青く澄み渡った空。
こんなに山々がくっきりと見えるのも久しぶりという。
巡礼道からは、武甲山がどこでも眺める事ができる。
まるで御山と一緒に歩いているようだ。
そして、六番・卜雲寺の境内から眺める武甲山が最も素晴らしいという。
天明元年(1781)『武州秩父郡札所第六番荻野堂本尊並開基縁起』によると、
本尊聖観音は武甲山熊野権現社に祀られていた。
行基菩薩が当地に巡錫した時、武甲山に住む山姥を
熊野権現の験力で捕まえて、松の木に藤蔓でしばった。
しかし、これを哀れんで、山から退くことを条件に解き放った。
山姥は起請のために、歯を三本抜いて差し出したので、
行基菩薩は本尊を刻み安置したという。
この山姥の歯は、荻野堂縁起絵巻一巻とともに寺宝として現存しているという。
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六番 向陽山卜雲寺 荻野堂 【ご本尊】聖観音菩薩 【御詠歌】初秋に風吹き結ぶ荻の堂 宿かりの世の夢ぞ覚めける 【所在地】秩父郡横瀬町苅米1430
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◆きっと道は四季折々の姿で迎えてくれる◆
七番を出て六番を目指す。お寺へはゆっくり歩いても15分ほどだろうか。
今回六番へと七番は逆打ちしてしまったが、五番からの道は分岐点までは
道を挟んで左右には田畑が広がっている。
巡礼道の路は舗装されているけれど、景観が美しい。
水が入ったばかりの田んぼの匂い。畑の作物はまもなく花をつけるジャガイモだろう。
植えつけたばかりらしい茄子の苗もある。風に揺れる草に虫がとまっている。
私もじんも都会で生まれて都会で育ったから、緑の溢れる景色の中を歩き続けるのは
少しも苦痛ではなくむしろ嬉しくて仕方ない。
それでも、私の子供の頃は住まいの周りにまだ少し林があって畑もあった。
コウモリを掴まえるのに夢中になって暗くなり、家に帰って叱られて泣いたあの日。
おたまじゃくしをすくいに行って池に落ちた事。ずぶ濡れで家の裏口からこっそり帰って
ポケットを調べたらたくさんのおたまじゃくしがうじゃうじゃと入っていて叫んだこと。
それがある日突然のように遊んでいた原っぱに大きな機械が入り
池は埋められ周囲は次々とビルになってしまった。
子供の私には理不尽と思われるようなやり方で遊び場だった場所が奪われていった。
あの時の、根を掘り返されて倒れていたたくさんの木の土の乾いた色と姿と
何かわからないけれど遠くから聞こえた悲鳴を私は今でも鮮明に思い出すことが出来る。
しばらくは小さな生き物の亡霊に私は怯えた。もう、久しく忘れていた
様々な幼い頃の記憶が、亡くなった優しい母の想い出とともに蘇ってくる。
道を踏みしめるたび、次々と過去の自分が現れては消えた。
●秩父の山々を眺めながら巡礼道を歩く
隣り合わせにあった非日常が日常に溶け込んでいく道程でもある
武甲山は目の前にあったがその姿の写真を撮れなかった。
◆お寺はまたもや大混雑・・◆
七番を出て六番へ行こうとしたとき、千葉からバス三台で来たという講の団体の
リーダーらしき人に声を掛けられた。
その人達は西国霊場も廻ったというが、私たちが歩いているというと
大いに感動したと皆に大声で報せてまわったので恥ずかしかった。
しかし、そのバス三台分と他の団体が丸ごと次ぎに向かうのであるから
逆打ちは良かったのかと思ったのだが・・・。
葡萄畑になっている観光農園のある細い坂道を上っていくと
濃い緑の木々の間にお寺の屋根が見えてくる。
下の道から仰ぎ見ると背後の竹藪や緑の中にお寺が埋まっているように見える。
お寺の横の道は日向山に至る六番峠ハイキングコースだそうだ。
ここ、卜雲寺からは武甲山の眺めが素晴らしい。
白い石灰岩で出来た山肌が光を反射して眩しいぐらいだ。
採掘された山肌が露出して痛々しい。しかし、それでも尚その姿には威厳があった。
ここでも既に団体と車で巡っている人で大混雑していた。
皆お寺に入ってくると真っ先に御朱印をもらうために納経所を目指すので、
人の山が出来ていた。
しかも鐘を壊すかの勢いで撞く人もいて読経をしようと待っている私は大変に驚いた。
その時のじんの驚きも大変なもので、普段穏やかな彼がその事を何かにつけて
思い出しては言うのであるから、その印象たるやさぞすごいものがあったのだろう。
そんなわけでゆっくりと境内を散策出来るほどの余裕もなく喧噪に中で
納経し、私たちは六番を後にした。
●境内の六地蔵
武甲山を背後に並んでいる。光が溢れて眩しいほどの午前中だ。
●寺の縁起を描いた額「禅客(かく)」
切り株の上の獣皮の敷物、引敷(ひきしき)の上に 眼を閉じて坐する禅僧。
禅僧が一首の和歌を耳にすることによって、覚りを得る場面が描かれている 。
通称・萩野堂の由来だろう。秩父の札所は禅寺が多い。