十一番の坂を再び下りて国道299号を戻り秩父成田山を横目に見ながら
細い道を歩いていると、やがて風雅な佇まいをみせて
参拝者を迎えてくれる野坂寺に到着する。
観音霊験記「甲斐の商人(あきんど)」によるとその昔、
山中で賊に襲われた甲斐の商人が、観音の霊験によって救われ、賊も改心した。
そして賊と商人は協力して堂宇を建立し、商人が持ってきた
聖徳太子作の聖観音像を安置したという。
このように秩父札所の成立には庶民や悪人までもが関わっているところが
西国、坂東の霊場と異なっているところであるという。
そし必ず高僧が現れ人々を導くのである。
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十二番 佛道山 野坂寺 臨済宗南禅寺派 【ご本尊】聖観世音菩薩 【御詠歌】老いの身に 苦しきものは野坂寺 いま思い知れ 後の世の道 【所在地】秩父市野坂町2-12-25 |
◆京都のお寺のようだ◆
大きな楼門がある。
中には十王像が祀られており、楼上には薬師如来が安置されている。
一歩境内に足を踏み入れると、そこはまるで京都の小さなお寺のようである。
これまで巡ってきた秩父のお寺と趣が異なっている。
かつて祖父に連れられて、祖父の青春時代をなぞるように真夏の息苦しい京都市内を
寺社仏閣を目指してこれでもかというほど歩いて廻ったが、観光案内にも載らないような
小さなお寺が当時の若かった私には「面白かった。」
そして、いやはや〜、よくそんな事まで知っているもんだと舌を巻いた祖父の話、すなわち
お寺の縁起の話に大いに興味を持ったものだ。その大半の話を私はすっかり忘れているが、
それを話してくれる祇園小唄をこよなく愛していた人はもう既にこの世にはいない。
そんな、昔訪ねたお寺を彷彿とさせるような風雅な落ち着きを感じさせるお寺だ。
ここも午後も二時を過ぎてそこそこ人出があったが、境内が広いせいか
あまり混雑しているのを感じない。
●山門から本堂を撮す。刈り込まれたニッコウヒダの木が堂々と立っている。
手前はたくさんあるお地蔵様
◆本堂で落ち着く◆
誰もいない本堂は自由にあがれるようになっていたので、私とじんは
靴を脱いであがりゆっくりと納経をした。
するとその後にたくさんの人が入ってきてお堂はまた混雑してしまった。
本堂には観音様の他にたくさんの仏様が祀られていてそれぞれお経をあげた。
壁には宇治の平等院の国宝、雲中供養菩薩像に似た仏様が並んでいる。
上野で開かれた平等院国宝展で見つけた便宜上三十一番と番号をつけられた
菩薩様が私の一番のお気に入りであるが、ここで似たものを探したが見つからなかった。
納経を終えて本堂から中庭を見ると、大きな池の周りによく手入れされた植木が
美しい緑のグラデーションを作っている。四季折々の表情が豊かに訪れる人を
迎えてくれるのを容易に想像できた。
整然と造園され、塵一つないように境内を維持するのはさぞや大変だろうと思うのは、
凡夫の哀しさである。
しかし、納経所の奥からたくさんの手伝いの人らしい女性達が帰り支度をしながら
出てきたのをみるとその私の考えもあながちはずれていないなと思った。
ひなびたお寺とどちらが好きか、というのはこれは好みの問題だろうが、
私はそこに在る何か温かいインスピレーションが感じられれば
お寺の外観や所蔵物は問わない。
そもそも、何かしら感じられなければお寺ではないのだからとも思っている。
●本堂から納経を終えた後美しく調った中庭を眺める。
写真ではわかりずらいが、小さな滝があって池に流れ落ちている。
◆お寺の中あれこれ◆
境内の向かって左のほうには「接待所」と書かれた土産物販売を兼ねた休憩所があり
自由にお茶が飲め、梅干しが戴けるようになっていた。
私は今回は前回の教訓を踏まえて炭焼きの梅干しを持参していたので
お茶だけ戴いた。出涸らしのぬるいお茶であったが、お腹にはちょうどいい感じである。
そこで働いている人は年輩の人に声をかけて土産物を勧めるのに忙しそうだ。
売店の人は互いに耳元に口を寄せてお客さんの品定めをひそひそしているようであるが、
声が大きいのでお茶を戴いている私には丸聞こえ(笑)
早々にお茶を飲んで立ち上がって奥を見たら大福が売っているらしい。
私は午後のおやつに大福か饅頭を買おうかと思ったが、売り切れであった。
一度、甘い物モードに入ってしまったので、口に入らないとなるととても残念だ。
仕方なく持っていた黒飴を一つ口に入れた。
このお寺には、ある人によって一刀彫の仏様がたくさん寄進されている。
ノミ一本で彫られたというそれらを眺めていると何か鬼気迫るものがあって
その迫力に息苦しくなり、私はたじたじとなって後ずさりし安置されている部屋を出た。
仏の像でこれほど生々しい物を私はこれまでにあまり見たことがない。
これらもいつか作者の想いが昇華されて人々に安息をもたらす像となるのだろうか。
それとも、歳月を経ても尚、作者のノミに込められた一念を発し続けるのだろうか。
私は、7年ほど前に習作して自宅のどこかにころがしたままになっている
地蔵の右手彫塑のいくつかを思い出して、それを彫っていた自分に重ね合わせてみる。
私の生活は、おそらくその程度に平穏なのに違いない。
私の考えはさらに飛躍して、T上人が話してくださった「想念の話」を思い返していた。
●境内の一筆達磨の石碑