
でも、今日がお誕生日の人もいる。名実ともに歓びの記念日である人もいるだろう。。
一年の始まりの日・・・。人の想いの数だけ、それぞれの思いが込められた日なのだ。
人生に深みを増す言葉があるとすれば、それは、いったいどんな言葉だろう。
あの年以来、この日は私にとってそんなことを考える日になった。
私は・・・。人それぞれいろいろな人生があるのだから、自分のことにのみとらわれずに
人の痛みのわかる人間になりたい。いや、そうでなくてはならないのだ。
何故なら、私はあの日病室で母の手を取り、母に誓ったからだ。
さて、私が迎えられる新年は、あと何回あるだろう。。。
今日、再びあの日のことを思い出しながら料理を戴いている。
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