十一番札所 常楽寺は国道299号に面して高台にある。
十番からは比較的近く、ここは車を避けながら
往来の激しい自動車道路をお寺を目指しててくてくと歩いた。
なかなか車がとぎれない横断歩道のない交差点を渡ろうとすると
一台の車が道を譲ってくれる。
私たちは軽く会釈して有り難く渡らせてもらった。
間もなく裏手に杉林を控えて秩父市の市外を眺め降ろすように
こじんまりとしたお寺に到着した。
「秩父回覧記」によるとご本尊の十一面観音は、天照大神・春日明神・
八幡大菩薩・妙見大菩薩・蔵王権現と名乗る五人の老翁が守護してたクスノキに
行基菩薩が刻んだとされている。
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十一番 南石山 常楽寺 曹洞宗 【ご本尊】十一面観世音菩薩 【御詠歌】みとがも 消えよと祈る坂ごおり 朝日はささで 夕日かがやく 【所在地】秩父市熊木町43?28
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◆またもや裏門から入ってしまった◆
十番から十一番へは自動車道を通らない林を抜ける道もあるが、少し遠回りになる。
体調がアヤシイ私を気遣ったのか、それとも忘れたのか・・・。結局「行き慣れた道」を
かなり交通量の多い道路の歩道を前回同様歩いた。全く、暑いなあ。
やがて、道標とともになだらかなお寺への坂が見えてくる。
桜並木の坂には稲荷神社の赤い旗がたくさん立っていて、左側は墓地になっている。
春にはさぞ美しい光景が楽しめることだろう。
実はこの道はお寺の裏門であって、前回ここで区切り打ち終えた場所であるが
今回は正門から入ろうと思っていながら再び同じ裏道からうっかりとお寺に入ってしまった。
坂を上りきると売店を兼ねた納経所があって、ここにもまだ人がたくさんいる。
十番でも納経したので、重ね版を戴くだけでなく納経することにした。
別に先を急ぐ旅ではないし、今日のノルマがあるわけでもない。
もちろん一つでも先のお寺に進めた方がこれから梅雨になるから
それはそれで後半の巡礼を考えると楽になるのかもしれない。が、せっかく
また訪れたのだから仏様にゆっくりご挨拶しようと思って腰を落ち着けることにした。
◆寺の由来あれこれから思う◆
常楽寺は永禄十二年(1569)武田軍侵入時に、いわゆる「信玄焼き」で消失した。
私のご先祖は、一時期この武田軍とも同盟を組んで暴れていたので
もしかしたら・・と考えてしまった。
膨大な家の資料は探さなければ定かではないが、そんなことはありませんようにと願う。
しかし、同時にご先祖様は領内にたくさんの寺を建立しているが、それらの行為は
暴れ倒した懺悔の気持ちからなのだろうか、それとも仏に帰依する信仰心からか。
あるいは子孫繁栄を願ってか。
その子孫も数は多いが近代に入ってかなりささやかに細々と生きている。
いや、それとも何かの利益を求めてのことだったか。私の胸中は複雑である。
江戸中期に入ると常楽寺は傷みが激しくなり、湯島天神に「出開帳」したという
記録が残っているらしい。
湯島天神はじんが子供の頃遊び場としてやんちゃなことをした場所でもあるらしい。
こんなところに縁があったと喜んでいる。
また江戸時代には火事で焼失し、さらに明治に起きた秩父大火でも火難を受けたという。
◆そこに何故、角大師はあるのか?◆
納経所の屋台のような売店を見ると、何故か元三大師(慈恵大師良源)の
降魔尊像・角大師が描かれた絵馬などが売っている。
角大師というのは、黒い顔に角が生え、ぐりぐりとした眼に口が耳まで裂け、
胸にはあばらが浮き、手足が骨張っている病の癒えた元三大師に降魔した姿をいう。
そのいわれとはこうだ。
世に疫病が流行っていた永観2年(994)、慈恵大師を襲った。
「私は疫病神である。今、天下に流行している疫病にあなたも罹らなければならない
のでお体を侵しに参りました」
疫病神が大師の指に触れると全身に激痛が走り、高熱を発せられた。
しかし、精神を統一し、法力でもって疫病神を退散せしめた。
わずか一指で苦痛をもたらす疫病神の力を侮りがたいと知った大師は、疫病で苦しむ
人々救わねばならないと発心されて、弟子に鏡を持ってこさせるように言いつける。
その鏡に、大師の姿は、やがて骨ばかりの鬼のような恐ろしい姿となって映った。
降魔となった姿を弟子が書き写し、これを大師自ら開眼の加持をして札を作った。
この札を戸口に貼った家では疫病にかからず病気の者も癒えたという。
大まかであるが、こんな由来のある降魔札は私の家の戸口のあちこちに貼ってあり
大変有り難くもお世話になっているのだ。
ただし、家のは一昨年深大寺で「新発売(ご住職談)」になったシール仕様であるが。
常楽寺は曹洞宗だが、元三大師は天台宗中興の祖といわれる第18世天台座主
である。ちちなみに元三大師と呼ばれる訳は、正月三日に亡くなられたからである。
私に知識がないのが本当に残念だが、何故ここにそれがあるのかが
よくわからなかった。納経所の人は忙しそうだったのでとうとう聞けずじまいで、
私の疑問は家まで持ち越してまだ解決していないのである。
◆心をうたれたこと◆
本堂から繋がっている観音様と結ばれている柱に、1人の男の人がつかまって
やっと立っている。そして熱心に震える手を合わせて祈っていた。
その男の人はギプスをしていて足が悪いらしい。
私はそれを観ていたら胸にこみ上げてきて、前がよくみえなくなりそうだった。
私はあさっての方向をみてみないふりをしているしかなかった。
この日はお腹が下るのを恐れてあまり水分の補給をしていなかったので
かなり喉が乾いてしまった。売店側の自動販売機でレモンジュースを買って飲んだら
微炭酸入りでお腹が膨らんでしまった。
しまった・・・。
私は炭酸入り飲料は苦手だったのを思い出した。
うっぷとなりながら次のお寺に行くために再び元来た坂道を今度は下りた。
●私が納経している間、本堂の柱をじんが何気なく映していた。
境内は人がたくさんいて、人ばかり移るので撮る物がない。
上の本堂の写真も山門の階段から落ちそうになりながらぎりぎりまで下がって撮った。
●春には桜並木が美しい裏参道の上り道。
この写真は前回撮ったもの。夕方にになりかなりくたびれた様子で写っている。