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Conさんは、彼の誕生日は非公開にして欲しいと言っています。
そのため、このサイトにConさんの誕生日は掲載していません。

【関連項目】

Conさんに関するウソとホント
ジェン・ケン・モンゴメリー (1990年)
コンラッド・シュニッツラー (2010年9月22日・追記)
日本語意訳:Jin

コンラッド・シュニッツラーのカセット・コンサート

ジェン・ケン・モンゴメリー
Automediaより1990年に出版された『The Cassette Mythos』(注:"カセット神話"の意味)より

カセット・コンサートとは?

カセット・コンサートとは、電子音楽をリアルタイムに制作し、演奏する手法だ。それはベルリンのコンラッド・シュニッツラーによって形成されたが、今や、世界中の作曲家によって行われている。その中には、ニューヨークのデイビッド・マイヤーズとジェン・ケン、ボストンのデイビッド・プレスコット、オレゴンのマイケル・チョチョラック、イタリアのGiancarlo Toniutti、パリのセルゲ・リロイ、東ベルリンのJorg Thomasiusなどが含まれる。
続きを読むにはここをクリックしてください。

原文(英語):Conrad Schnitzler's Con-Cert
諸事情により、Con-panieは、コンラッド・シュニッツラー作品のライセンス管理等は一切行わないこととなりました。
今後は、Conさんの奥さん、Gilさんが直接管理することになります。

Gilさんの連絡先は、こちらのページをご参照ください。

Conさんは、クラウトロックが嫌いだと明言していました。

元々、ロックは反体制派のための音楽で、しかし、Conさん自身は反体制派ではない、という考え方が根底にあります。また同様に、彼はヒッピーの音楽・文化も嫌いで、その流れを汲むクラウトロックも嫌い、といった感じです。ヒッピーの音楽は「退屈」とコメントしています。

ヒッピーの音楽以外の文化についても、よく知られているように、Conさんは頭の髪を剃っていて、ヒッピーが長髪なのと相反しているのが一目でわかります。また、Conさんはマリファナなどドラッグをやるのも嫌っていました。(ただし、他人がドラッグをやることについてはその人の自由、という意見を持っていました。)Conさんの最初の奥さんのクリスタ・ルンゲさんは、当時、KlusterやEruptionで一緒に音楽活動をしていたものの、その後、ヒッピーのコミューンであるAmon Düülに入ってしまったそうで、Conさんとは別れてしまいました、、

また、その他のエピソードとして、Conさんが1967年にイルミン(アーミン)・シュミットと会ったときのことが挙げられます。イルミン・シュミットは、Conさんが大好きなシュトックハウゼンに学んだ経歴の持ち主で、ウィーン交響楽団などで指揮者として活動し、指揮の受賞歴もある人ですが、Conさんはそのアドバイスの言葉に大変励まされたそうです。ところが、イルミン・シュミットは翌年の1968年に結成されたCanでクラウトロックを始めたので、Conさんは大変失望したそうです。(なお、余談ですが、Canは日本では「カン」と表記されますが、本当の発音は「キャン」だそうです。)

このように、Conさんは、ヒッピーやクラウトロックとは一線を画したところにいたのですが、皮肉にも、現在、Conさん自身の音楽自体も、世間一般では広く「クラウトロック」に分類され、人々から、当たり前のようにそう呼ばれているわけです。(以前は「ジャーマン・プログレッシブ」という言い方もありましたが、今はあまり使われていないように思います。)

しかも『Rot』には、ずばり"Krautrock"という曲まで収録されているため、ますます勘違いの元となっています。実は、Conさんの"Krautrock"という曲のタイトルは、Conさん自身が付けたものではありません。生前Conさんに確認したところ、『Rot』、『Blau』、『Grün』の収録曲のタイトルは、他人が付けたとのことでした。当時、LPを出すにあたり、諸事情により、そのようなタイトルになってしまったようです。

この文章により、少しでも彼に対する誤解が解けてくれれば幸いです。

日本では、Conさんのことを「ベルリンの狂った天才」と、まるで彼のキャッチ・コピーかのように書かれているのを目にします。かつてヨーロッパでそう呼ばれていたとのことですが、果たして、誰が最初に言い出したのでしょうか。

今のところ、こちらで調べられる範囲では、英語やドイツ語でも、それに相当する文言は見つかっていません。ただし、それに近いものは見つかりました。1970年初頭、クラウス・シュルツ(シュルツェ)が、「シュニッツラーは本当の狂人だった。彼は何もかも破壊しようとしていた。」と発言していたそうです。なお、逆に、Conさんは当時を振り返り、「クラウス・シュルツは、本当に何も知らない奴だった。」と言っています。どうやら、その辺りがルーツで、その後、切り取られた言葉が独り歩きしたように思います。

なお、生前Conさんに、「ベルリンの狂った天才」のフレーズについて聞いてみたところ、以下のコメントをいただきました。

ホッホッハッハッ、、 私は、世間の人々が私についてどう言っているか、どう書いているかなど、考えたことはない。それは私の生き方ではない。何を言われようが何を書かれようが、私はまったく気にしない。私は、自分がしたい様に自分の生活を送っている。私は自由人でアーティストだ。私は、ビジネスのために世間を煽るような、ゲームの駆け引きには興味がない。
(コンラッド・シュッツラー 2009年12月27日)


8月4日はConさんの命日です。
Conさんが亡くなられてから3年が経ちました。

命日には、Conさんが大好きだったボルドーの赤ワインをお供えしようと思います。。


リリース元: P-Vine
主な購入先: アマゾン エルパカBOOK タワーレコーズ 丸善ジュンク堂 紀伊國屋書店

クラウトロックの百科事典、『クラウトロック大全』(小柳カヲル 著)が発売されました。タイトルのクラウトロックのみならず、ノイエ・ドイッチェ・ヴェレまで幅広く網羅されていて、その充実した情報は、「大全」の名にふさわしい内容となっています。

Conさんについては、なんと39作品(Kluster含む)も掲載していただきました。しかも、本の表紙までもConさんが飾っています。

小柳さんは、以前キャプテン・トリップ・レコーズに在籍していた際に、数多くのCon作品を意欲的にリリースしていただきました。また、装丁等細部にまでこだわりを持ち、その上、私のいくつかのリクエストにも快く応じてくださいました。例えば、「80'sワークス・シリーズ」ボックスセットのリリース時に、限定特典の一つとして、オリジナル版LP『Concert』の最初の200枚のおまけだったピンバッジの復刻版を付けていただいたり、また、そのボックスセットにも収録された『Control』の再発版CDに、ArtgalleryからのCD再発時には収録されなかった"『Container T5』の1トラック目"をボーナストラックとして追加収録していただきました。
まったく感謝の念に堪えません!

また、Conさん自身も、生前、小柳さんのことを高く評価していて、
「キャプテン・トリップ(= 小柳さん)には感謝している。私はキャプテン・トリップが好きだ。」
といったコメントを私は直接Conさんから聞いています。

そのような経緯もあり、本サイトは、情報の引用元として、今回、全面的にご協力させていただきました。



8月4日はConさんの命日です。
Conさんが亡くなられてから、今日で2年となりました、、
Conさんより、ブログ掲載用にと以下のヴォルフガング・ザイデルさんのテキストを送っていただきました。当時、23回に分けて和訳・掲載しました。

ブラック

ヴォルフガング・ザイデル(2009年8月29日)
日本語意訳:Jin

- コンラッド・シュニッツラーがリリースした最初のレコードは真っ黒だった。名前はなし。トラックのリストや曲名もなし。何の絵もなし。これは当時、鮮やかなヒッピー・カラーやアールデコの花飾りと共に流行していたポピュラー音楽とは断絶していることの表明であり、人々が発展と考えていたものに一石を投じた美学の思想だった。
続きを読むにはここをクリックしてください。

原文(英語):Black by Wolfgang Seidel (29.8.09)
今日はConさんの一周忌です。

厳密には、一年前の8月4日のドイツ時間の晩、日本時間だと翌日に日付の変わる頃に、お亡くなりになりました。

あれから一年、よかったのは、生前Conさんがレーベルや関係者に託していた作品『24/06/11』と『KLUSTERSTRASSE 69-72』が無事リリースされたことです。特に『KLUSTERSTRASSE 69-72』は、同時に再発された『CONTAINER T1-T12』と共に、Vinyl-On-DemandレーベルのFrankが、リスペクトのこもった丁寧なボックスの装丁で出してくれたので、個人的には大変感謝しています。

また、Conさんの追悼イベントが世界の様々な場所で行われているのも喜ばしいことです。Conさんが独自に編みだした「コン・サート」のライブ形態が、ワールドワイドで受け継がれているのが大きいです。インターネットが普及した今日、その一部を日本にいながらにしてリアルタイムにオンラインで視聴できるのもまた素晴らしいことです。

ところで、本日、ノルウェーのベルゲンでは、Ollis Christiansenが、追悼のため、ConさんのDNAを埋めた山の頂上でミニ・コン・サートを行う予定です。

日本では、Conさん本人のリクエストにより富士山の五合目にDNAを埋めています。たまたま8月は富士山の登山シーズンですが、現地へ行かれる方は高山病には十分気を付けてください。当時、私も酸欠の頭痛が2~3日残りました。特に、寝不足だとなりやすいようです。


提供:ビジネスブログのe売るしくみ研究所..