☆彡ドラゴンズなゆうの休暇☆彡
《ゆうは熱心に休暇を過ごしたっ!》PART2
9月22日〜いざ、京都へ
今日も朝から雨が強く降っていた。
台風18号が九州に接近し、その影響で西日本を含めて広い地域で
断続的に雨が降っているようだ。
私達は朝7時に起きて、昨晩コンビニで買ったおにぎりを食べていた。
ホテルの狭い部屋でおにぎりを食べていると熱狂的な昨日の出来事が
嘘みたいである。出来合いの、冷めたおにぎりというものは、人を現実に
引き戻すものであるなぁ・・・としみじみと感じた。
さて、粗末な朝ご飯をぼそぼそとホテルの上等ではないお茶で戴いて
しまうとなんにもする事がなくなってしまったのでもう一度荷物の整理をし、
忘れ物はないか確認した。
何しろ、私は忘れ物大魔王だからなぁ。
着替えなどは全部トランクに詰め、ホテルと道ひとつ挟んである
コンビニの「サークルK」から自宅へ宅急便で送ってしまった。
ところで、この「サークルK」というコンビニエンスストアは名古屋の至る所で
見かけた。東京で馴染みのファミリーマートやセブンイレブンは全く
見かけなった。私はこの店をみかけて「Kマート?まるK?」と言ったら
「サークルK、だよっ!」と馬鹿にされてしまった。
私としてはですね、映画の「レインマン」で自閉症の兄貴に扮した
ダスティ・ホフマンが企む弟、トムクルーズに向かって
「パンツはkマートじゃなければ嫌なんだったら、嫌!」というシーンが頭に
あったから、ちょっとしつこく言ってみただけなんであるが。
この二人には通じなかった様である。無粋というものですなぁ・・。ははは。
k−mart!これをあくまでも、アメリカ流に発音しなければ、いけない。
それはさておき、ドラゴンズのシャツや帽子は、この日の夜、京都で会う
ひとみとえりに見せるため、わざわざ持参する事にしたのである。
おかげて、余分に荷物を持たなければならないのはQちゃんである。
ミツルンは雨が降って道が混んでいたらしく、やや遅れてホテルに
迎えに来てくれた。おお、懐かしい友よっ!
昨晩、あれだけ飲んだというのに「二日酔い」の気配が微塵にも感じられない。
おそるべしっ!ミツルン!!
そして私達3人を乗せたミツルン3号は、京都へ向けて出発したのである。
9月22日〜午前〜十戒・モーゼの杖の如し。
雨の降る中、私達を乗せてミツルン3号は西へひたすら走った。
当初、台風が接近している中を私達は「飛んで火に入る夏の虫」の
諺を自ら実践するが如く突き進んでいくので、空模様が心配だった。
実際、はるか彼方に見える西の空は重い雲がたれこめて真っ黒である。
しかし、何と言う事だろう。。
私達が走る所は既に雨に濡れた道路も乾きかけているではないか?
ミツルンに、京都でどこか行きたいところ、ない?と聞かれて
清水と比叡山・・・と返事をしたものの、この雨では比叡山は無理だよと
言われていたのである。何故なら・・・・。
ミツルンがその昔、まだ紅顔の美少年の頃の話しであるが、元日にミツルン1号を
比叡山のドライブウェイで「おしゃかにしてしまった」という悲しくも
すさまじい過去があったからである。
路面がアイスバーンになっていたのに、通行止めの標識がなかったので
ぶんぶん走っていたら、ツルツルの路面にタイヤを取られて
ガードレールに激突してしまったそうである。
そして、そのガードレールには次々に車が衝突したので無残な姿を
さらけ出す事になってしまったらしい。
最初、その比叡山の悲惨な話を聞いた時、彼がその事故の模様をあたかも
つい昨日の出来事の様に話すので近年の事かとおもった。
そのくらいリアリティたっぷりに話してくれたのだ。
130キロで車を飛ばしながら・・・。
だから、比叡山は嫌なんだ〜というので、私もまあこの天候なら
仕方ないや、また行く機会もあるだろうなぁ、残念だなぁと思っていた。
しかし、どうでしょう。
目の前にそびえる山々は・・・。私を呼んでいるではないか。
しかも、何と!
厚くたれこめた雲はその比叡の山々のあたりだけ晴れ、
雲の切れ目から光の帯が何本も地上を照らしているではないか。
私は今通ってきた後方を振り返って見てみた。
すると、やはり名古屋方面は真っ黒な雨雲に覆われている。
つまり、このミツルン3号の通るルートだけ(ではないかもしれないけれど)
雨が小降りになり、止む気配を見せていると言う事なのだ。
これは、私らはどうあっても比叡に行かなければならない。
そう、お山が私を迎えてくれているということなのだ。
と、私は今でもそう理解している。
足腰に自信がなくなって数年・・・。何度も行きたかったけれど行きにくかった
比叡山、延暦寺がもう目の前である。
ところで、ここだけの話しであるが。
ゆうは21の頃、比叡山に修行中のお坊さんとの縁談があったのである。
その人は私の母方の一族の寺の息子でW大を出た後、比叡山で修行していたの
であるが、誰か「いいお嫁さん」がいないかという事で、伯父・伯母を通して
話がきたのである。
まあ、寺の嫁ならゆうが適当だろうということになり家に話しが来たのであるが
その縁談は結局は立ち消えになった。
その話をミツルンにしたら「なんで〜?」というので
「だって、朝が早そうなんだもん」と答えたら爆笑するではないか。
そうです、私は朝が弱い。そして、医者も驚き慌てた低血圧がさらに
それに拍車をかけているのである。
従って、寺、豆腐屋、パン屋、魚屋・・・など朝が早そうな家の人間には
私の存在は顰蹙をかうだけで、とても勤まりそうもないのだ。
こういう時、己の分を知っているという謙虚な私である。
この時の選択は今も間違っていなかったと。
近年、ますますその感を強くしているゆうであった。
9月22日〜午前〜琵琶湖が見えてきた!
なんだかんだと話をしているうちに、目の前に突然大きな水溜まりが見えてきた。
「あっ、琵琶湖だ!」
私はバックシートから身を乗り出して、初めて間近に見る琵琶湖に
感激のあまり興奮してしまった。
なんちう、広い湖なのだろう。
私は琵琶湖をこんなに間近に見るのは初めてだったので
その広さに非常に驚いてしまった。
妹がナイアガラの滝を見てそのあまりにも広大な様子に興奮したと
話していたものであるが、今の私の驚きはそれにひけをとらない。
しかし、レイクサイドのホテルやなんかの建物は一体、あれはなんだ?
まるでおもちゃ箱のような色彩。
一応、「環境に配慮して」その挙げ句あの色彩を採択したのではあろうが・・。
あまり良い趣味ではないなあ。
自然の美しさも堕落した資本主義の前にひれ伏すしかないのだろうか?
しかし、まあ、こうやって何年も建物と共存しているうちに、
それがあたりまえの光景になり、故郷として認知されていくのであろう。
私は目をつぶって、目の前のカラフルな建物を無い物とし、
心の中に山の稜線を映して豊かな水を湛える琵琶湖を想像した。
私が初めて見る琵琶湖に感動しているうちに
あっ、そうだ滋賀県といえばかちゃいさんではないかと思い出した。
ネットで知り合ったかちゃいさんとかちゃいさんのお坊さんが
近くにいるはず。
いきなり襲ったらさぞ驚くだろうね・・、ムフフ。などと企みつつ提案したら
そんな、いきなり尋ねたらびっくりするからこの次にしておきなさいと
Qちゃんは、偉そうに。
まあ、それもそうだなと思いとにかく、比叡山である。
車は、比叡山ドライブウェイを走る。雨は、かなりやんでいる。
9月22日〜昼〜とうとう延暦寺にやって来た!
平日の午前中のせいか、すれ違う車も後続の車も殆どみなかった。
ミツルン3号はくねくねとした山の道をブンブン走った。
私は何かの本で読んだのであるが、
ここには「首なしライダーの幽霊」が出るんだって?っと
ミツルンに尋ねたら「そんなの、聞いた事、ないよ〜」といわれてしまった。
あっ、そうかい。聞いた私がマヌケである。
しかし、なんか、首なしライダーって、そそるものがある。
首が無くてどうやってバイクを運転するのだ?
この道は、紅葉の季節にはさぞ、美しいことだろう。
景色に見とれてハンドルを取られても仕方ないなぁというほど美しい。
突然、私達は山頂に着いてしまった。実に20年ぶりの延暦寺!
こんなに、簡単に比叡山に着いてしまっていいのだろうか。
なんというか、その・・・・。艱難辛苦を舐め道程そのものがあたかも修行の
ように、そこに至る道に何か、人生を感じなければ済まないような
そんな思いすらしたものだ。ほんとうに申し訳ないほど簡単に到着。
駐車場の前に大きな売店があって、その中を私達はうろうろしていたが
まず、お腹が空いたのでうどんを食べる事にした。
比叡スペシャルうどん680円なり。比叡スペシャル!
何がスペシャルなのかわからない、ただの山菜うどんであった。
味は・・・。納得がいかないが、まあこんなものだろう。
うどんが少々塩分がきつくて、思わずソフトクリームを買って食べてしまった。
ソフトクリームは甘くて今度はお茶が飲みたい!
かように、煩悩の塊というべき、ゆう。
さて、お土産屋の中は、私達だけ。
夏のセールで麻混の作務衣をたたき売りをしている。8800円だそうだ。
お土産は後で買う事にして、とにかくお寺をお参りするぞ。
私はこの時の為に、ちゃんと数珠を持参していたのである。
ただの観光客とは心掛けが違うんだぞ。
それにしても、仏教徒ではないミツルンを連れて来てごめんね。
ゆうは、お寺が好きなんだよ。ここまで連れて来てくれてありがとうね。
「東塔」に来た。
私はお坊さんに会釈をして参拝のため門をくぐった。
大講堂の荘厳な雰囲気に私は包まれて、全くこの世の中で、今現在
自分ひとりしかいないのではないかと一瞬錯覚するほどの静けさに身を置いていた。
私はいつまでも立ち去りがたかった。
大日如来様が、何と優しく温かく私を迎えてくれたであろうか。
手を合わせているうちに私の時間はここで止まり、外の世界も内の世界も
全くなく、この世の中を構成しているただの空間の中に溶け込んだかのごとく。
自分の存在というものは存在ではなく、在る事もなく、ない事もない。
一瞬自我というものがどこかへ飛んでしまった。
この経験は全く一瞬の出来事だったが、今でもその時間を得難いものだったと
感謝している。何か、いろいろな事が一瞬の内に私の中で起こって
そして、またいろいろな足りない事がわかった。
これを言葉にする事は到底出来ない。
Qちゃんは、ここは敷居が高いとしきりにいう。
やはり感じ方は人それぞれなんだろう。
私はかえってきた感じを強く受けた。
よおやくここに辿り着いて、そして、如来様の前で首を垂れている自分。
景色の一つ一つ、境内の緑の葉っぱの一枚一枚が
おかえり、良く来たね!と迎えてくれているようで、私は涙が出てしまった。
次に根本中堂に入ったら、後から40人ほどのお年寄りのツアーがやってきた。
ミツルンは疲れてしまって、外で休んでいる。
私とQちゃんが、中に入ると年寄りのツアーに付き添っているらしい
添乗員がもし良かったら御一緒にどうぞと誘ってくれた。
私達はお年寄りの後ろに遠慮して座っていたら、お坊さんが
比叡山の説明を始めてしまった。
お年寄りの一団は、お坊さんの話しに「ほお〜っ!」とか「ははあっ!」
とか、「うおっほんんっ!」とか相づちを打ちながらなかなか賑やかである。
静かな堂内の中でお年寄りの声ががやがやと響く。
しかし、話は私の知っている以上の事はなく
まだまだ延々と続きそうなので失礼して私はお参りをした。
仏様に手を合わせてる「若い者」の姿ってそんなに珍しいかね?
せっかくここに来たんだから、人の姿ばかりじろじろと見ていないで
お坊さんや仏様を見ていなさいよと私は心の中で憎まれ口をきいてしまった。
年寄りの好奇心というか、興味というのはある時はあからさまですね。
きっと、私の存在が珍しくて、ここが比叡山であるという事をうっかり忘れて
しまったんだろう。
私は思わず、「年取ってから寺に来ても遅い」という髭さんの言葉を思い出していた。
外に出ると、ミツルンがつまらなさそうに待っている。
私達は次へ行く前にここの売店でお土産を買った。
私の大好物の胡麻豆腐、和三盆の干菓子などなど。
ちなみにこの干菓子を抹茶を薄く点てた「お薄」とともに戴くのが
私の幸せの一つである。
Qちゃんは、自分用に携帯用の般若心経の経本を買った。
これは、私も同じ物を数年前に東京のデパートで買ったのであるが
それよりも200円も高かった。 何故だろう??
では、次へいこうという事になり、私達は車に乗った。
うっかりしていたのであるが、どうも私達は比叡山のお寺巡りの順路を
逆に回っていたらしい。
後で京都へ出るのなら、最初にお参りするところは西塔からがよかったみたいだ。
しかし、私にはこれで良かった。
だって、大日如来様が待っていてくれたんだもの。
待っていてくれた・・などおこがましいのであるが
罰当たりにも私にはどうしてもそう思えたのである。
さて、車に乗り込むとまた、雨が降ってくる。
お参りのために車を止めて降りると傘が不用になった。
これを何度も繰りかえして、私は感激してしまった。
もしも、ぬかるみに足をとられて転んだら大変な事になる。
たださえ、最近腰の調子が悪化して苦しんでいたというのに
お寺で転んだなんて、人様には到底話せないではないか。
だけれどお山の天気は私に優しかった。
おかげて、身軽で思う存分歩き回る事が出来た。
また、いつか来よう。その時まで、また、さようなら。
雨に煙るお山を私達は後にした。
9月22日〜午後〜清水へ
今回、比叡山・延暦寺は全く偶然行ける事になって実に感動したが
それを除いて京都で一番行きたかったのは、清水である。
私は今はあの世の住人ではあるが、京都人の祖父であるじ〜じいに
連れられて寺や神社、その他・・・小さな寺から有名処まで京都の街は大抵
行った事があるのだ。それに毎年京都へ「帰っていた」のであるが、ここ二年半は
御無沙汰していた。ところが、どうしても清水には来たかった。
と、いうのもネット仲間の一部では有名なあの、「茶碗割り事件」で壊してしまった
湯飲み茶碗と同じ物がもしかしたら清水焼きセンターにあるかもしれないと
踏んでいたからである。
気に入った茶碗を失ってから、お茶の味が変わりましね、全く。
比叡山からぐるうりとまた再び同じところを走って清水に向かった。
また、同じところだっ!と皆で笑った。
笑っているうちに、道がわからなくなって
なんと、このままこの山の通りを真っ直ぐに行けば斎場。
火葬場だよ、いやや〜〜と言いながら、大いに慌てた。
ミツルンもさぞ、慌てたであろう。
なんとかその道を避け、やっと市内に入った。
しかし、問題は・・・。清水の寺の近くにある駐車場への道がわからないのだ。
私は何度も通いなれている道であるとはいえ、車で来たのは初めてである。
困った。。困ってぐるぐる走っているうちに清水の産寧坂の下に来てしまった。
しかたなく、Uターンして他の車と走っているうちに、来た事のない
御不動さんの下に来てしまった。
これには困り果てて、ミツルンはカーナビソフトを起動する。
しかし、助手席のQちゃんに「これ、持ってて」と渡した途端
ブチっとパソコンが切れてしまった。
仕方なくもう一度起動する間、ミツルンは煙草を吹かしている。
そう、狸に化かされた時は、煙草の一服が有効なのであるが、
この場合、煙草を吸えるのはミツルン一人のみ。
私らの運命はミツルンの一服にかかっているのだ。
そして、場所を確認して再び走りはじめたのだが・・・。
なんか、このままでは限りなく京都の街から離れてしまうねぇ・・。
また比叡山への標識が出てきたねぇといいながら、やっとのことで
Uターンをして、私達は京都の街を目指したのであるが。
いや〜っ!この道は、この雰囲気は?!
ああっ!!、またしてもさっきの斎場への一本道だぁ。
一体、どうしたというのだ、ミツルン3号はっ?!
なんか、どうしても私らは火葬場へ行かなければならない運命なのだろうか?
ミツルン、あっちの道、だめ〜と必至で騒いだ。
私達は斎場へなんぞ行くつもりはないのだ。
斎場に向かう黒い車が数台、そちらの方の道へ吸い込まれ行く。
それはそれは恐ろしい光景なのである。
ミツルンは、キュキュキュウ〜とハンドルさばきも鮮やかに斎場への道を避けた。
何とか迂回してもう二度とここへは来たくないと騒ぎつつ、
やっと再び清水の街へやってきた。しかし!
またしても、駐車場への道がわからない。また、斎場へ逆戻りか?
どうしたらいいのだろう。私達は本当に清水センターへいけるのか?
車を降りて歩けば、目と鼻の先だというのに。(続く)