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コンラッド・シュニッツラー / インタビュー 30.3.08

(続き: パート2)

その他、去年やったプロジェクトについてだが、私がクルスター~Klusterというグループを作ったのは知っているだろう。Cのクラスター~Clusterは知っていると思うが、Kのクルスター~Klusterがある。私は1968年頃にこのグループを設立した。当時、Klusterには様々なメンバーがいた。ローデリウスとメビウスが去った後も、なお多くのメンバーがいた。Klusterはあるアイデアが元になっているが、それは私のアイデアだった。私は、規定の音楽はやりたくなかった。メロディーのない、機械がたてるサウンドのような音楽をやりたかった。何よりもまず、それがあった。ダンスミュージックは作りたくなかったし、ボーカル向けの音楽も作りたくなかった。そういったアイデアはまったくなかった。

ところで、たくさんの人をグループに入れたが、メンバーがいつでもKlusterのアイデアに合っていたわけではなかった。Klusterに適した人を捜すのは容易ではなかった。なぜなら、私はその当時流行っていたリズミカルな音楽はやりたくなかったからだ。例えば、パン・パン・パンといったリズムに合わせてみんなが歌うようなものは、私の意図するものではなかった。

私が作りたかったのは、工場の生産ラインから聞こえてくるようなサウンドだった。その当時、シンセサイザーは入手できなかった。1968年にはまだ一般人が手に入るシンセはなかったと思う。だから楽器を使った。ノイズの出せる物なら何でも。例えば、鍋とか。また、チェロはいつも使っていた。マイクとアンプを通すと独特の音となった。当時、そのようなサウンドは無論すでに聴いていた。それはジミ・ヘンドリックスだ。彼は、ギターで狂ったような音を出していたが、ファズの掛かった歪んだ音を出すために、ギターをアンプに繋ぐときに、何か機器を間に噛ましていた。私は、まったく12音音階にしばられることなく、信じられないような凄い音を作ることが可能だということが分かった。それが、私のやりたかったことだ。

ヴォルフガングは、他の連中と共に、初期の頃からのつき合いだ。ただし、すべての人の名前を覚えているわけではないが。最後に残ったのは、ヴォルフガングとクラウス・フロイディグマン~Klaus Freudigmannだった。クラウスは作品のテープダウンなどの作業をやっていた。彼にはテープマシンを使ったテープダウンの知識があった。また、ノイズを出す楽器を作ることもあった。例えば、木製の弦楽器に幕を張り、ピックアップを付け、それをアンプやエコーマシンにつないだ。また、リバーブ、ファズ、ワウなど、いつも可能な限り何でも使っていた。

時は1969年-1970年で、メンバーがいたり、いなかったり、演奏したり、しなかったりで、それで金を得ることはなかった。だから、みんな、他に仕事を持っていた。もの凄いノイズを創り出すことが出来たとしても、それはただ単に楽しみのためだけというわけだ。私たちはあちこちで演奏したが、そのうち、そのような音楽を演奏するには、どこか特別な場所が必要だと思うようになった。その頃は、ローデリウスやボリス・シャーク~Boris Schaakがいた。ボリスはホットな奴で、資金調達や演奏場所のコネ、その他もろもろを提供してくれた。

私にはさらにアイデアがあったので、アヒム(*訳者注:ローデリウス)やボリスにそれを話して、自分で意図したような音楽を作った。それは、本当にクールだった。その後、ボリスのコネである人に会ったのだが、彼は、スペースを貸すことを了承してくれた。それゆえ、費用を支払うためにお金を捻出する必要が出てきた。そこは、ありふれたヒッピーのたまり場みたいで、クールじゃなかった。だから私は、何から何まで完全に真っ黒に変えた。窓の光までも黒くした。とはいえ、窓から少し光が差し込んで、スポットで照らす感じではあったが。とにかく、すべてを黒く塗った。フロアーを黒く塗り、そこに置いてあった像も黒く塗り、ベンチも黒く塗り、ありとあらゆるものを真っ黒に塗った。そして、壁に向かってプロジェクターを置き、フルカラーのスライドが投影できるようにした。

そこで演奏を始めたわけが、私たちは無名だったし、誰も私たちがここで演奏していることなど知らなかった。そこで、宣伝をすることになった。また、大勢の人々に来てもらえない別の事情があった。なぜなら、月曜から翌月曜まで、毎晩、夜11時以降にならないと演奏ができなかったからだ。それは、上の階に劇場があって、そっちが終わるまではノイズを出せなかったからだ。このような状況のままでは、賃貸料を払えるだけの人を集めて、空間を埋め尽くすことなど不可能だった。そこで、ボリスと私は街をドライブして、クラブで演奏してくれるミュージシャンを集めたり、辺りを徘徊してコネを増やしていった。そして、クラウス・シュルツと彼のグループを見つけた。全てのミュージシャンを覚えているわけではないが、他には、例えばアジテーション・フリーのクリストファー・フランケとか、もちろん、タンジェリン・ドリームもだ。

この空間では、言うなれば、グループ間の交流があった。もし、あるグループでメンバーが足りなければ、別のグループから誰かが飛び入り参加した。例えば、3つのグループが演奏する場合、最初のグループが夜11時に始めるわけだが、しかし、1人しか来ていないような場合に、他のグループがその1人と一緒に演奏するといった具合だった。(笑)中にはフリージャズのグループがあったり、また、パフォーマンスのグループも作った。時間が掛かるので、今ここですべてを挙げるわけにはいかないが。

これが、ツォディアック・クラブ~Zodiak Cubのおおよその話だ。このクラブはすぐに止めてしまった。長い間続けることはできなかった。なぜなら、大勢の人達がやってきてドラッグを吸い、そんなことになったらどうなるか分かると思うけど、すぐに警察がやって来たので、じゃあクラブを閉めなくては、と。とにかく私は、他の連中よりも先にこの場所から抜け出した。ボリスとアヒムはさらに2ヶ月続けて、別のグループをやっていた。私は別の場所で自分のKlusterの活動をしていた。これは、後で出てくる質問への答えだ。また、最初の質問の答えでもある。

さて、他にはどんな質問があるかな。

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