◆第3回目〜十四番長岳山・今宮坊から二十二番華台山・童子堂◆
暑かった。
この日、歩いた距離は後で調べたら約15キロほどにしかならないのだが、体感距離?は
その倍にも三倍にも感じる。
週間天気予報によれば出発予定の土曜日は俄雨もあるはずだったが、
週中に雷を伴ってまとめて降ってくれたのが幸いしたのか土曜日は晴れの予報に変わった。
前日の夜は11時にはベッドに入ったものの蒸し暑くてなかなか寝付けない。
そして、当日の空模様は朝5時に起きたときから気温が上っており、暑い1日を予感させた。
私はバスや電車内の冷房で冷えるのを防ぐため、タンクトップの上に雨具を兼ねた
ゴアテックスのジャケットを着込んでいたが、暑くて途中で巡礼装束の白衣に着替えた。
前回出来た足のマメが破れて新しい皮膚が出来ている。
痛みを知ることで、生きている事をあらためて実感した。
今回も今までと同様のルートで所沢まで出て、秩父行きの特急に乗ることが出来た。
電車は9割方の込み具合で、その殆どの人は秩父への登山客やご開帳を目指して
行く人である。
電車の中で着替えて駅に降りるとこれから車で巡礼に行くという年輩の女性グループの
1人にいろいろと聞かれた。
年齢などは比較の問題だろうが、その人達からしたら私は「若い人」であり
「若いのにエライ」と言われてしまう。
これは、そこここで言われた事だが、自分と向き合う巡礼の道程の中で自分を誇示する
必要も、何かと比べて優越感に浸ることも無く、他人の目を意識することも忘れていた。
あるのはただ、自分と観音様やお寺で出会う仏様のご縁の中に包まれて
何事もなく1日を終えることに感謝するだけである。
そして、暑い中を西日にさらされて延々と歩き続けた達成感がささやかな喜びとなって
やってくるのは、全て終えて家に帰り着き、心地良い疲れの中で眠りに落ちる瞬間なのだ。
巡礼から帰って来た晩と翌日、続けて亡き母の夢を見た。
久しぶりに夢で会う母は、今住んでいるこの家のキッチンに初めて立ち、お腹が空いてる
私のために大きな魚をたくさんさばいて夕飯に食べさせようとしている。
私は甘えてまだ出来ないの?と聞いている。
翌日に見たのは母を背負って観音様のご縁の紐を掴みながら四国遍路をしている夢だった。
もしかしたら、この巡礼に母の魂は私と一緒に歩いているのかもしれないと、ふと思う。
生前は生まれつきの難病で足が悪く、長い距離を歩くことはとうてい叶わなかった母。
しかしあの世にあって、母は今ではすっかり自由なのだろう。
この日私が1人で食べた物。
ハムとチーズのピタパン1個、玄米おにぎり2個、もり蕎麦一枚、山掛け蕎麦1杯、バナナ2本
黒糖饅頭1個、ニラ饅頭(中華の点心)1個、木村屋のアップルチーズあんパン、
メロン4分の1、缶コーヒー1缶、パイナップルジュース1缶、ペットボトルのお茶1本
梅干し1個、筍の煮物一口(お寺のお接待)、あめ玉1個、水、アミノ酸錠剤、ビタミン剤。
いつもの胃薬。トマト1個、もろキュウリ半分。
私のいつもの食生活では、考えられないほど野菜が足りない。
人間が最初に必要とするエネルギーとは炭水化物が何を置いても優先するというのを実感する。
しかし、これだけ食べても尚、寝る前はお腹が空いて仕方なかった。
●前回終えた今宮坊のオオケヤキの下で出発前の記念撮影。
思いがけずここで長居をしてしまった。
●かつては今宮坊と同じ境内にあった今宮神社のオオケヤキ。
お寺からは100メートルほど離れている。
何かの祭祀の準備らしく朝から人が大勢いた。