◆◇◆◇◆ このページを作るに当たって。◆◇◆◇◆
私の「柳風荘のゆう」はニュートリノという1人のネットで知り合ったヘンな男と
冗談をネタにして遊ぶために、98年の4月に突然作ったものがそもそもの始まりだった。
「にゅにひよこと亀柄のスーツを贈ろう!」
特別実行委員会と称して、私もかなりのバカだとは思うが実際それを実行に移した。
表紙も壁紙もなにも飾りもない、たった1行のスローガン?だけのHPまで作った。
※当時、会社でこれを作ったのはじんです。(^-^;)
そして。亜土くんのサーバーにぽつんとあったこれはその後、急激にコンテンツが増えます。
私は彼の誕生日に、じんのサイズの合わなくなったブルックスのスーツに亀とひよこの
アップリケをして贈ったのだ。それが何故「亀とひよこ」でなければならなかったのかは
今となっては思い出せない。彼は、それを喜んで着てくれた。
公園で遊ぶ小さな女の子に、そのかめひよスーツを見せたら笑ったという。
今でもまだ、彼がネットのどこかで元気でいるような気がする。
何事もなかったようになんとなく、突然出てきそうな気さえする。
何かの間違いだったらどんなにいいだろう。
この世にもう彼が存在しないなんて、私にはどうしても信じられない。
年が明けたから、もう7年も前になってしまうけれど、出来たばかりのひとみの
チャットに当時一般ではまた知られていない「ニュートリノ」というハンドルで入
ってきたヘンな奴がいた。
自称"15年(当時)ネットワーカー"
本当に、世の中にはヘンな男がいると思ったものだ。
それで今思うと人の名前を無体だなとは思うが、それが許されるようなアット
ホームな雰囲気のひとみのチャットで「ニュートリノ」という彼のハンドルは皆に
好き勝手に「とり」とか「にゅう」とか略されながらとうとう「にゅ」にされてしまい、
結構本人もそれを気に入ったのか以降「にゅ」が彼のハンドルとして定着した。
彼からメールをもらったのは、知り合った当日だったと思う。
私がまだマックの「愛称・まくろう」を使って四苦八苦していた時代。
今では信じられない程、ネットの中というのはそんなに危険な所という認識は
なかった時の事。
本名や住所、電話番号まで教え合ったものだ。そして・・・。
毎日、3通はメールをやりとりして多いときは、容量が10kbを超えることがしば
しばあった。私も徹夜の連続という仕事の合間に良く返事を書いたと思う。
返信すればすぐに返信がある。今では信じられないほどよくメールを書いた。
そして、本当にいろいろな事を話した。
私が一時期困難な状況にある年、実に直接的な言葉で私を励ましてくれた
時期がある。その件に関しては、他の誰よりも私の理解者だったにゅ。
いつも私の側に立って、理解しようとしてくれた。イイ奴だな。
PCが使えなかった時期、電話もよくかかってきた。
北海道からだから電話代も大変なのに。
よく深夜に酔っぱらってかかってくる。そして私を心配させる。
もう五年前になるけどじんがUS出張でいなかった1月の事。
明け方近くまで話していて、お互い眠くてろれつがまわらないのに、電話を
切ろうとすると怒る。半分寝ていた私は、あの時一体何時間も何を話したのか
今思い出そうと最大限の努力をしても全く内容を覚えていないのだが、確かその
4時間を超える長電話のせいで頭はズキズキするし、もう二度とにゅとは電話しな
いと私はしばらく怒っていた。
その後も電話では本当に他愛ない話ばかりしていた気がする。
しかし、秘密も一杯話したし聞いた。
彼が私の誕生日に送ってくれたホタテ貝に指を挟まれた話をしたらゲラゲラ
笑っていたっけ。
ある時、にゅが言った。
「どんな内容にしろ、メールを書いている時は、その時間はその相手と真剣に
向き合っている事であってそれは素晴らしい事だと思うよ。」
私は、あ、そういう取り方もあるんだなと感心した。
知り合って間もなく病気のことを彼から聞かされるのだが、それでも彼に対する
つき合い方を私は変えなかったので彼は喜んだと私は思っている。
でも、私はかなり苦悩した。私の目の黒いうちにその日が来ることはあっては
ならない。何故なら、私の方がずっと年上なんだから。
そして、彼にとって私の存在は決して優しい人ではなかったはずだ。
むしろ、怒り倒した記憶ばかり蘇ってくる。何しろ、私の腹が立つような事ばかり
わざと言う。どうも私を怒らせて楽しんでいるふしがあったし、なんというか・・・
いろいろと面倒くさい男だった。
いつだったっけ、随分前、私が彼の何かを他の人にしゃっべったという事が原因で、
彼が私に怒っていて、それが彼の誤解だったものだから私も怒ってしばらく口を利
かなかった時期もあった。
それなのに、ゆうのこといつまでも大好きだよ、愛しているよ。と
必ずメールに書いてきた。
「この愛は凄いぞヽ(^o^)丿」って、何がよ?(泣笑) わからないよ。
私は愛されていたのか?でも「愛」のベクトルが違う気がするんですけれど。
彼にとっての私は一体なんなんだったのだろう。
今、そんな事ばかり考えている自分がいる。
私の死生観と彼のそれは何故か一致するところがあって気が合ったからだろうか。
簡単な会話の中で、まるで死に急いでいるような彼の言葉に
私は何度も気分を重くし泣かされたものだ。
一昨年、北海道にお見舞いがてら観光旅行に行った時、旭川で会った。
なんでもゆうの好きな物、ホタテでもカニでも好きなだけ奢ってやるぞという
言葉に甘えてお寿司屋さんで食べた、食べた。デザートまで勝手に注文した。
私が今、家の鍵をつけているキーホルダーはその時に買った彼とお揃いの
キティちゃんだ。
別れ際、何か欲しい?と聞いたらキーホルダーが欲しいといったので
お揃いだよねといいつつ旭川の土産物屋で買ったキティちゃん。。
いい年の男がこんなキティのキーホルダーなんか恥ずかしいよ。とか言うもオカシイが
誕生日にジジの縫いぐるみを贈ったからいいでしょ?という理屈にならない理屈で。
その後電話で何を話したわけではないけれどあの時はほんとに楽しかったねと
そればかり言っていたっけ。
去年のお正月、おやじが死んだ、これから葬式だけど、まじ俺のほうが死にそうなのと
暗い電話がかかってきた。
私は励ます。喪主なんだからしっかり見送れ。死んじゃ、いかん。
その後また入院してしまい、入院中もしばしば看護婦さんの目を盗んでメールを
送ってくる。私は心ならずも怒り、励ます。
私が怒ることによって彼は何故か喜ぶ、なんかヘンな関係だった。
彼との最後の電話になったのが、去年のある日の午後だった。
「あのさ、ゆう、ラビュタの飛行石を買って送ってくれ。」
家から歩いて10分のところにあるジブリ美術館のショップでしか売っていない
アニメ映画「天空の城ラピュタ」に出てくるラピュタのペンダントの事だ。
3万円近くするものだが、ジブリ美術館は人気があって市民枠を使ってもなかなか
チケットが取れないので、そのうちにねということになってしまった。
それが、突然。
彼の携帯も家の電話も通じなくなってしまった。メールを送っても返事がない。
12月が苦しかった。
眠れない日が続いて、彼の立ち寄りそうなところを探して回ったりもした。
ICQを立ち上げてみてもいなかった。
そして、考えあぐねて贈ったクリスマスカードは返送されてしまった。
「受取人死亡」の一枚の付箋紙とともに。
私とにゅの6年はそうしてある日唐突に終わった。
「いつかはこの日が来るとは思っていたけど、ほんとに来てしまうと寂しすぎる事ってあると思う。 」
4月7日 「さらば愛しのPC WAVE」より
これをそっくりそのままにゅに返したい。
寂しすぎるどころか、私は本当に毎日泣いてるよ。
これでもかと思うぐらい涙が出て止まらないよ。
死んでもわしの事忘れんでくれ。・・・って。
そんな、忘れようとしてもにゅみたいなヘンな男の事忘れるもんですか。
にゅの好きだったドラマの話に私は相づち打てないけれど
この思い出は一生抱えて行くよ、にゅ。
そういえば、にゅの好きな花って何だっただろう?聞いたことがない。
でも今では、もう聞く術もない。
文句があるのなら、あの世でいずれ聞く。>にゅ
〜2003年1月5日〜
にゅの好きな深夜
●以降のページは、ニュートリノさんが約4年に渡り運営していたともいえない
HPを彼の許可は取っていませんが、私のサーバーに移した物です。
●゛「ひとみんところかゆうのところをブックマークしておいてね。突然無くなっていた場合
他でやっていた場合、そっちのリンクの方が有効だと思うから>読んでくれている人々」
なんて事がある日の本文中に書かれている箇所があります。
とりあえず、ネット命だった彼の意思として、契約期限が切れてそのままページが消滅
するのは無念であろうと思い、ここに残すことにしました。
彼の魂が化けて出て、このページを止めろというのならともかく、どうも彼も
この私のやることを喜んで見ているように思います。
何しろ、彼は死んだら無になるのよ、といいつつも、自分の死をちゃんと報せに
来たからです。(詳細略)
●カウンターは、移設した日までのものです。
●掲示板は、当然彼以外の人の書き込みがあるので転載しないこととしました。
●内容そのままに一切手を入れていませんので、戻る機能などありません(^-^;)
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