CON-tribute

コンラッド・シュニッツラー、自らの音楽を語る(メールより抜粋)

Con am Computer+sunny
(Conrad Schnitzler - Studio 11.2006)

 (2006年3月19日 Conrad Schnitzler、日本語意訳:Jin)

音楽の世界にある音楽理論に自分自身を対峙させて、反音楽理論的な作品を作ることはあったが、逆に、音楽理論を自分の作品に取り込んだり、音楽理論の影響を自分の作品に及ぼしたりしようとは思わない。また、自分の聴衆にも、音楽理論越しに、自分の音の世界に足を踏み入れて欲しくはない。
私は、自分のあらゆる感覚を用いて作曲しており、美学的な基準には従っていない。
単に、自分自身による自由な判断、そして、その時点で私が持ち得る技術的な可能性が、私の作品を決定付ける。
多くの場合、私が創作したものは、試行錯誤の末、現実のものとなる。例えば、動画のために曲を作るような仕事は、私の意図するところではない。時間的な要素は、もちろん、私が作業を行う上で非常に重要だ。実験に長時間費やすことができれば、その分、結果として並はずれた創造物が得られることとなる。
完成前に止めざる得なかった場合は、ただの「かけら」となるだけである。
去年、ソロ・エレクトリックスを数多く作った理由の一つは、時間に追われていたからだ。
ソロ・エレクトリックスの場合、リファレンスとなる音や音の周期を気にする必要がないので、短い断片であれば、比較的早く作り上げることができる。
それゆえ、私はひたすらソロ・ボイス(単音)ばかりやることもあり得るわけだが、そういうときは、後でそれを他のトラックとミックスすることを考えながらやっている。
また、ピアノ作品の場合は、1ステップ単位、または1小節単位で作業するのだが、途中で中断する際に曲の流れを見失わないようにしている。
実際、私の作品は音楽の世界にあるポピュラー音楽として数えることはできないし、比べようもない。私の作曲したものを、普通の音楽の枠組みやパターンに当てはめることは不可能だろう。
私の個性や作品に当てはまる箱は、自分の中にある「神話」以外には存在しないのである。
私の作品が、どちらかというと、よくライブ・パフォーマンスで行われたり、レコードがほとんどどこにも見あたらない主な理由は、そういったところにある。
このようなやり方で、大金を稼ぐことはない。同じ方法でやろうとした友達はうまくいかず、金銭的に行き詰まってかなり辛い目に遭った。
したがって、今日、すべては自分次第というわけだ。私は作曲し、CDをプロデュースし、必要なメールのやりとりを行い、作品を売る。
それがゆえ、自分の音楽を愛してくれる特別な友達のことを、私が大事にするのは理に叶ったことなのである。私は、友達が手に入れたい作品は、すべて注文できるようにしたいと思っている。ただし、私の作品の全体量は、もちろん、ほとんどの友達の財力を超えてしまっていることも理解している。

原文(英語):About CON music (excerpt from CON's email) by Conrad Schnitzler (19.3.06)

 

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