武甲山を眺めながら六番萩野堂を出て、浄水場そばを流れる横瀬川を渡り
国道をくぐるように道を歩く。
この道は武甲山御岳神社の表参道でもある。
里に暮らす人々から気軽に挨拶を受け、私たちもまた挨拶を返す。
すれ違う人々は皆温かい。
さらに西武秩父線の高架もくぐり道標に従って歩く。
かなり日も高くなり、真夏を思わせるような陽射しを浴びながら歩いていくと
そこはまるでオアシスのように涼しい木陰を作りながら優雅にそびえている
境内のモミジのの古木に迎えられた。
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八番 清泰山 西善寺 臨済宗南禅寺派 【ご本尊】十一面観世音菩薩 【御詠歌】ただたのめ まことの時は西善寺 きたりむかへん 弥陀の三尊 【所在地】秩父郡横瀬町大字横瀬598
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◆お寺センサーでのんびりと歩いた。◆
六番から七番への道は巡礼の人以外はあまりない。
その巡礼の人も八番へ目指すため、逆打ちとなった私たちとは反対の方向に行く。
だから道中はまことにのどかで土地の人々がたまにいるだけである。
私は今回は自分の「勘」がフルに働いているのがわかった。
すなわち「お寺センサー」と密かに呼んでいる勘が良く働き、絶対に間違わなかった。
地図を見なくてもお寺の方角はなんとなくわかるのである。
強いて言えば空に「お寺はココ」と書いてあるのである。これは、ホント。
目指すお寺の方角はなんというか温かい空気が流れているように私には見えるのである。
そんなわけで地図を片手に熱心に見ながら歩くじんを後目に私は空を振り仰ぎ
景色を眺めながら歩いた。
向こうから颯爽と風を切って走ってきた自転車の少女が
私たちにこんにちはと挨拶をくれた。
一期一会ともいえないほんの一瞬の出会いに交わした挨拶がとても美しい物に感じられた。
この情景を私は生涯秩父の想い出とともに決して忘れることはないだろう。
そして、その忘れられない情景が一足ごとに心に積み重なっていく。
歩いている私に土地の人々は気軽に会釈をしてくれ、また挨拶をくれる。
こんなことは都会で暮らしていると無縁だ。
いや、私の子供の頃にはあったかもしれない光景。
いつかそれらを置き去りにして私は大人になり、またこうして
子供の頃にかつて当たり前にあったはずの情景と出会う。
◆天然記念物のモミジの古木の木陰でお昼をたべる◆
切妻作りの山門が見えてきた。
「霊場なので物見遊山の方の立ち入りはお断り」などと大きく記載された山門から
自然石の石段を注意深く下りると地蔵尊が立っている。
そして樹齢600年といわれるコミネモミジの大木が、まるで境内全体を包み込むように
そびえている。私はその大きさに圧倒されて首が痛くなるほどみとれてしまった。
どうやっても視界に納めることは出来ないほどの大きさ。
優雅な枝振り。紅葉の季節にはさぞ美しい姿で人々を迎えてくれるに違いない。
長い歴史の変節をいつもここで見つめていたのだろう・・・。
まるで御神木のように境内の参拝者を見下ろして、数多の思いを抱えた凡夫の私たちを
優しく包んでいるようだ。
そしてモミジの古木の根元は柔らかそうな苔に覆われており、
その鮮やかな緑の絨毯の上に六地蔵や如意輪観音様がいらっしゃる。
モミジの大木を正面から眺められるように木で出来た椅子があったので
納経を終えた私たちはここで背負っていた荷物を降ろし、お昼御飯にすることにした。
しかし、お弁当は・・・所沢の駅で買ったピタパンであった。
何故なら家で作って用意して来た稲荷寿司7個を、朝の電車の中で
全て食べてしまったからである。じんは出発前に家でも2個食べてしまった。
私は味見で1個を食べる。残りは7個。その全てがお昼を待たずにお腹の中に
既に治まっていたのである。(じん5個、私2個)
前日に少しの気温の上昇ぐらいでは傷まないように、油揚げに濃いめに味を付けて
寿司飯にヒジキと金胡麻をまぶしたものを10個作った。
味が濃いと言いながらうめえうめえとたちまち平らげてしまったじん。
念のため、万が一そういう事もあるのを見越して駅でパンを買って置いたのだが
それは正解だった。
水と一緒にパンを食べていたら、隣に座った夫婦がリュックからおにぎりを出して食べている。
その黒々とした海苔をまいた梅のおにぎりが実に美味しそうであった。
まさに垂涎のおにぎり。。。
一休みしながら足が痛かった私は靴を脱いで靴下もとって調べてみると
左足の指の付け根に大きなマメが出来ていて既に水疱になっている。
右足はなんとかまだマメが出来かかっているが大丈夫そうだ。
私の足のマメを見てじんが驚いている。
もう、ここで終わりにして帰ろうかと労ってくれるじん。しかし、私は歩くのをやめたくない。
●埼玉県の天然記念物に指定されている樹齢600年、
樹高9m、胴廻り3m、枝廻り50mのコミネモミジの大木
境内のほぼ真ん中にあってその大きさと優雅に広げた枝ぶりに圧倒される。
どのように角度を変えてもその全容はカメラに納められなかったので下から撮った。
◆お土産はボケ封じの手ぬぐい◆
本堂に向かっての右側には「ボケ封じ」の阿弥陀三尊像がある。
納経所で「枕の下に敷いてお使い下さい」と書いてある仏様の絵入りの手ぬぐいを買った。
私は家に帰ったらこれを頭に鉢巻きにして掃除でもしようと思った。
何しろ、腰の手術を受けてからの私は全く物忘れが酷くなった。
かつてはものすごく下らない些細なことまでつぶさに覚えていて、人の揚げ足を
とれるほど誇った記憶力が、手術前の検査の副作用であやうくあの世に行きかけてからと
いうものの、一時には言葉さえも失ってしまったからだ。
今はかなり良くなったものの、それに加齢に伴う記憶力の低下も加わって
日常生活がかなり悲惨である。
一度なぞ冷蔵庫の中から急須が「発見」された事がある。
来客があるので九谷の急須を探していたのだが、先程まで目の前にあった急須が
忽然と消えており、ないないと騒いで探し待ったあげく夜になって冷蔵庫から出てきた。
どうやってもその過程を思い出せなかったが、私が自分で冷蔵庫にしまう以外は
考えられないのである。
こうなると10年後の自分の恐ろしい姿が見えてくる。
私は御利益のある仏様を熱心に拝み経を上げ、そしてボケ封じ手ぬぐいを買った。
一休みしてお昼を食べてもお腹の具合は大丈夫だったので次ぎを廻ることにした。
心地よい木陰を作っているコミネモミジに心を残しながら。
またいつか機会があったら、このお寺へ仏様と古木に会いに来ようと思う。
●涼しい木陰を作っている巡礼道への上り坂を下から撮る。
車はもちろん通ることが出来ない人1人がやっとの細い道。
●道路をみつめるように立っていたお地蔵様。
お供え物がたくさんある。
●秩父の道にはこのような祠が随所にあってきちんとお祭りされていた