前回五番を打ち終えて帰りがてら訪れた時は炎天下の中、
交通量の多い国道299号を歩くという非常に難儀なルートだった。
しかし、私たちは途中で迂回路ともいえる巡礼道を見つけ
のどかな田園地帯を眺めながら快適に歩くことが出来た。
整備された巡礼道を歩く人は誰もいない。
やがて台座の上に鎮座する延命地蔵尊が見えてくる。
その脇の石段を登ると仁王門があり
ここから振り返ると今来た道を一望の下に見渡せる高台の上に
大慈寺はある。
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十番 万松山 大慈寺 曹洞宗 【ご本尊】聖観世音菩薩 【御詠歌】ひたすらに 頼みをかけよ 大慈寺 六の巷の 苦にかはるべし 【所在地】秩父郡横瀬町大字横瀬5151
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◆観音様のおかげ◆
九番を出たところで一休みして気が抜けたせいか、お腹の調子も今ひとつだった。
朝から水を飲むのを控えたからか、どうにかお腹を下すことはなかったが、
午後の陽射しが強くなった国道を歩くのは考えただけでくじけそうになる。
この日は幸いなことに時折拭いてくる風が心地よく、暑さで頭が茹だるほどでもない。
しかし、問題は左足の指に出来てしまったマメだ。
これが段々と痛みを増してきて足取りも重くなってしまう。
国道沿いを歩いていると、このままやはり帰路に就こうかという考えが浮かんでくる。
十番、十一番は前回の帰りがけに寄って納経も済ませてあるし・・・いや
やはり途中を飛ばしてしまうのは嫌だ。
観音様、私はこのまま歩きたいのです。。
私は歩きながら目をつむり
「南無大慈大慈悲観世音菩薩・・」とつぶやき、観音様の真言を心の中で唱えた。
そして、ふと目を開き被っていた菅笠に手を掛けて顔を上げると
目の前に「巡礼道」と小さく書かれた道標が目に入った。
じんは地図を見ながら行き過ぎようとしている。
「巡礼道がある!」
道標に従って国道から狭く急な階段を下りていくと車の全く通らない巡礼道が
私たちを待っていた。
ほんとうに、この時は嬉しかった。
そして空を見ると、私の「お寺センサー」が働いてお寺のある方角の空から
なんともいえない優しい空気が流れてくるのを感じて私は勇気づけられた。
「お寺が呼んでいる。お寺はあっちの方角だよ」
ほんの少しの風が田畑を吹き渡り、そのたびに草が揺れる。
途中、生け垣に植えられた色の違うベゴニアがグラデーションになっていて面白い。
犬に吠えられたりしながら私たちは誰もいない巡礼道を独占してお寺への道を歩いた。
300年前のものだという道標がお寺への道を教えてくれる。
数多の人に踏みしめられた道を私もまたこうして歩いているのだと思うと
感慨深いものがこみ上げてくる。
おかげで足の痛みがどこかに消えてしまった。
◆やはり混雑していた◆
石段を登ると仁王門の横にお地蔵様がある。じんが手を合わせ挨拶している。
山門をくぐるとそこはやはり巡礼の人がたくさんいた。
何人かはよく見かけた歩いていた人たちのはずだが、どうして行き会わなかったのだろう。
私たちより後に出発したはずの人はもう既に納経所に並んでいる。
納経は前回に済ませているので、お寺に着いたら重ね版だけ戴いてお寺を
出るつもりだった私たちであるが、納経所の混雑をみて気が変わった。
そしてご本尊にゆっくりと読経し、挨拶して無事に歩いた来られた事を感謝した。
ご本尊の聖観世音菩薩は、八番、九番のご本尊と同じく恵心僧都(えしんそうず)の
作といわれている。
『秩父回覧記』によると、昔、当地の山に光を放つ不思議な杉の霊木があった。
近くに住む朝日長者がこの霊木を伐採し、観音の尊像とすることを願っていたが、
なかなか仏師が見つからない。そのころ東国を巡錫していた恵心僧都が当地を訪れ、
長者に請われて観音像を彫刻。長者が堂宇を建立したとされている。
寺の開山は秩父札所の成立とほぼ同じ室町時代中期だという。
開山当時、境内は広大だったらしいが、今はこじまんりとした印象のお寺である。
境内には木製に着色されたおびんづる様がいて、それを撫ている人もいた。
私はおびんづる様は深大寺が馴染みで、さんざん撫で回しているので
順番を待っている人もいることであるし眺めるだけにした。
石段の下には、色々な布で手作りの袋物をお土産として売っているお年寄りがいて、
この日も縫い物をしながら座っていた。
お寺を出て振り返ると先のお寺で見かけて、私たちより先に出発していた二人連れの
巡礼の人が忙しそうに歩いていくのが見えた。
リュックにつけた鈴が大きな音を立てている。鈴の音が次第に遠ざかっていく。
●風雨と歳月に洗われた300年前の巡礼道の道標石。
うっすらと十番と読める
●巡礼道。私たち以外誰もいない。
お寺にたくさんいた人々はどこにいるのだろう。
●舗装されモダンに整備された巡礼道。
とうとう車には行き会わなかった。人影すらない。