12月に入れば想い出が渦まく
今はもう昔のこと・・・などという言葉では
とうてい語る事は出来ない鮮やかな記憶がある。
私はその記憶に縛られ何年もその中でうめいていた。
あの頃、母の命の灯火は
運命の神・・・あるいは命を司る神がいたとしたら
その存在の気まぐれで
ほんのひと吹きで儚くなるのをかろうじて
この世界に在る私の前で静かに燃えていた・・・。
私は深夜の人気のない病棟で
機械に繋がれて聞こえてくる母の鼓動と
闇の中で向き合っていた。
いつか訪れるであろう、命の終わりまで
私はこの母の心臓の音をしっかりと
この心に刻みつけておくのだという
ただ、それだけで。
母が最期の手術を受けた時、私は一人医師に呼ばれた。
看護婦さんに手伝ってもらって
緑色のマスクと帽子と手術着をまとい手術室に入った。
あの時の光景は恐らく生涯忘れ得ぬ記憶となるだろう・・・
私は自分自身を俯瞰で眺めていたような気がする。
マスクから覗く目が一斉に私の方を向いた。
医師や看護婦は私がどんな態度をとるのか
恐らく好奇と憐憫の感情がそこにはあったであろう。
私はそれらの視線にあくまでも挑戦するように
平静を装い、気丈な患者の娘を振る舞った。
母は、手術台に寝かされ両手は
さながら十字架にかけられたキリストのようだった。
医師が、もうどうにもならない病状を私に説明した。
母のお腹の中は鮮やかな色の臓器を見せていたが
あるがままを許さないしるしの病巣が
勝ち誇ったように母のお腹を蝕んでいた。
私は一瞬その病巣に怒りを覚え
私のこの手で毟り取りたい衝動にかられた。
母の体内を眺め、怒りを静めているうちに
私は深い感動を覚えた。
私は、かつてこの中にいたことがあった・・・。
そうだ、私はここから産まれて来たのだ・・・。
「あなたは、強い人ですね」
その後、医師や看護婦から何度も言われた。
だけれど、あの場で泣いて倒れたり失神して事態が変わるだろうか
見ておかなければならない現実を目の当たりにして
そこから目を背けることは母の寿命を延ばすことにはならない
世界が沈むほど涙を流して母が戻ってくるのなら
私は感情を決して押さえることはしなかったと思う。
泣いて、泣いて・・・鳴咽の中で私は死んでもかまわない。
手術をしたとて、助かる命ではなかった。
母は私が訪れるのを毎日楽しみにしていた。
ある日、私が少し病院に行くのが遅れた日があった。
その病院は通りに面した所に小さな窓がある。
私が横断歩道の信号が青になるのを待っていた時
ふと、病院のその小窓の方に目を向けたら
なんと、母が笑いながら手を振っているではないか。
もう既に食べ物は何ヶ月も食べてはいない母。
かろうじて高カロリーの栄養バッグを静脈から点滴し
鼻から胃に管を入れ胃からの出血を体外に排出して
やっとのことで生きているというのに
その管やバッグをひきずって
私が来るであろう時間に、私が見える窓まで歩いてきたのである。
当時、私は疲れていた。
仕事に乗りきっていた私はいろいろなチャンスを
母の看病で手放さざるを得なかった想いに
複雑な感情で親孝行を演じていたに過ぎない。
そして、プライベートを仕事に持ち込む事を
私は一番は嫌っていたから、仕事の現場から
訳の分からない理由をつけてフェードアウトしていった。
そんな毅然とした態度をとる自分の偽善に
自分がとらわれている一方、母へのどうにもならない
愛情をどう表現したらいいのか・・・
不自然な自分自身の態度が許せず悪夢を繰りかえし見た。
その日は、とても疲れていた。
病院へは行きたくなかった。しかし。
母は私の顔を見るのを楽しみにしていた。
私には病院の外の世界がある。
しかし、既に母には病院の外に出ると言うことは
死を迎えたときでしかそれが叶わないというこを
私は忘れて我が侭になっていたのだ、この私は。
交差点の信号が青になったら
母は太陽のような笑顔を私に送ってきた。
私は胸が詰まり涙がこぼれそうになるのを
頭を振り上げて意思の力を借りて
やっとのことで笑顔をつくりは母に返した。
お母さん!
もしも許されるのなら
私はその場で泣きじゃくり母に許しを請うて
そして、かなうのなら私は誰かに優しくあやされたら・・・
どんなに楽だったであろうか。
人前で泣くことが、私には出来ない。
そんな自分を自分で選んだのだから。
そしていま、あの時笑顔をみせていた母の子である限り
私は自分を騙る事なく
真っ直ぐに生きていかねばならない事を約束した。
母に、自分の心に、そして、
この世界を司るところの大いなる意志に。
これが、木枯らしの吹く12月を迎える頃
私がいつも思い出すことである。
Copyright(C), 1998-2009
Yuki.
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