平安時代長岳坊(?〜984没)によって開山されたという今宮坊は

        修験道の本山聖護院の直末寺として正覚院金剛寺と呼ばれ、

         

        同じ境内に経つ今宮神社とともに習合し、往年には修行僧が40余人を有していたという。

        ところが明治政府による神仏分離令により修験道は禁止されてからは

        神社は近くに移され、現在は寺には観音堂のみが残されている。

        民家の建ち並ぶ住宅地の中にこじんまりとあって一見質素なお寺の感がある。

        その佇まいからは、かつての栄華を想像するのは困難かもしれない。

        が、激動の歴史をくぐってきた存在感がある。

        境内の樹齢五百年のオオケヤキの大木が一際目に引き、札所の存在を無言で教えてくれる。

        辺りには凛とした空気が張りつめるように漂っていた。

         

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        十四番 長岳山 今宮坊 臨済宗

        【ご本尊】聖観世音菩薩

        【御詠歌】昔より たつとも知らぬ今宮に

                  参るこころは浄土なるらん

        【所在地】秩父市中町25-12

         

        ◆終了時間ぎりぎりで駆け込む◆

        十三番からかなり急いで歩いて今宮坊を目指した私たちは、町中を道標に従って歩いていたら

        ここに本当にお寺があるのかと思われるような住宅地に入ってしまって一瞬不安になる。

        が・・・、私の「お寺センサー」に間違いなければ、お寺のある所からお迎えの空気の様な

        物が感じられてどんどん歩いた。それは、何か力強く感じる空気なのだ。

        疲れた身体を鼓舞するような、力強さといおうか。。

        やがて見えてきたのは、大きな木が境内に陰を落としている本当に小さなお堂のみの

        札所であった。

        納経所はここから道を一本隔てた場所にあるのが見えたのでその前まで行って

        先に御朱印を戴いてしまおうと企んでじんと話していたら、目の悪い私には見えなかった

        のであるが、網戸があってなんと扉は開いており中に全部話し声が聞こえていた。

        バツの悪い思いをしながらも、御朱印を先に戴いてしまった。

        納経所の人はたくさんの御朱印を「作っていた」これは・・・一体?

         

        ◆懐かしい感じがする境内にて◆

        本堂でじんと並んで本日最後となるお経を読んだ。

        終わり頃になって、突然背後から重い空気の固まりが私の身体にぶつかるような

        衝撃を身体に受けて一瞬立っている私はバランスを崩しそうになる。

        それでもなんとか回向文を終えて合掌し、振り返ると私のすぐ背後に女性ばかりの巡礼の

        ご一行が迫っているではないか。その数およそ30人ばかり。

        納経所のさっきの御朱印の山はこれだったんだな。と一瞬にして理解できた。

        その人たちは先達に引き入れられて私たちが納経を終えるのを待っていたらしい。

        私は一心に仏様と向き合っていたので、人が後ろに来ていたのに全く気がつかなかった。

        特に衝撃を受けた首のあたりをさすりながら、なんじゃろ、今のは?とこれも首を

        傾げながらも場所を譲ると、

        さあ、これが最後ですという合図とともに、大勢の人の般若心経が始まった。

        なかなか迫力がある。

         

        団体の唱える般若心経を聞きながら、私はお堂の隣の勢至菩薩にお経をあげた。

        団体の人たちはお経を終えると笑い声もたてて、大層賑やかである。

        誰が何を行っているのかわからないぐらいに夕方の境内に声が響いている。

        やがてその人たちがどこかに去り、嵐が過ぎ去ったように境内は再び静かになった。

        私は自分の経を読む声が境内に響き、この空間とシンクロしているような感じを受ける。

        夕方の境内に凛としてあるこの空気の中にいるのがとても感動的だ。

        祝福されているような気にすらなる。

        なんだか、このお寺は地味だけれど私はとても好きだ。今まで廻ったお寺の中で

        一番身近に感じるし、いつまでもここにいたいと思わせるように心地よいのだ。

        周辺は民家が迫っており、近くには商店もたくさんある。

        この一角だけが、まるで結界が張られたように清々しくしかも力強い。

        かつて修験道の場であったという往年の歴史が、そんな空気を醸し出しているのかもしれない。

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        ●堂内・右手には秩父市文化財に指定されている藤原時代の作とされる
        飛天像が安置されている。ひざまずいて雲に乗り手には蓮茎を持つ優雅な姿だ。

         

        ◆手打ち蕎麦を食べる◆

        間もなく日も暮れるという時間、境内には私たちと急ごしらえの接待所のような場所で

        札所を管理するおじさん達だけが取り残された。

        これから先どうやって帰ろうかと相談しているうちにお腹がぺこぺこなのに気がついた。

        じんがお堂の終いをしていた管理している人に、近くに美味しいお蕎麦屋はないかと尋ねると

        親切にも簡単な地図を書いて教えてくれた。

        その手打ち蕎麦の美味しいと薦められたお蕎麦屋は、十六番の札所の少し越した所にあり、

        秩父駅からもさらに離れる方角に行くことになる。

        帰り道としてはかなり遠回りになってしまうのでしばし迷う。

        しかし、なんと。勢いで行ってみようということになりまた歩くことになってしまった。

         

        札所の十六番を少し過ぎるとそのお蕎麦屋「わへい」はあって

        手打ち蕎麦が売り物である。

        私はなんとかお腹も持ちこたえてここまで歩いてきたが、気持ちとしては冷たい

        ざる蕎麦といきたいところだったが温かい蕎麦を食べた。

        蕎麦アレルギーの髭さんご容赦と言いながら食べた蕎麦はとても美味しかった。

        家に帰ってガイドブックを読んだら手打ち蕎麦なので数に限りがあり、土日などは

        午後も早くに無くなってしまうことがよくあるらしい。実にラッキーであった。

         

        蕎麦を食べ終えて店を出た時には、帰りの急行の時間まではぎりぎりであった。

        秩父駅まで徒歩40分。とてもではないが電車の時間には間に合わない。

        しかし、じんがふと気がついて店の人に聞くと近くに秩父鉄道の駅がある。

        そこから乗って、途中で乗り換えれば間に合うかもしれない。

        最寄りの駅まで私たちはもの凄い早さで歩き、乗り換え駅に着いたのは発車まで5分を

        切る時間すれすれであった。

        私たちは金剛杖の鈴を鳴らしながら走って走り抜いて、わずかに空席のあった

        特急券を買い座って帰ることが出来た。

        日が沈んで暗くなってきた秩父を後にして、何か望郷の念のようなものを感じたのは

        どうしてだろう。電車の中ではもう次の出発を考えている私たちであった。

        ※次回の出発はここ十四番・今宮坊からはじめます。

         

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        ●本堂前ににある。この車を生きているものが回せば地獄に落ちて
        苦しんでいる亡者や餓鬼の供養になって救われるという。

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