ライブ・パフォーマンスを念頭に置いてカセットテープを用いた最初のアーティストはConではないにせよ、彼は、カセット・コンサートの手法を用いることによって、音楽による自然発生的な相互作用がライブ・パフォーマンスにおいて高まることとなり、またそれは、彼の作品の中で益々重要なファクターとなった。その様なやり方でテープを用いて録音やパフォーマンスを行なうことにより、ベルリンのCafe Einstein、ニューヨークのThe Kitchen、パリのLe Musee D'Art Moderne de la Ville、リンツのARS Electronicaなどで行われた多くのパフォーマンスは、重要度を増すこととなった。これらの多くのパフォーマンスでは、コンラッドは自分の体にウォークマンのベルトを付け、頭に被った金属のヘルメットに仕込んだメガフォンにすべてを配線した。この柔軟なアイデアによって、Conは世界中のどんな場所でもパフォーマンスを行うことができた。体からサウンドを発しながら、歩いて移動していくか、または、屋内で行う場合は設置されたカセッテンオーゲルを使用したわけだ。このような方法により、コンラッドはとてつもなく多様性に富んだセッティングでカセット・コンサートを行った。それは、一時間で終わるものから、何時間にも渡って行われるものもあった。(ベルリンのBlockギャラリーで行われたカセット・コンサートは、50時間続けられた。)この、音響空間における音楽作品の模索は、彫刻と音楽を組み合わせる彼の初期のアイデアと強い結びつきがある。(コンラッドはデュッセルドルフでヨゼフ・ボイスの下で彫刻を学んでいた。)カセット4本を1組とするカセット・コンサートは、コンラッドのほぼ標準的なやり方となった。とはいえ、例外は沢山あり、その中には、英国のDavid ElliotのレーベルであるY.H.R. Tapesから500部リリースされた、"Conrad & Sequenza"という2本のカセットによるコンサートや、ベルリンのGelbe Musicより販売された、"KOMPOSITION FÜR SECHS CASSETTEN"という、リリース数10部の、6本のカセットによるコンサートがあり、また最近では、制作中で未完成の、"The Thousander Program"という、1000本のカセットによるカセット・コンサートがある。
ライブ・パフォーマンスにより創出される曲が、新しいアイデアと共に発展していくにつれ、一連のカセット・コンサートは次第に実用性を増していった。また同時に、技術面での後押しにより、アーティストはデジタル・シンセサイザーを用いるチャンスを得たが、それは、簡単にプログラミングができるといった特徴を持ち、さらに、コンピュータ制御のためのインターフェースとして利用できる可能性も持ち備えていた。電子音楽をライブで実感することについて、当時、世間ではいくつかはっきりとした考え方があったが、幾分、狭い範囲での考察だった。学問肌の作曲家がいたが、彼等の複雑で数学的な、そしてコンピュータを利用した楽曲は、不運にも、しばしば、テープをただ単に再生するか、または、プログラミングのデータを再生して聴くだけだった。また、ジョン・ケージやラ・モンテ・ヤングのような実験的な作曲家もいたが、彼等の楽曲は、聡明で興味をそそられるような、コンセプトのあるアイデアに基づく反面、譜面にできるようなものではなく、しばしば音楽としてのアイデンティティを見い出すことができなかった。さらに、ビジネスに根ざしたエレクトロニック・ポップのバンドや作曲家もいたが、彼等のやり方はかなりオーソドックスだった。彼等の曲の骨子はプログラミングで、バッキング・トラックをもっと単純な楽器で彩ることもあった。不運にも、これらの手法は、リスナーの直感に訴え掛けることはなく、また、サプライズを生むこともあまりなかった。しかし、その一方で、繰り返しによる構成は曲っぽさがあるので、音楽らしさはあったといえる。こうした制約によって、数多くの作曲家や演奏者は、異なるジャンルのカテゴリーに分けられた。しかし、カセット・コンサートのおかげで、コンラッドは、構築された曲やフリーミュージック、そしてコンセプトのある音楽の中からベストな要素を組み合わせることによって、曲としてきちんと成り立ち、独自性があり、アイデンティティがあり、作曲を行なうと同時にライブで電子音楽を演奏できるような手法へと落とし込むことができた。すなわちそれが、カセット・コンサートだ。
コンラッドのカセット・コンサートのいくつかは、ミックスされ、レコードやカセットやCDに録音されているが、しかし、他の多くの電子音楽の録音物とは異なり、録音された音源は、決してそこで終わりではない。個々の音源は、単に、あるときミックスされた資料であって、特定の日時や場所でミックスされたものに過ぎない。異なるコンダクターにより指揮された他のどんな録音とも、完璧に異なるのである。その違いは、音量の増減とミックス、イコライザーによる調整、それに加えて、恐らく技術的に次第に新しくなっていく、オリジナル・サウンドから変換されるオーディオ信号、そして、スピーカーの配置によるものだ。スピーカーは、左右両方を固定した位置に配置したり、サウンドを空間に拡散させるために動きを与えたりする。
また、そのときどきによって、各カセットをスタートさせるタイミングが異なる可能性があるが、それだけでも、サウンド同士の相互作用によって、かなりのバリエーションを生み出すことができる。ときどき、各々の4台のカセットプレーヤーを正確に同じタイミングでスタートさせるのが困難な場合があるため、このようなバリエーションは、必然的にカセット・コンサートの作曲手法に備わっているといえる。実際、個々のカセットをスタートさせる間隔を30秒から2分に変更すると、そのバリエーションは、間隔を長くした分だけ劇的に変わる。また、コンダクターには作品に新たな生命を吹き込むチャンスが与えられるが、それは、まだリリースされていないカセット・コンサートを行ったり、コンダクター自身による曲や即興を用いて伴奏を増やしたりして、より大きなサプライズをもたらすことが可能だということだ。相互作用を与えるものは、何でも歓迎だ。なぜなら、聴衆は、音楽にとって重要なクリエイティブな要素となり得るからだ。「すべての人はアーティスト」なので、皆がコンダクターとなり、音楽に相互作用をもたらす新しいアイデアを考えるのは自由だ。最も凄い部分は、一見、フリー・スタイルで構築されたように見えるが、カセット・コンサートは(ある一定レベルの音楽の感性をもってすると、)非常にまとまりのある、首尾一貫した音楽のアイデンティティを持っていることだ。
コンラッドは、構築され自由に漂う音楽を、効果的に作曲する優れた方法を見つけた。(それは、カセット・コンサートへの理解がない人には、恐らく否定的に聞こえることだろう。)カセット・コンサートは、静的な録音を、進化していくインタラクティブなインターメディアのイベントへと変形させるが、そこでは、創造性が場の中央を通り抜けることで聴衆を刺激し、彼等が持つ先天的な創造性を呼び起こす。その狙いは、パフォーマンスを行なう側のいわゆる「能動的な」状態と、聴衆側の「受動的な」状態との間にある、自らに課した壁を次第に取り崩すことだ。あらゆる創造性の形式は、表現され、共有され、そして促されるものだ。誰か、カセット・コンサートのコンダクターをやりたい人は?
Conのカセット・コンサートの最初に公認されたコンダクターとして、私は1986年以降、ヨーロッパや米国で数え切れないほどの回数、カセット・コンサートのコンダクターを行う機会があった。私はこの音楽をアートギャラリー、ロック・クラブ、教会、ラジオ局、ショッピングモール、そして車内、ナイヤガラの滝、また友人達の非公式な集まりによって世界中のキッチンで経験してきた。いずれのコンサートも、その空間、サウンドの設備、人々のインタラクティブさ、そしてもちろん私自身のその日の気分によって、それぞれ、他のときとはまったく異なる特有のコンサートだ。私にとって確かなのは、この音楽には、創造力に対する持ち前の器量と同じくらい、その人の生き方が強く関わってくるということだ。多くの人々は、コンサートの後、興奮し、インスピレーションを受けた、といった反応でもって私に近づいてくる。カセット・コンサートのコンダクターを行なってきた自分の経験や精通度を生かして、私はThe Dramatic Electronic Musicという名のコンサート・ホールでパフォーマンスのコンダクターを行った。とはいえ、次第に他の人達も参加するよう招かれている。 また、Generations UnlimitedレーベルからGencon Productionsのカセット・コンサートがリリースされているが、世界中でカセット・コンサートが実施されていることへの認知度が、高まるよう私達は望んでいる。人々は、これらのカセット・コンサートへの可能性を自力で模索するよう促されるだろう。なぜなら、アートにはもはや秘密などないので。
今は少し状況が変わった。それは、だれでもカセット・コン・サートを行うことができる、といった風にだ。
これはもはや、私の周りにいる人だけの特権ではない。
私はすべての友人にソロ・トラックを売っている。そして、もし彼等が費用を払えば、ミックスを制作し、彼等がやりたいコン・サートを行うことができる。もしそうした人達が公式に私の名前を入れてコン・サートを行うならば、彼等はGEMA(いくつかの国ではかなり厳しい)を支払わなければならず、私は、それに関する説明や写真が入った書類を入手しなければならない。そしてもし彼等が望む場合は、私にビデオ、またはテープやCD-Rのような音楽的な資料を送付することができる。
公式のコン・サートとは、Conサウンド以外のサウンドが一切コン・サートに入っていないものを指すが、広告用に作成されたものは例外として除く。
(これは、音楽家やオーケストラがモーツァルトやジョン・ケージなどを演奏する場合と同じだ。)
もし単に、個人的な楽しみだけのために行うのであれば、やりたいようにやることができる。
フリーアートということだ..................(:)))))
原文(英語):Conrad Schnitzler's Con-Cert
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