江戸時代は大寺院に発展したという二番の真福寺も今は無住の寺。
お寺を管理している光明寺で御朱印を戴き、三番を目指した。
ここまででもう午後二時を過ぎており私たちが口にしたのはお寺で
汲むことが出来た井戸水とじんが念のため持っていたシリアルバー1個だけ。
それと激しい疲労を予想して私が持っていたプロテイン入りの
アミノ酸サプリメント6カプセルをそれぞれ二人で半分ずつ分けて空腹を凌いだ。
真夏を思わせる太陽に焙られて里の路をてくてくと歩く。
お腹が空いてるのにもかかわらず私はかなり早い歩調で歩いた。
早く、お寺に着きたい。。
三番 岩本山 常泉寺 曹洞宗 【ご本尊】観世音菩薩 【御詠歌】補陀落は岩本寺と拝むべし 峰の松風ひびく滝津瀬 【所在地】秩父市大字山田1392
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◆コンビニがあった◆
もうどのぐらい歩いたろう。
のどかな景色を愛でつつも、歩くのは日陰すら見あたらない舗装道路。
自動販売機のひとつもなく、お寺で汲んだ水が唯一の飲料水である。
時々立ち止まって水を飲んだが、これが実に美味しかった。
乾いた道を眺めながら歩いていると今朝方の事が思い出された。
〜その昔私が生きていた頃、修行に命をかけた。冬の寒さに凍え、食べ物もなく
履き物は失い眠ることも出来ず私は志半ばで死んだ。あなたのは修行とはいっても
そうして柔らかい夜具に包まれ、眠れないといえどもそうして身体を休めることができる。〜
私が眠れないで今日のことを考えていたら雲水のような墨染めの衣を着た人が
寝室の入り口に立っていうのである。
歩きながら私はその事を思い出していた。
そうだな、私は幸せな時代に生まれてきた。
昔の人の巡礼はそれこそ命がけだったんだろう。
そんなことを考えながらてくてくと歩いていた。
いい加減お腹が空ききったところで、道路が見えてきた。
ああ、なんと嬉しいことにコンビニエンスストアの看板らしきものがあるではないか。
モウ迷わず店内に突入して食料を調達する。
それにしてもコンビニとは、なんと近代的なシステム且つ清潔でモダンなお店であろう。
今まで気がつかなかったのが不思議だ。
なんでも・・・食料でも雑誌でも欲しいモノがたくさん揃っているではないか。
パンツもシャツもある。なんかとても感動してしまった。
店内は私たちと同じような境遇の人らしき人々が思い思いの食料を手に取っている。
私はじんと二人分でおにぎりを計5個買った。梅2個、おかか2個、昆布1個。水一本。
旦那、シャツの着替えはいかがですか、パンツもありますよと私はふざける。
冷凍庫のアイスクリームがとても美味しそうに見えたが、普段はあまり食べないことを
思い出し、それに今食べたらまた喉が乾くだろうと思いとどまった。
それにしても、普段はとてもコンビニの食べ物など買う気にはならないと
文句を言っているのにこの日はとても有り難かった。
人間、贅沢に慣れてはいけないのである。
この時ほどコンビニのおにぎりが愛しくて嬉しかったことは未だかつてない。
そして、コンビニを出るとさらに嬉しいことに目指す三番のお寺がもう目の前だった。
◆嬉しいお昼◆
私は満たされていた。左手に金剛杖、右手にお弁当。(おにぎり5個)
お寺は目前。これが足取りが軽くならなくてなにが軽くなろうか。。
お寺に入ると心豊かになって納経を済ませた。
お経を読むのもここに来て少し余裕が出て、亡くなった母の事を考える余裕も
出てきた。
ここは屋根付きの休憩所があってさわやかな日陰を作っているので
お弁当を広げている人や休んでいる人がたくさんいた。
境内の井戸水は昔ながらの手漕ぎ式の井戸で「長命水」という霊水だそうである。
お年寄りが片手で重そうに水を汲んでいたので、私は水を汲むのを手伝う。
すると他の人が私が汲んでいると水を汲んでくれた。
そして、その木陰の椅子に座って食べたおにぎりの実に美味しかったこと。
こんなに美味しいものは初めてだ、ああ、美味しいといいながら食べていたら
私たちの向かいに座っていて先にお昼を済ませた年輩のご夫婦が
余り物だけどこれをどうぞといいながら葡萄を分けてくださった。甘くて、美味しい。
どこから来たかなどと世間話をしていると、なんとご近所さんの調布の方だそうである。
ご夫妻は私たちの乗った特急よりも一本遅く乗ってやってきたそうだ。
私達は納経に少なくとも20分はかかるし、観音様の他仏様にもお経をあげたり
しているとなにやかやで一つのお寺には最低でも1時間はいるから時間がかかるらしい。
そういえば、私たちと同時に出発してとうに追い越した団体の巡礼の人々は
どこにいったのかな。
私はおにぎり2個と戴いた葡萄の粒三つでお腹が満足していたし、木陰は気持ちよいし
極楽、極楽とつぶやいてしまった。
それにしても、日焼け止めを塗っているのに顔が赤く火照って痛い。
私は失礼して日焼け止めを塗り直した。
目薬をさせなかったので、目が乾燥しきって瞼がひきつれかけている。
それでも、家にいたら騒ぐであろうこの状況が少しも苦痛ではない。
いや、実際に腕は日に焼けて痛いほどだが、精神的充足感がそれを忘れさせる程
様々な事に幸福感を感じていたのである。
さて、4番へ。頑張ろう。
私たちは再び厳しい太陽の下を歩き出した。