巡礼道は、秩父岳とも言われる武甲山が間近に見える開放的な道だった。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)がその堂々たる風格に感動し、自らの甲を
洞窟に納めたという伝説が残る山でもある。
石灰岩の採掘が進み1336mあった標高も、現在では、1295mと低くなっている。
山は、私が子供の頃に見て抱いていた印象とは少し違っていた。
あの頃はただひたすら山の大きさに驚いていたものである。
山頂の削られた白い山肌が五月の陽光を反射している。
現代社会に生きる私は文明の恩恵を受けていながら
一方でこうした自然が形を変えて失われていくのを複雑な思いで見つめなければならない。
それでも尚、秩父の名峰と言われた御山は堂々として
巡礼道を行く私を力強く見下ろしていた。
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七番 青苔山 法長寺 曹洞宗 【ご本尊】十一面観世音菩薩 【御詠歌】六道を 兼ねて巡りて拝むべし 又後の世を 聞くも牛伏 【所在地】秩父郡横瀬町苅米1508
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◆自分は自分の志で歩く◆
大混雑の五番のお寺で納経を済ませ、重ね版を戴いて山門を背に橋を渡って
真っ直ぐに来た道を戻るとすぐに人が二人並ぶのがやっとの細い道が何気なくある。
おそらく車で来れば見逃してしまうであろう道。
旅人をひっそりと待っているのが巡礼道への入り口であった。
納経所でお寺の和尚さんに「ついこの間もいらしたんですね」と聞かれ
「前回ここで終えたので今日はここから六番へ歩き始めます」と答えると
「おお、それはそれはお疲れさまです」とねぎらいの言葉を戴き恐縮してしまった。
今回私は出来るだけ「巡礼」らしく歩こうと決めて、それをはずさないように心がけている
つもりだ。何故ならば私は巡礼をしているからである。
誰かが「お寺のハンコをもらってくる」と言っていたが、遊びやリクレーションでこんな姿で
歩いているわけではないからだ。
そして、いにしえの人が歩いた道を私もまた踏襲して何かわからないけれど歩くことに
よって見つけることが出来るかもしれないと思っているからでもある。
◆迷った末、七番と六番を逆打ちにする◆
六番への山道を歩いているうちに、次第に私のお腹が怪しくなってきた。
前日の夜胃腸の具合がおかしくなったのが尾を引いているらしい。
歩いていると少しの振動がお腹に堪えてお腹が下りそうな気配がくる。
だから、景色を楽しみながらも颯爽と歩くというわけにはいかず心持ち歩みも
遅くなり勝ちであった。
じんは心配していたが、それでも尚私は踏ん張った。
六番から七番への分岐点にさしかかった時、私たちはかなり迷った。
地図と案内書には、七番と六番を逆に廻るのが行きやすいと書いてあったが
当初、私たちはあくまでも順番に廻るつもりで五番のお寺を後にした。
しかし、六番〜七番〜八番の道程で一番の問題が出てきた。
七番から八番へ行くには交通量の大変多い国道140号を通ることになる。
しかし、七番と六番を逆に廻って、六番から八番へ行く道を選ぶと農道から抜けて
車の通れない巡礼道を歩くことが出来るのだ。
道々歩きながら、やはり順番通りに歩こう・・やはり六番が近くになってから
その時の気分で考えようなどと言い合っていたのだが、その分岐点が近づくに
連れて、お腹どころか両足の指がかなり痛んできてしまった。
これは、誤算である。私は大いに迷った。迷いに迷った末、分岐点に着くと
六番への順打ちへの拘りを捨て、七番を先に廻ることにした。
しかし、五番のお寺の和尚さんには六番へ歩くと言ってしまったなあ。
結果として悪意はないけれど嘘をついてしまったことになってしまった。
観音様は許してくださるだろうか。こんな私をも。
●簡素な山門。向かって左は「不許葷酒入山」と掘ってある石碑。結界石ともいう。
◆秩父札所で最も大きな本堂は立派だった◆
迷いの末到着した七番、牛伏堂の別名を持つ法長寺は、空の青さを背景に
堂々とした姿をみせてあった。
簡素な作りの山門でありながら、平賀源内の設計といわれる本堂は
秩父札所でも最大の大きさである。
その由来の一つに承平二年(932)、平将門の乱で敗れて当地で没した花園左衛門の
家来某が悪心を以て将門と戦ったために牛に生まれ変わってしまった。
それを知った妻が観音様に祈願したところ、夫は苦しみから逃れることができたという。
本堂の前には、そんな縁起にもとづいて、うずくまった牛の石像がある。
ここでもたくさんの人がいる。写真を撮るどころではない。
私たちが納経している間にも背後はものすごい人の数だ。
境内は石像や石塔があり、一休みするにもちょうど良い場所なのだろう。
御朱印を戴く納経所は長蛇の列である。
私もじんもまず、水やを探して手と口を清め、持参したろうそくに火をともし
線香を焚いて読経をした。
読経の順番?を待つような感じで人が多い。
今日も無事にお参りできますように・・・。
しかし、私はここで体調に余裕がなかったのだと思う。
納経を済ませて御朱印を戴く時に御朱印代三百円を払うのを忘れて
立ち去ろうとして、「お代は?」と待ったをかけられてしまう。
この言葉よりやや一瞬早く代金を払うのを忘れたことを思い出して戻ったというわけだ。
これは、かなり恥ずかしかった。
納経所で知り合いらしい人と世間話をしていたお寺の人が
今日もすごい人が来そうだと話している。
さて、この人混みがこれからずっと続くことになるのだろうか。
●本堂。人が多いため、撮影するのは至難の業であった。
どの写真も移動する人の頭などが大きく写り込んでいたりして絵にならない。